【再掲画像】
今夜、NHK大河ドラマ『どうする家康』第29回は、「伊賀を越えろ!」でした。
おもしろかった
家康の伊賀越えは、実際にはどのルートだったのか…、諸説あるそうですが、現在の枚方から京田辺を通って木津川を渡り宇治田原のほうへ進んでいったという説は、なかなか有力()みたいです。きょうの大河ドラマ放映でも、そう解釈できるルートの地図が示されました。(…ということだと私は受け止めている。)
もっとも、放映ではアバウトな地図が示されただけで、木津川を渡るシーンの芝居とかは全然無かったです
「(一行は)木津川を渡り、のぶせりの襲撃を退けた朝宮の辺りでは…(略)」というナレーション解説のみ。
京田辺を通り抜けていく部分は、一瞬(超速)でした。
なお、京田辺市は、「家康公伊賀越えゆかりの地」として観光PRに努めています。
京田辺から草内の渡し船で木津川を渡っていった…というルートは、方角的にも無理なく伊賀越えに結ばれるし、〝あり得る〟ルートだと思います。本当はどうだったのか、知らんけど。
以前に当ブログに書いたかもしれないけれど、枚方から京田辺を通って木津川を越えていったとなると、現在のような道路網が無かった時代のことだし、場合によっちゃぁ家康は「甘南備山」の山中を通過したのではないか?という可能性も… そういう説を唱える方々もおられるようです。そう思って甘南備山を歩いたら、なんだか気分も変わります。
◎木津川に設置されている説明プレート
国道307号線山城大橋そばの木津川自転車道のわきです。草内の渡し(跡)の石標が立っているところに、新たに「家康公伊賀越えの道」石標と説明プレートが設置されています。
家康がこの地を通過していったのだと信じましょうや
※今年6月に撮影。
※今年6月に撮影。
今夜、NHK大河ドラマ『どうする家康』第29回は、「伊賀を越えろ!」でした。
おもしろかった
家康の伊賀越えは、実際にはどのルートだったのか…、諸説あるそうですが、現在の枚方から京田辺を通って木津川を渡り宇治田原のほうへ進んでいったという説は、なかなか有力()みたいです。きょうの大河ドラマ放映でも、そう解釈できるルートの地図が示されました。(…ということだと私は受け止めている。)
もっとも、放映ではアバウトな地図が示されただけで、木津川を渡るシーンの芝居とかは全然無かったです
「(一行は)木津川を渡り、のぶせりの襲撃を退けた朝宮の辺りでは…(略)」というナレーション解説のみ。
京田辺を通り抜けていく部分は、一瞬(超速)でした。
なお、京田辺市は、「家康公伊賀越えゆかりの地」として観光PRに努めています。
京田辺から草内の渡し船で木津川を渡っていった…というルートは、方角的にも無理なく伊賀越えに結ばれるし、〝あり得る〟ルートだと思います。本当はどうだったのか、知らんけど。
以前に当ブログに書いたかもしれないけれど、枚方から京田辺を通って木津川を越えていったとなると、現在のような道路網が無かった時代のことだし、場合によっちゃぁ家康は「甘南備山」の山中を通過したのではないか?という可能性も… そういう説を唱える方々もおられるようです。そう思って甘南備山を歩いたら、なんだか気分も変わります。
◎木津川に設置されている説明プレート
国道307号線山城大橋そばの木津川自転車道のわきです。草内の渡し(跡)の石標が立っているところに、新たに「家康公伊賀越えの道」石標と説明プレートが設置されています。
家康がこの地を通過していったのだと信じましょうや
※今年6月に撮影。
※今年6月に撮影。