明治時代、八百屋の店主で「長兵衛」という人物がいた。通称を「八百長」といい、囲碁仲間で大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫との対戦では、わざと負けご機嫌をとり、商売につなげた。八百長の語源である。(大辞林より)
江戸時代の伝説の名横綱・谷風梶之助は、その強さは敵なしだったが、にこやかで人情に篤(あつ)く、おごりもない。貧乏佐野山と揶揄されていた力士の佐野山が、大病の親のため、毎夜お宮で水垢離(みずごり)をして神頼みをしているという噂を聞く。
谷風は、佐野山との対戦で、一世一代の芝居をして負けた。谷風に勝った佐野山は、満場の観衆からの御祝儀金で、親を名医に診てもらい、借金も返済し故郷に帰った。谷風にだまされた江戸っ子は、「いい話じゃねぇか。人情相撲だよ」と言って彼を称(たた)えた。(茨城大准教授・磯田道史さん、コラム『昔も今も』 から)
大相撲では、八百長相撲のことを「注射」というらしい。効き目は打ってみないとわからない。日本の国技・大相撲の興味は土俵の外から、法廷に移ってしまった。
谷風は、佐野山との対戦で、一世一代の芝居をして負けた。谷風に勝った佐野山は、満場の観衆からの御祝儀金で、親を名医に診てもらい、借金も返済し故郷に帰った。谷風にだまされた江戸っ子は、「いい話じゃねぇか。人情相撲だよ」と言って彼を称(たた)えた。(茨城大准教授・磯田道史さん、コラム『昔も今も』 から)