勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

感動

2007-08-10 13:20:32 | Weblog
感動とは
感じて
動く

と かくんだなぁ

-みつをさん-


 「まァ、きれい!!」
その朝、狭い庭に咲いていた一輪の小さな茄子の花を見て、母は両手をひろげて大きな歓声をあげました。母の着物の袂にぶらさがっていた幼いわたしは、母の感動をその袂を通して全身に浴びました。

 それ以来わたしは、茄子の花の美しさにひかれ、自然の美しさに感動するようになりました。そして、そのことがわたしから子供へ伝わり、子供から孫へ伝わってゆきました。いまでは初夏の茄子の花を見ると、幼い孫までが「わァ、茄子の花!!」と、歓声をあげるようになりました。

 美しいものを見たら、素直に感動する人間に育てることが大切だと思います。

≪神奈川県小田原市にお住まいの、人間教育家・和田重正先生の言葉≫

-相田みつをさんの著書「一生感動一生青春」から-

 
 子供の頃、埼玉の農村で育った僕は、自然の美しさに囲まれて過ごした。
春、風になびく麦の穂の波の中から飛び立つ雲雀の声。麦刈りを終え、脱穀した麦わらで編んだ籠を片手に、桑の実を採りに行った暑い夏の日。秋、夕日に映える秩父の山並みに拡がる真っ赤な夕やけ。その夕やけに染まって群れをなして飛ぶ赤とんぼ。冬、親父に叱られて裸足で飛び出した、30cmも積もった雪の朝の冷たい感触。

 そんな自然の景色の中に一人で佇むのが好きだった。さくらの咲く春には「花かげ」を歌い、夕やけに向かって歌った「赤とんぼ」。親父に叱られて、泣きながら歌った「叱られて」。どれもが懐かしく思い出される。

 相田みつをさんは、その著書の中でいう。「建物や施設は、金さえかければどんなものでもできるが、人間を育てるためには、金や物には代えられない、もっと大切なものがいっぱいあるはずだ。それは、眼に見えない子供の心です。子供の心、子供の情緒を育てるためには、親自身が豊かな心を持つことが大切ではないか」

 年とともに感動することに鈍感になってきたが、今、僕はブログを通じて、様々な感動にめぐりあう。皆様の記事やコメント、今まで気にも留めなかった、身の回りの出来事。それらを通して感動を得、生きている喜びを実感し、再びの青春を蘇らせている。
 
 我がブログのタイトル
◇ 「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・ ◇
にはこんな気持ちが含まれています。一日一つの感動を記事にする喜びも含めて・・・♪