勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

ペペロミア

2006-09-11 23:56:08 | Weblog
 昨年の10月27日、同じ幹から色のないおかしな葉が出てきたことの驚きと、この植物の名が知りたくて、皆さんに問いかけをしました。
たくさんのコメントをいただき、皆さんの優しさとその出会いに感激したものでした。

 その植物「ペペロミア」 はその後も白い葉とともにたくましく育ちました。
直射日光に弱いと知り、夏の間はベランダの隅のほうに追いやり、あまり手をかけず忘れかけていたのです。
この数日の暑さに、水遣りをしながら場所を変えようと手にしてびっくり、なんと美しい花を咲かせているではないか。おまけにその花からは、えもいわれぬ芳しい香りがする。こんなに美しく咲き、香っているのに気がつかなかったとは・・・。


マウスオンでご覧ください

 早速丁重に扱い、玄関先の良く見えるところに昇格させた。こんなに美しい花を咲かせる植物だとは知らなかった。もっと大切にしなくっちゃ。この花、僕の身勝手な扱いに戸惑っているだろう。

花は



花は自分の美しさを
知らないから
美しいのだろうか
知っているから
美しく咲けるのだろうか

-星野富広さん-
 
 こんな小さな出来事が、今日一日を幸せな気持ちにさせてくれた。
2006.09.11

十戒

2006-09-10 22:20:25 | Weblog
モーゼの十戒 
1
ヤハウェが唯一の神であること
2
偶像を作ってはならない(偶像崇拝の禁止)
3
神の名をいたずらに取り上げてはならない
4
安息日を守る
5
父母を敬う
6
殺人をしてはいけない
7
姦淫をしてはいけない
8
盗んではいけない
9
偽証してはいけない
10
隣人の家をむさぼってはいけない

 ユダヤ教による十戒は、1~4までは宗教的な戒律、5~10は人と人との間の教えである。

 少年たちによる悲しい事件が後を絶たない。彼らにとっての生命とは何だろう。
日野原重明さんは著書「生き方上手」のなかでいっている。

 
 私が子どものころには、夏休みが明けてみると、同級生の一人二人あるいは幼い知り合いの子どもが病気や事故で亡くなっていることがよくありました。
ところがいまでは、死はテレビや小説のなかにだけに存在するフィクションであるかのようです。日本人のほとんどが病院で死ぬようになってから、よほどの近親者でもない限り、死の場面に遭遇することはありません。
いのちあるものにいずれ死が訪れることは頭ではわかっていても、実感はない。人の死によってもたらされる喪失感や心の痛み、その他諸々の感情に、ことに若い人たちは未知です。

-日野原重明さん-


 人として最低限守らなければならないのが、「殺人をしてはならない」だろう。少年だけではない、大人だって同じだ。ましてやテロや戦争による大量虐殺など言語道断。「一人を殺せば殺人、多数を殺せば英雄」そんな道理があるはずもない。

 ところであなたは人を殺したいと思ったことがありますか?
僕は殺したいと思ったことがあるかどうかは忘れました。たぶんあると思います。
「死ねばいいのに」と思ったことはたくさんあります。
子どものころ、いつも親父に叱られてばかりの僕は、その度に「親父なんか死んじゃえばいいのに」と思っていました。十戒の「5」に反しています。
また、恋敵を「死ねばいいのに」と思ったこともあります。「7」に反しているのかなぁ?
他にも心の中では多勢の人を殺しているかもしれません。



私もあの犯人と
同じことを
考えたことがある
それがどんなに
悪いことか
今 あの人が教えてくれた

-星野富広さん-



小噺

「貴女は離婚を考えたことがありますか?」 
「いいえ、一度もありませんわ」
「ただ・・・」
 
「ただ、なんですか?」 
「殺そうと思ったことは何度もあります」
 2006.09.10

サギ

2006-09-09 21:58:10 | Weblog

 上野不忍池には年間を通してサギが飛来している。このサギ、ダイサギというそうで、コウノトリと同じ仲間だそうだ。





 
 蒸し暑い一日となった今日の東京。不忍池ではこのサギが美しい姿で羽を休めていた。

 サギのうち羽が白いダイサギ・チュウサギ・コサギ・アマサギ(アマサギは冬羽のみ)を白鷺と呼ぶそうです。
2006.09.09

コウノトリ

2006-09-07 23:52:42 | Weblog


人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく
文仁親王殿下

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる 
文仁親王妃紀子殿下

 お二人が詠まれたコウノトリは、日本中に明るい知らせを届けてくれた。

 帝王切開という方法による分娩は危険も伴うと聞く。

 長い間、この帝王切開の帝王とは、あのジュリアス・シーザーのことと信じて疑わなかった。シーザーがこの方法で生まれたことからこの名がついたと何十年も思っていた。

 ところがこれはラテン語の「kaiserschnitt」の翻訳を「切る」と言う意味の単語二つが重複しているため、カエサル(シーザー)と間違えて「帝王切開」と訳してしまったのだという。な~んだ、そうだったのか。

 我が大辞林にも両方の説が載っていた。

 どちらにしてもおめでたいこと、母子ともに健やかならんことを祈る。
2006.09.07

道化師

2006-09-06 12:59:48 | Weblog
我が家にはピエロが三人いる。

一人目
昨日コスモスさんからいただいた手作りのピエロ
 
かわいいでしょ

二人目
以前から住みついている我が家の主(ぬし)
 
威張ってる

三人目
我が家の一番ドジなピエロの子供のとき

 マウスオンしないでください

子供のときから禿げていたわけではありません。
 2006.09.06

良き友・悪しき友

2006-09-05 16:36:33 | Weblog




友とするにわろき者、七つあり
一つには、高くやんごとなき人
二つには、若き人
三つには、病なく身強き人
四つには、酒を好む人
五つには、たけく勇(いさ)める兵(つわもの)
六つには、虚言(そらごと)する人
七つには欲ふかき人

-吉田兼好『徒然草』より-
 
 友人にするには向かないタイプが七つある、と兼行はいう。
その中の六つ目に「嘘をつく人」をあげている。
 


世に語り伝ふること
まことはあいなきにや
多くはみな虚言(そらごと)なり



かつ現(あらわ)るるも顧みず
口にまかせて言ひ散らすは
やがて浮きたることと聞こゆ

 世の中に広く伝わる話は、事実そのままだと受けないからか、大部分は「うそ」で固めてある。



 話すそばから、「うそ」がばれるのも気にしないで、口からでまかせにしゃべり散らすのは、すぐに信頼できない話と判断される。



とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり
ただ常にある珍しからぬことのままに心得たらむ
よろず違(たが)ふべからず
下ざまの人の物語は、耳驚くことのみあり
よき人は、怪しきこと語らず。

 何といっても、「うそ」の多い世の中である。「うそ」とわかっていても、深く関わらず、よくある世間話くらいに受け取っておくのが、一番無難である。無教養な人間の語る話は、びっくりするような珍談・奇談ばかりだ。一方、教養人は、奇怪なことは口にしない。


 僕にとっては、ちょっと耳の痛い話であるが、兼行は「うそ」を否定しながらも、真と偽の両面を併せ呑む態度も勧めている。

 うそも方便といいます。うそをつかない人間はいません。意地の悪い嘘、悪意の嘘は許せないが、「うそ」と上手に付き合いながら、「悪しき友」にならず、「良き友」を選ぼうではありませんか。

 聡明な『悩める人』と、『吉田兼行』から学びました。 

 「悪しき友」のほかの六つは、誤解を招くといけないので、機会を見て検証したいと思います。
2006.09.05

言葉の真実

2006-09-04 14:18:30 | Weblog
 「言葉を信じられない」という。『悩める人』からの相談である。
ある人は、自分と話している言葉と、他の人に話す言葉が違う。ある人は、好意を持って接してくれていると思ったら、陰で悪口を言う。「人の言葉が信用できない」という。
 
 またある人は、自分の行為を正当化して話す。どう考えても不自然なのに・・・。
それがもし、自分自身にとってマイナスのイメージだとしても、真実を話してくれたほうがその人を信用できるのに。いい格好をすることが不審を招くと言った。

 相談に来た『悩める人』は、人の言葉に不審が募るばかりだという。
言葉には、本音と建て前がある。言葉の裏にある本音を見分けるのは難しい。
しかし、この『悩める人』は本音と建て前をしっかりと見極めている。

 自分の考えが間違っているのではないかと、疑問に思っていたのだろう。

 僕は言った「あなたの考えていることは間違っていません。あなたの見る目も確かです。ただ、人とのお付き合いの中で、どこまで許せるかを考えてみましょう。すべてが完璧という人はいません。欠点を許せるだけの長所があるならば、そこを見てお付き合いをしたらいかがでしょう。許せないならば、距離を置きなさい」

 この『悩める人』が見たように、言葉の嘘の裏にある真実は見えてくるものです。
美辞麗句で自分を着飾っても、その人の言動に本音が見えてくる。
特に第3者との会話に耳を傾けるとよい。客観的な見方ができてその人の考え方や本当の姿が見えてくるものだ。
<
-しおん-

ほんとうの ことなら
多くの言葉はいらない
 
野の草が 風にゆれるように
小さなしぐさにも 輝きがある

-星野富広さん-

風のそよぎにも
草の囁きにも
人もし心あらば
そこに真実がある

 聡明な『悩める人』は、これからもたくさんの経験をして、より大きくなっていくに違いない。
2006.09.04 

天高く

2006-09-02 23:36:43 | Weblog

今日、あなたは空を見上げましたか
空は遠かったですか、近かったですか
雲はどんなかたちをしていましたか
風はどんな匂いがしましたか
あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか
「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか

-長田 弘・詩集「最初の質問」より-
 

 窓から流れ込む冷たい風に目が覚めた。カレンダーをめくると同時に、季節も変わった。気が付くと、空も雲も風も秋だった。
秋の空は高いという。なぜ秋の空は高くて青く澄んでいるのだろう。

 空は空気中の不純物によって見え方が違うという。
夏の太平洋高気圧は、暖かい湿った風が吹き、水蒸気をいっぱい含んでいる。

 これに比べて、秋の大陸で育った乾燥した空気を持つ移動性の高気圧は、まだ夏草が茂り、砂やほこりが抑えられ空気も乾燥しているため、空は澄み切っている。

 太陽光線のうち、波長が短い青色の光線は、不純物の少ない空気中で散乱して、より多く地上に届くので、青く澄んで高く見えるのだそうです。 

※日本気象協会北海道支社 光永 佳津実さんのHPを参考にしました。

 
 また、大阪管区気象台の天気相談所は、空が高く見える要因のひとつに「特に秋には、上空の高い所にできる雲がよく見える」ことをあげている。


 高く、青く澄んだ秋の空に、いわし雲が美しかった。
 雲さ~ん あまり高いところへ行くと「はぐれ」ちゃうよ~。 
2006.09.02