【押し入れ・物置の整理】きっぷなど
(こういうものは捨てられないなぁ
)
◎「交通科学館」入館しおり
大阪弁天町にあった交通科学館の、しおりと入館記念券(入場券)。
私の場合は、西宮で過ごした小学生時代に学校遠足で訪れたのが、交通科学館の初見学でした。
その後、京都へ引っ越ししてから個人的に2~3回訪れたと記憶しています。
新幹線0系が展示してあって、車内へ立ち入って、座席にすわることも出来たんよね。
でも、当時はまだ0系が現役運用されていた時代なので、珍しくも懐かしくもない感じでしたね。
今とは時代が違います。
国鉄ハイウェイバスの車両展示もあったよね。
小学校遠足のときだったかな…、展示されてるハイウェイバスの車内にも立ち入ったように思います。
そもそも、西宮から貸切観光バスに乗って遠足に来たというのに、館内見学でまたバスに乗ってる…っていう。
↑入館記念券。
↑しおりの裏面は広告でした。東芝ラジカセ。結構な値段だったんやなぁ。
◇ ◇ ◇
◎近鉄パールカード
近鉄特急運転開始40周年記念パールカード(3枚組)
1987年(昭和62年)が〝近鉄特急40周年〟の年でした。
そのときに発売された記念パールカードです。横長の紙ケースに入った3枚組。
10000系・10100系・30000系の歴代ビスタカーがカードになりました。
アーバンライナーが登場する前のことです。
「近鉄特急といえばビスタカー」という伝統的イメージが定着していましたね。
この記念パールカードは700円カードの3枚組。→だから2100円だったのだろう。
当時私は中学生。小遣いを投入して買うには大きな買い物でした
本来、記念きっぷの類は未使用で保存するものなのかもしれませんが、当時の私にはムリでした。
のちの高校時代、このカードを使って近鉄電車に乗りに出かけました。
なので、3枚とも全額使用済みです。
↑パールカードの裏面。
パールカードが登場した当初は、カード利用が可能な範囲は相当限られていました。
奈良線とその周辺区間でだけ使えるという感じでした。
その後、どんどん、利用エリアは拡大しました。
◇ ◇ ◇
◎エキスポ90、花博〝三越ライナー〟乗車チケット
↑1990年(平成2年)に大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」(花博。エキスポ90)。
このとき高校生だった私は、この日に学校遠足で見物に行きました。
チケットに押された日付印、平成2年5月31日です。
会場内の乗り物(移動手段)のひとつに、〝三越〟の名前が付いたパノラマライナーがありました。
磁力で動く乗り物だったっけ? それに乗車した時のチケットです。
◇ ◇ ◇
◎青春18きっぷの「表紙」
◇ ◇ ◇
◎古い、新幹線のきっぷ
↑古い新幹線のきっぷ。きっぷ袋に入った状態で保存されていました。
私が中学か高校だったころ、母方の祖父の家でもらってきたもの。
「貴重な、大事なきっぷなのに、なぜ物置のダンボール箱から出てきたのか?」
「すまん…。今後はきちんと保存する!」
母方の祖父の息子(母の弟。=私の叔父)が、若いころ東京で暮らしていた時期があったそうなので、これはその当時に叔父が使ったきっぷだろうと思われます。叔父はすでに他界しております。
↑コンピュータ発券のきっぷと思いきや、「乗車券・特急券」の表題はハンコやな。
目的地の「姫路」は、また別のハンコが押されているみたい…。(ハンコやろ? これ機械の印字か?)
そして、乗車券の有効期間(日数)の数字は〝手書き〟やね。
このきっぷ1枚を発行するのに、窓口の職員さんは結構手間が掛かっていただろうな
↑機械で印字されている部分。「姫路」はやっぱりハンコ?
乗車日は「27日」と記されているだけです。昭和何年の何月なのか分からないという
現在の新幹線特急券とは、趣が全然違いますね。
東京12時15分発の「ひかり407号」で姫路まで、ということですね。
山陽新幹線が岡山まで通じていた頃だと思われます。昭和47年春から50年春までの間。
ただ、私の手元にある復刻版時刻表で調べたら、当時の「ひかり407号」は基本的に東京発→新大阪ゆきとして運行されていたみたい。でも、こうして姫路までのきっぷが発券されているのを見ると、多客期には岡山まで延長運転されていた、ということだろうね。
27日が多客期に該当する月といえば…? 12月(年末帰省)だったのかな。
貴重なきっぷです。大切に保存しておきます。(^^)/