車両系式:16000系
登場年:昭和40年(1965年)
製造両数:20両(2連×8本,4連×1本)
680系による京都線・橿原線特急が誕生した(昭和39年)のに続いて、昭和40年には南大阪線・吉野線にも特急(座席指定制)が設定されました。大阪阿部野橋から橿原神宮前を経て吉野へと結ぶ特急の始まりです。
このときに登場したのが16000系特急車両です。
狭軌(線路の幅が狭い)の南大阪線・吉野線に対応する寸法で造られた車両なので、京都線や橿原線や大阪線(いずれも標準軌。狭軌に対して広軌ともいう)には乗り入れができません。しかし、寸法の違いを除けば、大阪線系統の11400系(新エースカー)に準じた構造でした。
16000系は昭和40年のデビュー以後、昭和52年まで、少しずつ増備が続けられ、最終的に全部で20両造られました。
用途が「南大阪・吉野特急」に限定されるので〝大所帯〟の系式ではありませんが、10年以上にわたって同一系式が増備され続けたのは、近鉄特急の歴史のなかでも珍しい例です。登場した時期によって正面窓や台車の形状に少しずつ〝違い〟があったようですが、ほかに大きな違いはなく、現在では当時の近鉄特急の香りを伝える最古参特急車となっています。
現在すでに、初期に製造された車両からは引退廃車も生じているほか、一部の編成は静岡県の大井川鉄道へ移籍するなど、動きが出ています。そのぶん、近鉄の本線上を走る16000系が減ったことになりますが、すでに後継の新型系式も登場済みで、「南大阪・吉野特急」の運行は絶えることなく守られています。
以前このブログでも紹介しましたが、まだ最近に私は久しぶりに吉野線に乗り、この16000系にも乗ってきました。
外観の見た目は〝昔のまま〟かなと思いましたが、内装は大幅にリニューアルされていて、古さを感じさせません。まだまだ使えそうな車両です。
私が初めて「南大阪・吉野特急」に乗ったのは中学生時代、昭和61年(1986年)12月のことでした。
阿部野橋から橿原神宮前まで特急に乗り、そこで準急に乗り換えて吉野まで行き、折り返して吉野から橿原神宮前まで再び特急に乗って帰ってきたものです。
このときの特急車も16000系でした。座席は回転クロスシートながら、リクライニング式ではなかったのを覚えています。また、前の座席の背もたれ(背面)に折りたたみ型のテーブルがくっ付いていて、古風な感じでした。
のちに知ったことですが、10100系(新ビスタカー)で使われていた座席が16000系に流用された例もあったようなので、或いはそれに当たったのかもしれないな…と思っています。
登場年:昭和40年(1965年)
製造両数:20両(2連×8本,4連×1本)
680系による京都線・橿原線特急が誕生した(昭和39年)のに続いて、昭和40年には南大阪線・吉野線にも特急(座席指定制)が設定されました。大阪阿部野橋から橿原神宮前を経て吉野へと結ぶ特急の始まりです。
このときに登場したのが16000系特急車両です。
狭軌(線路の幅が狭い)の南大阪線・吉野線に対応する寸法で造られた車両なので、京都線や橿原線や大阪線(いずれも標準軌。狭軌に対して広軌ともいう)には乗り入れができません。しかし、寸法の違いを除けば、大阪線系統の11400系(新エースカー)に準じた構造でした。
16000系は昭和40年のデビュー以後、昭和52年まで、少しずつ増備が続けられ、最終的に全部で20両造られました。
用途が「南大阪・吉野特急」に限定されるので〝大所帯〟の系式ではありませんが、10年以上にわたって同一系式が増備され続けたのは、近鉄特急の歴史のなかでも珍しい例です。登場した時期によって正面窓や台車の形状に少しずつ〝違い〟があったようですが、ほかに大きな違いはなく、現在では当時の近鉄特急の香りを伝える最古参特急車となっています。
現在すでに、初期に製造された車両からは引退廃車も生じているほか、一部の編成は静岡県の大井川鉄道へ移籍するなど、動きが出ています。そのぶん、近鉄の本線上を走る16000系が減ったことになりますが、すでに後継の新型系式も登場済みで、「南大阪・吉野特急」の運行は絶えることなく守られています。
以前このブログでも紹介しましたが、まだ最近に私は久しぶりに吉野線に乗り、この16000系にも乗ってきました。
外観の見た目は〝昔のまま〟かなと思いましたが、内装は大幅にリニューアルされていて、古さを感じさせません。まだまだ使えそうな車両です。
私が初めて「南大阪・吉野特急」に乗ったのは中学生時代、昭和61年(1986年)12月のことでした。
阿部野橋から橿原神宮前まで特急に乗り、そこで準急に乗り換えて吉野まで行き、折り返して吉野から橿原神宮前まで再び特急に乗って帰ってきたものです。
このときの特急車も16000系でした。座席は回転クロスシートながら、リクライニング式ではなかったのを覚えています。また、前の座席の背もたれ(背面)に折りたたみ型のテーブルがくっ付いていて、古風な感じでした。
のちに知ったことですが、10100系(新ビスタカー)で使われていた座席が16000系に流用された例もあったようなので、或いはそれに当たったのかもしれないな…と思っています。