勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

「娘はどこ?」「捜してみます」

2005-09-04 23:28:35 | Weblog
 一昨日の朝日新聞の夕刊から。

◆副駅長の電話、母励ます 
 宮城沖を震源に震度6弱を記録した先月の地震。停止した東北新幹線に、埼玉県内の中学生の姉妹が閉じ込められた。
行方を問い合わせる母の電話に、盛岡駅の副駅長は「捜してみます」。
混乱の中、丁寧な対応が母を励ました。
 
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 青森県十和田市の実家に、中3と中1の二人の娘を送り出した母の泰代さんは、さいたま市の自宅で地震を知った。娘達が帰宅する16日である。
「はやて12号」に乗った娘は・・・・・。
新花巻駅、一ノ関駅に電話をかけるがどこも「わからない」というばかり。
「中学生に携帯電話は早すぎる」と許さなかったのを悔やんだ。

 テレビニュースで「はやて12号」盛岡に戻る、と知る。
直後の電話を、盛岡駅の佐藤敏喜副駅長(47)が受けた。

           
             ≪朝日新聞から≫

「娘と連絡が取りたい」
「心配ですね。場内アナウンスで捜してみます」

 佐藤さんは駅の構内放送で3度呼びかけた。呼びかけた後はその都度泰代さんに電話した。
「まだお見えにならないようです。もうしばらくお待ち下さい」

 ようやく盛岡に着いた姉妹は、公衆電話から無事を知らせた。
泰代さんは涙が出そうだった。

 3度目の構内放送後、佐藤さんは泰代さんに電話をかけた。
「まだ・・・・・」その声を遮るように、泰代さんは言った。
「娘から電話がありました。今、電話しようと思っていました。ありがとうございました」

 地震発生から9時間がたっていた。佐藤さんは翌17日未明にかけ、安否や運行時間の確認を求める計50本以上の電話を受けそれぞれに対応した。

 「私にも子どもがいるから、親の気持ちは痛いほど分かる。同僚と一緒に、当たり前のことをしただけです」副駅長さんは、顔をほころばせた。

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 今日も「ホツ!」
2005.09.04