『サニーカー』
車両系式:12400系
登場初年:昭和52年(1977年)
製造両数:12両(4連×3本)
※昭和53年「ブルーリボン賞」受賞車両(近鉄第4号)
昭和44年に登場した12200系(新スナックカー)は、その後も毎年、車両の増備が続けられました。先述したように、実際のところ「スナック・コーナー」を装備していたのは初期に登場した編成に限られ、途中からは〝スナック無し〟の編成がひたすら増備されたのでありますが、最終的に12200系は166両を数える大所帯に成長し、近鉄特急のスタンダードとしての地位を築いたのでした。
昭和50年代に入っても12200系の増備は続けられていたのですが、この時期になると、かつて一世を風靡した10100系(新ビスタカー。昭和34年登場)が「そろそろ引退か?」と噂されるようになり、その後を受け継ぐ〝新型ビスタカー〟の設計準備など新たな取り組みも必要になってきました。
こうした流れの中で、昭和52年(1977年)に新系列の12400系「サニーカー」が登場しました。また、これを機に、長らく続いた12200系の増備には終止符が打たれました。
12400系「サニーカー」は、4両編成×3編成(計12両)が造られました。車両性能については12200系と同等でしたが、〝新型ビスタカー〟の設計をにらんで外装・内装に新しいデザインが採り入れられた車両です。
実際、その翌年(昭和53年)に登場した〝新型ビスタカー〟こと30000系(ビスタカーⅢ世。次回紹介予定)は、12400系編成に二階建て車両を組み込んだような印象に仕上がり、先頭車両の顔つきや雰囲気はそっくりでした。
この12400系「サニーカー」の設計から、客室内の座席カラー(座席の表布の色)がオレンジ色に変わりました(12200系以前の座席カラーは濃い赤色でした。ちょうど、近鉄の通勤型車両の座席カラーと似ていたように思います。もしかしたら、同じだったのかも)。
近鉄特急の座席には必ず付いている「シートカバー」(ヘッドレスト部に掛けられた白布のカバー)の〝白さ〟を際立たせるという点では、赤色の座席のほうが見映えが良かったように感じますが(好みでもありますが)、その後、12200系以前の車両についても〝オレンジ〟への座席交換(表布張替え)が進められて、以後、アーバンライナーが登場するまでこの配色が近鉄特急の標準になりました。
ふりそそぐ太陽の光に包まれた暖かな空間、というイメージでしょうか。オレンジの座席を中心に〝サニー・ムード〟ですっきりまとめられた客室内にちなみ、12400系には「サニーカー」という愛称が付きました。
◇ ◇ ◇
12400系は、れっきとした新系列なのですが、
「12200系(新スナックカー)の増備車両のようでもあり…」
「30000系(ビスタカーⅢ世)の試作車両のようでもあり…」
という、独特のポジションに立っている車両です。
「最初は12200系を増備するつもりだったのだけれど、せっかくなので30000系の試作要素を盛り込んで造ってみたら…、こんなん出ましたけど」みたいな車両です。
デザインが一新されたという以外、決して画期的な新機軸を盛り込んだというわけではない12400系ですが、そのスマートな姿が評価を得たのか、デビュー翌年(昭和53年)に「ブルーリボン賞」を受けることになりました。近鉄電車では4度目の受賞でありました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ほかにもあります「サニーカー」
車両系式:12410系
登場初年:昭和55年(1980年)
製造両数:20両(4連×5本)
車両系式:12600系
登場初年:昭和57年(1982年)
製造両数:8両(4連×2本)
12400系「サニーカー」は4両編成×3編成(計12両)が製造されるに止まりましたが、その後、系式番号を変えながらも、サニーカーの〝続編〟が造られました。
12410系(昭和55年登場)と12600系(昭和57年登場)の2系式がそれです。
12410系と12600系は、いずれも12400系と同じ仕様で造られていて、「12400系の増備編成」と呼んでも差し支えない内容です。編成中における接客設備(特に便所)の〝位置〟が違うなどの相違点があるそうですが、私は、そこまで見分けられないもので…、どれも同じに見えてしまいます。(←情けないテツ?)
一応、12410系は「名阪ノンストップ特急」用途に、そして12600系は「京都線向け」用途にと、それぞれ当時の事情に応じた役割を与えられてデビューしたようですが、現在は車両運用が大きく変わっているため、この限りではありません。
デビュー当時の12410系は3両編成を1単位としていたようなので、これならば私でもパッと見で判別できたのでしょうが、その後ご丁寧に中間車両が組み込まれて4両編成化されたもので、もはや、私には〝為す術が無い〟というのが実情です。
車両愛称名としては、12400系と同じく、12410系・12600系も「サニーカー」と呼ぶのが一般的です。私が知る範囲では、サニーカーの場合だけ、「旧サニーカー」とか「新サニーカー」という呼び方の区別がありません。全部まとめて「サニーカー」です。
ただし、ブルーリボン賞を受けたのは12400系だけです。
↑これが「サニーカー」です。
ビスタカーと同じ顔をしているけれど、二階建て車両が無い編成、です。
12400系・12410系・12600系は、いずれもこのスタイルで共通しており、かつ、現在では4両編成を1単位としている点も同じです。
この3系式をパッと見で明確に見分ける方法を私は理解していないので、とりあえず、『あっ、サニーカーが来たぞ』と、心の中で叫ぶことにしています。
この画像に写っているのは、たぶん…、12410系だと思う。(当たってる?)
先日、うちの近所の、狛D~新H園間で写しました。(逆光…)
◎画像追加
↑1989年秋の撮影だと記憶しています。あやふやですが。
京都線の木津川鉄橋付近(鉄橋の新田辺寄り)にて。
↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。
↑平成21年(2009年)11月、京都駅にて。
近鉄京都線を行く、サニーカー
↑平成22年(2010年)1月14日(木)、新田辺~興戸間にて。
↑平成22年(2010年)3月14日(日)、新田辺~興戸間にて。奈良ゆき。
↑平成22年(2010年)4月25日(日)、大和西大寺駅にて。奈良発→京都ゆき。
↑平成23年(2011年)2月11日(金曜祝日)、大和西大寺駅にて。京都発→橿原神宮前ゆき。
正面の行き先表示は電光式で二行書き。「橿原神宮前」「吉野連絡」と表示されている。
↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
奈良駅から回送されてきたサニーカー。
↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
上の画像と同一列車で、これは後打ち画像です。
奈良駅から回送されてきて、4番線のりばに進入してきたところ。
4番線に一旦停車した後、スイッチバックして、車庫へ戻って行きます。
↑平成24年(2012年)1月14日(土)。奈良駅にて。
奈良発→京都ゆきの運用。
この車両は、正面の行き先表示が電光式ではなく、赤地に白文字の字幕式。(→何故か、表示は漢字のみで、英字表記はない)
↑平成24年(2012年)1月14日(土)。京都駅にて。
上の画像の奈良発→京都ゆきに私も実際に乗車して、京都駅までやって来ました。
画像は、京都駅に到着した直後の同列車。
折り返し運用は橿原神宮前ゆき。行き先表示には「吉野連絡」の文字も添えられています。(画像にはちゃんと写っていないけど…)
↑平成24年(2012年)1月14日(土)に撮影。
上の画像と同一列車にて、乗車中に、車内の「洗面所」を写してみた。
スペース的に、やや窮屈な印象の洗面所ではあります。
壁面に取り付けられたボックスには、袋入りの「紙おしぼり」が入っていて、自由に使えます。
↑紙おしぼり。(サニーカーに限らず、近鉄特急の車内洗面所に用意されています)
昔のやつに比べると…、紙おしぼり、ちょっと小さくなった気がする。
コスト面のこととか、いろいろあるんでしょうけれどな。
車両系式:12400系
登場初年:昭和52年(1977年)
製造両数:12両(4連×3本)
※昭和53年「ブルーリボン賞」受賞車両(近鉄第4号)
昭和44年に登場した12200系(新スナックカー)は、その後も毎年、車両の増備が続けられました。先述したように、実際のところ「スナック・コーナー」を装備していたのは初期に登場した編成に限られ、途中からは〝スナック無し〟の編成がひたすら増備されたのでありますが、最終的に12200系は166両を数える大所帯に成長し、近鉄特急のスタンダードとしての地位を築いたのでした。
昭和50年代に入っても12200系の増備は続けられていたのですが、この時期になると、かつて一世を風靡した10100系(新ビスタカー。昭和34年登場)が「そろそろ引退か?」と噂されるようになり、その後を受け継ぐ〝新型ビスタカー〟の設計準備など新たな取り組みも必要になってきました。
こうした流れの中で、昭和52年(1977年)に新系列の12400系「サニーカー」が登場しました。また、これを機に、長らく続いた12200系の増備には終止符が打たれました。
12400系「サニーカー」は、4両編成×3編成(計12両)が造られました。車両性能については12200系と同等でしたが、〝新型ビスタカー〟の設計をにらんで外装・内装に新しいデザインが採り入れられた車両です。
実際、その翌年(昭和53年)に登場した〝新型ビスタカー〟こと30000系(ビスタカーⅢ世。次回紹介予定)は、12400系編成に二階建て車両を組み込んだような印象に仕上がり、先頭車両の顔つきや雰囲気はそっくりでした。
この12400系「サニーカー」の設計から、客室内の座席カラー(座席の表布の色)がオレンジ色に変わりました(12200系以前の座席カラーは濃い赤色でした。ちょうど、近鉄の通勤型車両の座席カラーと似ていたように思います。もしかしたら、同じだったのかも)。
近鉄特急の座席には必ず付いている「シートカバー」(ヘッドレスト部に掛けられた白布のカバー)の〝白さ〟を際立たせるという点では、赤色の座席のほうが見映えが良かったように感じますが(好みでもありますが)、その後、12200系以前の車両についても〝オレンジ〟への座席交換(表布張替え)が進められて、以後、アーバンライナーが登場するまでこの配色が近鉄特急の標準になりました。
ふりそそぐ太陽の光に包まれた暖かな空間、というイメージでしょうか。オレンジの座席を中心に〝サニー・ムード〟ですっきりまとめられた客室内にちなみ、12400系には「サニーカー」という愛称が付きました。
◇ ◇ ◇
12400系は、れっきとした新系列なのですが、
「12200系(新スナックカー)の増備車両のようでもあり…」
「30000系(ビスタカーⅢ世)の試作車両のようでもあり…」
という、独特のポジションに立っている車両です。
「最初は12200系を増備するつもりだったのだけれど、せっかくなので30000系の試作要素を盛り込んで造ってみたら…、こんなん出ましたけど」みたいな車両です。
デザインが一新されたという以外、決して画期的な新機軸を盛り込んだというわけではない12400系ですが、そのスマートな姿が評価を得たのか、デビュー翌年(昭和53年)に「ブルーリボン賞」を受けることになりました。近鉄電車では4度目の受賞でありました。
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ほかにもあります「サニーカー」
車両系式:12410系
登場初年:昭和55年(1980年)
製造両数:20両(4連×5本)
車両系式:12600系
登場初年:昭和57年(1982年)
製造両数:8両(4連×2本)
12400系「サニーカー」は4両編成×3編成(計12両)が製造されるに止まりましたが、その後、系式番号を変えながらも、サニーカーの〝続編〟が造られました。
12410系(昭和55年登場)と12600系(昭和57年登場)の2系式がそれです。
12410系と12600系は、いずれも12400系と同じ仕様で造られていて、「12400系の増備編成」と呼んでも差し支えない内容です。編成中における接客設備(特に便所)の〝位置〟が違うなどの相違点があるそうですが、私は、そこまで見分けられないもので…、どれも同じに見えてしまいます。(←情けないテツ?)
一応、12410系は「名阪ノンストップ特急」用途に、そして12600系は「京都線向け」用途にと、それぞれ当時の事情に応じた役割を与えられてデビューしたようですが、現在は車両運用が大きく変わっているため、この限りではありません。
デビュー当時の12410系は3両編成を1単位としていたようなので、これならば私でもパッと見で判別できたのでしょうが、その後ご丁寧に中間車両が組み込まれて4両編成化されたもので、もはや、私には〝為す術が無い〟というのが実情です。
車両愛称名としては、12400系と同じく、12410系・12600系も「サニーカー」と呼ぶのが一般的です。私が知る範囲では、サニーカーの場合だけ、「旧サニーカー」とか「新サニーカー」という呼び方の区別がありません。全部まとめて「サニーカー」です。
ただし、ブルーリボン賞を受けたのは12400系だけです。
↑これが「サニーカー」です。
ビスタカーと同じ顔をしているけれど、二階建て車両が無い編成、です。
12400系・12410系・12600系は、いずれもこのスタイルで共通しており、かつ、現在では4両編成を1単位としている点も同じです。
この3系式をパッと見で明確に見分ける方法を私は理解していないので、とりあえず、『あっ、サニーカーが来たぞ』と、心の中で叫ぶことにしています。
この画像に写っているのは、たぶん…、12410系だと思う。(当たってる?)
先日、うちの近所の、狛D~新H園間で写しました。(逆光…)
◎画像追加
↑1989年秋の撮影だと記憶しています。あやふやですが。
京都線の木津川鉄橋付近(鉄橋の新田辺寄り)にて。
↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。
↑平成21年(2009年)11月、京都駅にて。
近鉄京都線を行く、サニーカー
↑平成22年(2010年)1月14日(木)、新田辺~興戸間にて。
↑平成22年(2010年)3月14日(日)、新田辺~興戸間にて。奈良ゆき。
↑平成22年(2010年)4月25日(日)、大和西大寺駅にて。奈良発→京都ゆき。
↑平成23年(2011年)2月11日(金曜祝日)、大和西大寺駅にて。京都発→橿原神宮前ゆき。
正面の行き先表示は電光式で二行書き。「橿原神宮前」「吉野連絡」と表示されている。
↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
奈良駅から回送されてきたサニーカー。
↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
上の画像と同一列車で、これは後打ち画像です。
奈良駅から回送されてきて、4番線のりばに進入してきたところ。
4番線に一旦停車した後、スイッチバックして、車庫へ戻って行きます。
↑平成24年(2012年)1月14日(土)。奈良駅にて。
奈良発→京都ゆきの運用。
この車両は、正面の行き先表示が電光式ではなく、赤地に白文字の字幕式。(→何故か、表示は漢字のみで、英字表記はない)
↑平成24年(2012年)1月14日(土)。京都駅にて。
上の画像の奈良発→京都ゆきに私も実際に乗車して、京都駅までやって来ました。
画像は、京都駅に到着した直後の同列車。
折り返し運用は橿原神宮前ゆき。行き先表示には「吉野連絡」の文字も添えられています。(画像にはちゃんと写っていないけど…)
↑平成24年(2012年)1月14日(土)に撮影。
上の画像と同一列車にて、乗車中に、車内の「洗面所」を写してみた。
スペース的に、やや窮屈な印象の洗面所ではあります。
壁面に取り付けられたボックスには、袋入りの「紙おしぼり」が入っていて、自由に使えます。
↑紙おしぼり。(サニーカーに限らず、近鉄特急の車内洗面所に用意されています)
昔のやつに比べると…、紙おしぼり、ちょっと小さくなった気がする。
コスト面のこととか、いろいろあるんでしょうけれどな。
最近京都線では、6両編成で走る特急列車が以前に比べて随分減ったように感じます。