ダンポポの種

備忘録です

センバツ

2008年03月27日 23時06分55秒 | 日記・雑記
センバツ高校野球、順調に日程が進んでいますね。

きょうは、平安(京都)が初戦を迎え、勝ちました。
全部見ていたわけではないですが、ちょっとだけテレビ中継を見ました。
守り勝つ野球っていう感じでした。

センバツながら、今大会は、近畿の各府県から一つずつ代表校が出ています。
北大津、履正社、東洋大姫路、智弁和歌山、天理、そして平安。
しかも、これら近畿勢が勝ち進んでいる!のが特徴です。

きょう平安が勝ったことで、近畿勢はすべて初戦突破しました。
こういうのはセンバツでは初めてだとテレビで言っていた…ように思いますが、
そうなのか?

平安は、明日も試合?
なんだか不思議な日程ですね。
地元京都のチームですから、私も応援しております。

ああ、甲子園に行って観戦したいな…。


↑夏は絶対見に行けないんだし(時間的に)、まだ春のほうが行きやすいのとちゃう?


↑自分でもそう思うんだけど、それが、なかなか…(笑)(←なんでやねん)



さくらの季節

2008年03月26日 12時26分31秒 | 日記・雑記
  
うちのそばに、さくらの木が1本立っています。
けっこう古い木ですが、毎年、春を忘れることなく、たくさん花を咲かせます。

この春も…、きょう、ぽつぽつと咲き始めているのを、私の目で確認しました。
これをもって、きょう3月26日はS華でも開花宣言!ってことで。

この冬は寒い日が多かったので、こうして暖かくなったのが嬉しいです。

画像は、きょうのお昼に写した、うちのそばの桜です。
ちょっとだけ、咲いているでしょう?



1ヵ月です

2008年03月25日 21時16分14秒 | クルマ
ウ号が「デビュー1ヶ月」を迎えました。
トラブルもなく、順調です。
月間1050kmってところです。(←やっぱり1000km超えるか…)

「1ヶ月点検」というのを受けることにしていますが、
販売店の都合で、これは4月に入ってからになる予定です。






↑上がウ号で、下が旧ウ号。



ちょっと、わくわく

2008年03月23日 22時52分06秒 | 鉄 道
いま、何気な~く、山陽電車のホームページを覗いたら、
思いっきり気になるニュースを発見しました。

来る4月14日から、
荒井駅に直通特急が停車!するそうです。(但し、朝夕ラッシュ時のみ)

「ほほう、荒井に特急が止まるのかぁ」
という驚きを感じています。そのまんまですが。

この駅があるT砂市は私が生まれた町でして(←なんで今さら伏字やねん)、
荒井の駅は、母方の祖父の家の最寄り駅なのです。
私も子供の頃(それこそ、西宮にいた頃)、祖父の家を訪ねるときに、しばしば荒井駅で乗り降りしました。

祖父も祖母も亡くなって、現在はその家もありませんが、
今でも、墓参りや菩提寺での法事のときは京都から出かけて行きます。
基本的に、父方・母方とも、親戚関係はT砂市に集積していますし…。

もっとも、最近では、京都からクルマでT砂まで突っ走ってしまうことが多く、
なかなか電車で行くことがありません。
電車で行ったとしても、新快速を使いますね。
山陽電車には、久しく乗っていない気がします。

時間的に、S華の私がラッシュ時の直通特急で荒井へ行くのは困難かと思いますが、
でも、こんなニュースを見ると、久しぶりに山陽電車に乗ってみたくなりました。


↓参考
山陽電車ホームページ



2ヶ月ぶり集会

2008年03月23日 20時59分32秒 | Yクラブ
昨夜(3月22日、土曜日)、Yクラブの集会がありました。
前回は1月の末でしたから、2ヶ月ぶり。

◎夜7時ごろから、四条烏丸で飲み会。
 参加:toel、GCZ32、i-kyo0909の各氏と、ダンポポ。

飲み会のあと、みんなで地下鉄に乗って竹田まで行き、
おやびんこびん氏にクルマで迎えに来てもらい、
カラオケに行きました。
(i-kyo0909さんは飲み会終了後に帰宅)


◎夜9時半ごろから、まき島でカラオケ。
 参加:toel、GCZ32、おやびんこびんの各氏と、ダンポポ。

2時間みっちり歌い込み。
1980年代の曲を、重点的にほじくる。
それよりも古い、〝童心に返る〟ほうのジャンルには、あまり手を付けなかった。


◎夜11時半から、おやびんこびん号が参加者の家を巡回し、みんな帰宅。

みなさん、お疲れ様でした。
おやびんこびん氏、遅くまで巡回していただき、ありがとうございました。

久しぶりに飲み会ができて、良かったです。



最後の音楽会の最後 〔後編〕

2008年03月23日 10時17分55秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

音楽会の当日になった。

T小学校には、音楽会専用のホールなんて無かったので、この日だけは、体育館が音楽ホールに変身した。
遮光カーテンが引かれた館内は真っ暗で、即席で組み立てられたスポットライトが舞台上を照らしていた。

私も、6年2組の一員として舞台に上がり、合唱の発表をした。
何を歌ったのか、曲名は忘れてしまったが、大きなミスもなく無難に歌い終えたと記憶している。

合唱発表を終えて、クラスメートと和やかに舞台から下りてきた私は、待ち構えていた〝件の先生〟にその場で身柄を拘束された。
教室へ戻っていくクラスメートたちの列から引き剥がされ、舞台裏の別室に監禁されて「閉会の挨拶」の最終調整に励んだ。
はっきり言って、合唱練習よりも挨拶練習のほうが大変だったが、どうにか当日までに原稿は暗記した。
あとは、早口にならないよう、落ち着いてゆっくり言うだけだ。


    ◇     ◇     ◇

「よしっ! 本番も、その調子でいくんやで!」

別室での〝最終リハーサル〟が済むと先生はそうおっしゃって、手にしたファイルの中から、二つ折りの青い画用紙を取り出された。

「これ、持って行き!」

言われるままに、私はそれを受け取った。
二つ折りの青い画用紙-、開いてみると、中には挨拶文の原稿が貼ってあった。
暗記用として〝原版〟は私が持っているから、これは、それとは別に先生が清書してくださったものだ。
だけど、これは一体、どういうこと…?

ポカ~ンとしている私に、先生はサラ~ッとおっしゃった。

「舞台に上がったら、急に緊張するかもしれへんし、もし、ド忘れしたら、それを見ながら挨拶して、いいよ」

それを聞いて、ますますポカ~ンとする私だった。

『ああ、なるほど…。先生は最初からこういう作戦を考えておられたのだな…』
と、私が気付いたのは、ずっとずっと、ずーっと、後になってからのことである。


真っ暗な館内。
私は、舞台上でスポットライトをひとり占めして、大勢の保護者たちを前に、閉会の挨拶を無事終えた。
緊張感から解き放たれて、意気揚々と舞台から下りてきた私は、例によって待ち構えていた先生に、今度は自分から得意げに言った。

「先生、最後まで、原稿を見ないで言えました!」

ということは…、前を向いて、視線を下げずに、保護者たちに向かってしっかりと挨拶ができたわけだ。

すべては、「ご苦労さん!」と言って笑っておられる、先生の思惑通り-。



最後の音楽会の最後 〔前編〕

2008年03月22日 10時59分44秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

職員室の片隅――。

担任を通じて職員室への呼び出しを受けた私は、先ほどからずうっと、その先生から説得をされ続けている。

「お前なら、できる!」

「頼むから、やってくれ!」

「担任の先生には、許可をもらってあるんだ」

「挨拶するだけじゃないか!」

苦渋の表情で立ち尽くす私の前にあらゆる言葉が並べられ、懸命の反論も焼け石に水で、着実に退路は断たれていくのだった。


…というわけで。
学校行事として行われる音楽会(音楽発表会)において、「閉会の挨拶」を私がやることになった。
開会ではなくて、閉会の際の挨拶である。
6年生の二学期も終盤、11月下旬か12月上旬のことだったと思う。
小学校生活最後となる音楽会の、その最後を、私が締めくくるのだ。

私を呼び出したこの先生は、そうした学校行事での段取り・進行を一手に引き受けておられた方だった。日頃は、低学年教室のクラス担任を受け持っておられたが、私の中では『学校行事のとき舞台裏を走り回っていた先生』という印象のほうが断然強い。私は5年生のときに学級委員を務め、学校行事の舞台裏に関わったので、それ以来、この先生にも顔を覚えられていた。低学年児童への接し方は気持ち悪いぐらいに優しいのに、高学年児童に対しては鬼のように厳しい先生だった。

5年生で学級委員を務めたときに〝こき使われて〟懲りたので、私は6年生に進級した際には学級委員を辞退した。
6年生では「飼育委員」という委員会に所属し、校内にある鳥小屋(インコ・にわとり小屋)の掃除に精を出すのどかな日々を過ごしていたのに、それが今回、突然の呼び出しで事態が急変してしまった。
それにしても、「担任の先生には許可をもらってある」なんて、児童を相手に手回しが良すぎるではないか。


音楽会での「閉会の挨拶」である-。
挨拶の原稿は、この先生と一緒に考えた。
音楽会の当日は大勢の保護者が見学に来るので、それを踏まえた上で原稿をまとめる必要があった。会場に来てくれた保護者に向かっての挨拶である。
原稿用紙2枚分になったと記憶している。めちゃめちゃ長い文面ではなかったが、かといって、ひとこと ふたこと でパッと終わるような軽いものでもなかった。


挨拶の原稿が仕上がると、先生は、こうおっしゃった。

「それじゃあ…、この原稿を、当日までに覚えてきてね」

「ええっ! 覚えるのですか?」

「そう。全部暗記してちょうだい」

そんなの覚えなくても、当日は原稿を見ながら言えばいいのでは…? と私は訴えてみたが、先生は首を横に振った。

「アカンで。当日は、原稿を持たずに挨拶してもらうからな…」


原稿の暗記と、話し方の練習。
音楽会の当日まで、特訓が続くことになった。



出しそびれネタ?

2008年03月20日 23時16分10秒 | 鉄 道
けふは何を書こうかな…と思いながら、
「画像フォルダ」に登録されている〝歴代画像〟を見返していたら、
銀河号の画像がでてきました。
こんなの、登録していたんだな…。
「出たよ、ひとネタ」という感じで。

これは、昨年秋に東京へ行ったときに写したものです。
京都から東京まで私が乗車した、銀河号です。

写しておきながら、
「なんか、イマイチな画像だな…」
ってことで、自分では〝削除〟したと思い込んでいました。

この、きわめて大雑把な写し方が、
銀河号が消えるなんて思っていなかったことを物語っています。(←モノは言いようだな…)



↑東京駅にて。到着した直後に撮影。平成19年9月12日の朝。
 「なんだ、テールライトも早々と消してしまうんだな」と思ったのを覚えている。



↑銀河号のA寝台車の洗面所。
 自分が鏡に映らないように気をつけて撮影した。



↑このとき使用した、急行券・A寝台券。



こととい橋

2008年03月19日 16時54分12秒 | 日記・雑記
一昨日と昨日の二夜連続で放映された「東京大空襲」のドラマを見ました。
登場人物が多く、配役も豪華だったと思います。
空襲による悲惨な光景が生々しく描写されていて、最後まで見入ってしまいました。

ドラマの中で、言問橋(ことといばし)というのが出てきます。
空襲のとき、迫り来る炎に逃げ場を失った大勢の市民がこの橋に殺到して、悲惨な最期を迎えたそうです。
悲しい歴史を持っている橋なのですね。

「言問橋って、隅田川のどのあたりに架かっている橋なのだろう?」
と思って、調べて見たら、東武伊勢崎線の鉄橋の近くなのですね。


↓昨年、東京へ行ったときに写したものです。(当ブログでは再掲)


↑吾妻橋から写した、東武伊勢崎線の鉄橋です。(電車が渡っています)
 隅田川の下流側から上流側を望んでいる形です。
 東武電車の鉄橋の向こう側に、「水色の橋」がちらっと見えています。
 わかりますか?
 この、水色の橋が、現在の言問橋のようです。(合っていますよね?)

 こんど、東京へ行ったときには、訪ねてみたいです。



こんな音でした

2008年03月18日 22時02分00秒 | 動画・music,音
阪急電車の名物だった「西宮北口駅の平面交差」の動画を見つけました。

西宮で過ごした小学生時代、私も、何度もこの光景を眺めました。
とにかく、この音(通過音)が懐かしいです。


hankyu nishinomiya_kitaguchi 1983a


↑勝手に貼り付けておきながら言うのですが、やや、見づらいか…。
 しかし、大変貴重な映像です。

ここに映っているのは、
2号線(2番線)から発車していく三宮方面行きの各駅停車だと思われます。

もしかすると、画像と音声は合致していない(?)のかもしれません。
音自体は、平面交差の通過音に違いないのですが、ここに映っている電車のではなくて、別の電車で収録された通過音が重ねてあるのかも…、しれません。

↑やっぱり、私の気のせいかな? すみません。


(これよりも、もう少しクリアな画像と音声でまとめられた動画も投稿されているのですが、そちらは「埋め込み無効」の動画となっているので、ここには貼れません。関連動画の枠に入っているようだったら、そちらもご覧になってみてちょ)

↑追記:この埋め込み画面内で表示される関連動画には、入っていないみたいです。直接、ユーチューブのページへ行ってご覧ください。



京  都

2008年03月17日 15時38分38秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

小学校の遠足の思い出。

3年生の秋(二学期)は、貸切バスで西宮市内を一周。
3年生の三学期は、歩いて西宮神社と香枦園。
4年生の秋(二学期)は、阪急電車で服部緑地公園。(→雨天のため中止)
5年生の春(一学期)は、再び、阪急電車で服部緑地公園。(リベンジ)

など…、この「備忘録」カテゴリーに投稿した記事の中にも、遠足ネタは多い。
ついでに言うと、大阪弁天町の交通科学博物館にも遠足で行った記憶がある。
4年生の春(一学期)だったと思う。

その都度、行き先を考えなくてはならない先生方は大変だっただろうが、児童のほうは気楽なもので、
「こんどの遠足は、どこへ行くのだろう?」
と、心を躍らせ、担任の先生が行き先を発表されるのを、楽しみに待ったものだった。


私が通ったT小学校では、5年生の秋以降の遠足については、その行き先が毎年固定化されていた。

5年生の秋は、奈良公園
6年生の春は、伊勢志摩(修学旅行)
6年生の秋は、京都

これは毎年決まっていて、「奈良・伊勢・京都」の三点セットは、T小の高学年児童には避けて通れぬ必修メニューだった。(いずれも、全行程を貸切バスで移動。電車利用は無し)

このうち、6年生秋の「京都遠足」には、なにか儀式めいた独特の重み(雰囲気)があった。
その雰囲気は、伊勢志摩へ行った修学旅行を上回る。少なくとも私は、そんなふうに感じていた。
清水寺・金閣寺・太秦映画村などを巡り、ごくふつうに京都見物をしただけの遠足だったけれど、私は終始、目に見えないプレッシャーに包まれているような気がしてならなかった。ひょっとすると、クラスメートたちも似たような心境だったのではないか。そのプレッシャーみたいなものを、言葉で説明するのが難しい。


6年生の秋-。
卒業というタイム・リミットが意識の中に入ってくる時期ではあった。

保護者たちの間では、
「(遠足で)京都へ行ったら、(あとは)卒業式だな」
という言い回しが、しばしば語られていた。
これは、毎年6年生の保護者たちに受け継がれている、独特の表現だった。
私にはそれが悲しく聞こえた。
「京都は最後の場所…」みたいな、寂しさを感じた。
〝きょうと〟という地名の響きが、そういうイメージに はまっている気もした。

遠足に出かける楽しさと、これが最後という寂しさ。
両方が入り混じって複雑な気持ち…。
目に見えないプレッシャーとは、そういうことだったのだろうか。
いま、その京都で暮らしながら、考えてみたりする。



早速、乗りっ!

2008年03月16日 19時30分37秒 | 鉄 道



明日からお彼岸です。
業務のほうも忙しくなってまいりますが、
暖かくなってきたのが何よりも嬉しいです。

きょうは、新開業の「おおさか東線」(久宝寺~放出)に乗ってきました。
天気も良かったので、各駅には大勢の鉄道ファンが繰り出していました。
乗客の半分以上は、初乗り組だったのではないかな…?

画像は、放出駅ホームで写したもの。
うぐいす色と呼ばれる黄緑の201系電車です。
開業ヘッドマーク付きでした。



これだけか?

2008年03月15日 19時02分01秒 | 鉄 道
きょうから、JRのダイヤが新しくなりました。
新しい『時刻表』で、ちょっと調べて見ました…。


◎京都駅から乗車できる夜行列車 (時刻は、24時間制表記)

・12時39分発 寝台特急「トワイライトエクスプレス」号、札幌ゆき
・18時22分発 寝台特急「日本海」号、青森ゆき
・ 0時02分発 急行「きたぐに」号、新潟ゆき
・ 0時37分発 寝台特急「富士・はやぶさ」号、大分・熊本ゆき

※注意…「トワイライト」・「日本海」・「きたぐに」の各列車については、
    〝大阪ゆき〟も京都駅に停車しますが、ここには書き出していません。

※注意…「富士・はやぶさ」の東京ゆきと、「サンライズ瀬戸・出雲」は、
    京都駅に止まりません。


↑これで、良いんですよね? 抜けていたら教えてちょ。

「なは・あかつき」と「銀河」が廃止され、「日本海」も本数削減された結果、
京都駅から乗れる夜行列車は、もはや、これだけしか無いのです。寂しい…。

「トワイライト」は毎日運行ではない特殊な夜行列車だし、
「富士・はやぶさ」も来年春で廃止の見込み-と伝えられているし、
夜行列車は気軽に乗れるものではなくなっていきます。

京都から乗れる「東京ゆきの夜行列車」が無い、という時代になりました。

どうしても夜行で東京へ行きたいのなら、一旦大阪へ出向いて、
大阪駅0時34分発の「サンライズ瀬戸・出雲」号に乗るしかない!
あるいは、やはり…、ムーンライトながら(大垣夜行)か…。



香り消しゴム

2008年03月15日 09時32分24秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

当時、香り付きの消しゴムというのがあって、私が通ったT小学校でも、断続的にこれが流行した。

私が転校してきた直後の3年生のときに一時的な流行があって、その後、5年生から6年生にかけての時期に再び流行。高学年になっていたこともあってかブームが深度化し、香り消しゴムの一大流行期が築き上げられた。

私がいたクラスでは、主に女子の間で始まったブームだったけれど、ほどなく男子も追随し、気づけば教室内が香り消しゴムだらけになっていた。

カステラ、コーヒー牛乳、みかんジュース…など、子供たちが好きそうな甘い香りがいろいろあって、休み時間の教室内は、消しゴムの品評会場みたいな雰囲気になった。
お互いに香りを嗅ぎあって喜んでいるうちは可愛らしいものだったが、他人が持っていない〝珍しい香り〟の消しゴムを自慢する者が出始めると、状況は一気にエスカレートしていった。もう、止められない。

『クラスメートの注目を集める秘訣は、他人が持っていない香りにあり!』

とばかりに、ディープ・コレクターへの道を突き進んでしまう子が出現し、それは、日替りで大量の香り消しゴム(各種)を持ってくる〝女王〟を降臨させることになった。
「今日の香りは、たこやき…」とか言って。


言うまでもなく、こういうのは集め始めるときりがない。
典型的な、子供の無駄遣いでもある。
また、その取り扱いが、消しゴム本来の用途から逸脱していた点も問題化した。

〝珍しい香り〟を求めて校区外の文房具店へ買いに行っている奴がいるらしい…という噂が流れたり(→保護者の同伴無く児童だけで校区外へ出かけたらダメというお約束だった)、教室内での消しゴムの紛失事案も相次いだ(→盗難の疑いも拭えなかった)ため、最終的に、学校側からその旨を戒める指導が入って、ブームは一気に終息へ向かうことになった。

『消しゴムは文房具』という大義名分のもとに教室内への持ち込みが許されていた香り消しゴムの時代は、こうして幕切れを迎えたのである。



夜道が暗くなる

2008年03月14日 23時55分49秒 | 鉄 道
今夜のニュース番組でも「なは・あかつき」のこと伝えていました。
夜9時のNHKでは「銀河」を取り上げていたぞ。

ブログでも、今回の寝台特急ネタを書いている人が多いですね。
中学生か高校生ぐらいの方が書いているブログでしょうか…、
『大人になって、自分で給料を得るようになったら、寝台列車の旅を存分に楽しもうと思っていたのに…』
みたいな記述が投稿されていました。
切実…。ちょっと寂しいことですね。
私が高校生のときは、こういう〝危機意識〟は感じていなかったです。


夜行列車は、すでにその役目を終えた…とも言われています。
これは時代の流れだ、と言うのです。

東海道新幹線が開業する直前のころの『時刻表』を紐解くと、
東京から九州への移動は、1日がかりの〝大仕事〟だったことが窺えます。

一例ですが、昭和39年9月号の『時刻表』によると、
東京7時00分発の特急「第1こだま」に乗ると、大阪には13時30分着。
大阪13時40分発の特急「みどり」に乗り継いで、博多に22時35分着。

当時、東京から九州(博多)へその日のうちに到着する方法は、これしかなかったのですね。
これ以外の列車を選ぶと、全て「夜行」になります。
東京を午前に発てば、博多に着くのは翌日の午前。
東京を夕方に発てば、博多に着くのは翌日の夕方。
道中で必ず「夜行」になっていたのですね。

一日で目的地までたどり着かないから「夜行」で走り続けた…、
夜行列車が輝いていた時代って、こういう頃の話なのだと思います。
それが、夜行列車が本来持っている美しさなのだと思うのです。
野生的な美しさ…というか。

↑何を言いたいのやら…。えらい、たいそうな話になってきたでぇ。

またこんど、書きますわ。
きょうは時間いっぱいです。
0時までに投稿することにしているので。
新幹線みたいですが…。(←0時までに運行を終える、の意味です)