朝日新聞のコラムに「CM天気図」というのがある。
コラムニスト天野祐吉氏がCMを通して、世評を語るのだが、その口調は柔らかく、それでいてピリリと辛口なコメントがいい。
『CM天気図からの抜粋』
茶の間で柳葉敏郎さんが、「朝は納豆だよなあ」とつぶやきながら、一人朝ごはんを食べている。 と、そこにとつぜん、スーツにネクタイ姿の児玉清さんが現われる。
とつぜんのチン入者の理不尽な質問にびっくりしている柳葉さんに、その顔をしばらくじっと見つめてから、児玉さんが口を開く。
「ハイッ、正解は“大豆ノススメ”」
この「・・・・・ハイッ」というときの「・・・・・」の部分、つまり“マ”のとり方と、「・・・・・」を支える児玉さんのキマジメな表情がいい。
この「・・・・・」が、みのもんたさんの場合は長すぎるし、表情もイジワルっぽくなる。それがみのもんたさんの持ち味ではあるのだが、僕には児玉さんの「・・・・・」のほうが、本物の「・・・・・」を感じさせてくれるような気がする。
いまのテレビにはあまりに「・・・・・」がないということにも、このCMは気づかせてくれる。切れ目なくしゃべりつづけているテレビの中に、不意に「・・・・・」が現われると、そのことで僕らは、「・・・・・」ということばの持つ雄弁さに、あらためて気づかされる事になるのだ。(コラムニスト・天野祐吉)
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
以前、女優のいしだあゆみさんが言っていた。
若い頃、森繁久弥主演の「11人の孫」というテレビドラマに出演していた時の話。
リハーサルでのこと、森繁氏が台詞の途中、空白の時間があった。ADが彼に台詞を伝えたその時、彼は烈火のごとく怒ったそうだ。
「これは“間”なんだ、そんなことが解らないでドラマなんかやるな!」
その時に“間”というものを教えられたという。
また“遊び”も時には必要かもしれない。
車のハンドルもそうであり、我が職業のダンスを踊るときの二人のポジションも、ピタリと張り付くのではなく、そこに遊びがないとうまくいかない。それは生きていく過程でも同じ、ピンと張り詰めたままでなく、何処かに緩みがなくてはいけないのではないか。
“間”をとること、そして“あそび”を持つこと、それが長続きのコツではないかと、半年を過ぎたブログへの思いであると同時に、生きる術(すべ)でもあるような気がする。
間抜けにならないブログを心がけたいが、はたしてうまくいくだろうか?
2005.08.02
コラムニスト天野祐吉氏がCMを通して、世評を語るのだが、その口調は柔らかく、それでいてピリリと辛口なコメントがいい。
『CM天気図からの抜粋』
茶の間で柳葉敏郎さんが、「朝は納豆だよなあ」とつぶやきながら、一人朝ごはんを食べている。 と、そこにとつぜん、スーツにネクタイ姿の児玉清さんが現われる。
とつぜんのチン入者の理不尽な質問にびっくりしている柳葉さんに、その顔をしばらくじっと見つめてから、児玉さんが口を開く。
「ハイッ、正解は“大豆ノススメ”」
この「・・・・・ハイッ」というときの「・・・・・」の部分、つまり“マ”のとり方と、「・・・・・」を支える児玉さんのキマジメな表情がいい。
この「・・・・・」が、みのもんたさんの場合は長すぎるし、表情もイジワルっぽくなる。それがみのもんたさんの持ち味ではあるのだが、僕には児玉さんの「・・・・・」のほうが、本物の「・・・・・」を感じさせてくれるような気がする。
いまのテレビにはあまりに「・・・・・」がないということにも、このCMは気づかせてくれる。切れ目なくしゃべりつづけているテレビの中に、不意に「・・・・・」が現われると、そのことで僕らは、「・・・・・」ということばの持つ雄弁さに、あらためて気づかされる事になるのだ。(コラムニスト・天野祐吉)
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
以前、女優のいしだあゆみさんが言っていた。
若い頃、森繁久弥主演の「11人の孫」というテレビドラマに出演していた時の話。
リハーサルでのこと、森繁氏が台詞の途中、空白の時間があった。ADが彼に台詞を伝えたその時、彼は烈火のごとく怒ったそうだ。
「これは“間”なんだ、そんなことが解らないでドラマなんかやるな!」
その時に“間”というものを教えられたという。
また“遊び”も時には必要かもしれない。
車のハンドルもそうであり、我が職業のダンスを踊るときの二人のポジションも、ピタリと張り付くのではなく、そこに遊びがないとうまくいかない。それは生きていく過程でも同じ、ピンと張り詰めたままでなく、何処かに緩みがなくてはいけないのではないか。
“間”をとること、そして“あそび”を持つこと、それが長続きのコツではないかと、半年を過ぎたブログへの思いであると同時に、生きる術(すべ)でもあるような気がする。
間抜けにならないブログを心がけたいが、はたしてうまくいくだろうか?
2005.08.02