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勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

棟方志功展

2010-04-10 00:19:06 | Weblog
 信仰心が篤いわけではない、美術に造詣が深いわけでもない。しかし、良いものを見聞きすることは嫌いではない。誘われるままに出かけた棟方志功展。


 日本を代表する世界的な版画家、棟方志功が浅草・東本願寺茶室に一日で描いた二十八枚の襖絵は、保存状態もよく初公開だという。


 信仰心が篤く、仏教的テーマや宗教的表現が多い棟方志功の作風は、極度の近視とは思えないほど自由奔放で大胆。
「或るものを真っ裸にしたものこそぼくの世界」という志功が好んだ言葉は、 『花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)』
「自分がどんなに偉い人であろうと、金持ちであろうと、この大自然の中では、私たちは皆とても小さく、私たちの足跡などすぐに消されてしまうもの」という意味だそうだ。

 誘いがなければ行かなかったであろうこの棟方志功展。信徒や他の寺院の所蔵品も含め、はじめて触れた志功の世界に圧倒され、その襖絵を見てもなにが良いかはわからないが、大自然の中の小さな僕にも迫力は伝わってきた。

医食同源

2010-04-09 02:11:46 | Weblog
 風邪をこじらせたか、2ヶ月以上も体調不良で起き上がれず、医者通いのお客様。何度も検査をしたが異常なく、ストレスなど精神的なものといわれ、神経内科にも通いはじめた。そこでは、家に閉じこもっていないで、出歩くことを勧められたという。風は冷たいが良い天気なので気晴らしにと、お花見がてら力を付けるためにと食事に誘われた。


 2ヶ月ぶりの外出は、浅草の老舗、隅田川沿いにある「前川」の鰻が食べたいという。心臓病をはじめ、複数の生活習慣病を患っているため、食前食後には数え切れないほどの薬を飲む。

 カロリーを控えめにという理由で、ランチのうな重で我慢し、半分は僕がいただいた。カロリーの摂り過ぎにも注意を払っているが、食べる欲望にはなかなか勝てないらしい。

 病院に行く前日になると、血糖値を気にして食べることを控えるが、その理由は「医者に叱られるから」というのが口癖。僕は言う、「医者のためじゃなくて自分のためでしょ・・・」「それに、明日の検査のためなら、もっと前から気を付けなくちゃ」。


 おもむろに取り出した薬を数えながら、「こんなにたくさん薬を飲んでいるけど、どこも悪くないんだって」と言う。「違うでしょ、そんなに薬を飲んでいるから悪くならないんでしょう」。そう言って笑ったが、食前の薬を飲み忘れたことを気付くのはいつも僕。


 この方、自分の病気の自覚が薄いようだが、久しぶりの外出で少しでもストレス解消のお役に立てば嬉しいが。。。♪

花の雲

2010-04-06 23:35:24 | Weblog
 せっかく桜が満開になったというのに、日替わりの気まぐれな天気は薄情な女心のようでもある。しかし、昨日の冷たい雨が嘘のように晴れ上がった東京は、穏やか春の陽射しが降り注ぐ絶好の花見日和になった。




花は上野よ 柳は銀座 月は隅田の屋形船
 
 と、東京音頭にも歌われるように、花の上野に行かずして花を語るなかれ、などと云うつもりはないが、うららかな春の陽気に誘われて出かけた上野公園。心配した花は散りもせず、桜の下は人の波。 

 

春眠暁を覚えず
処処に啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知んぬ 
多少ぞ

-孟浩然-



春あけぼのの うすねむり
まくらにかよう 鳥の声
風まじりなる 夜べの雨
花ちりけんか 庭もせに  

-土岐善麿 訳-
 
 左甚五郎作の眠り猫が、日光から上野まで花見に来たのかと驚いたが、その人気にもニャンとも言わず、<花の下(もと)にて春眠らむ>と言ったかどうかは定かではない。



花の雲 鐘は上野か 浅草か 
-芭蕉-

 眠り猫が日光東照宮ならば、上野東照宮傍には寛永寺五重塔があり、花の雲に霞んでいた。<明日ありと思う心の仇桜・・・>というが、花見は何度してもいいもんだ。夜半(よわ)の嵐が吹かぬうち。。。

桃ラー

2010-04-05 22:19:03 | Weblog
 或るものの愛好家を、その名前の後に“er”をつけて「・・・ラー」と呼ぶ。かつてはアムラーシャネラーという言葉が踊った時期もあった。
最近「桃ラー」なる言葉を知った。昨年桃屋が発売した「辛そうで辛くない少し辛いラー油」が大人気で、各局のテレビでも紹介され、店頭から姿を消したと聞く。そんなに人気があるものなら、一度は食べてみたいと思うのが人の常。しかしスーパーでも見当たらない。友人に話すと、早速見つけてきてくれた。


 といっても桃屋のそれではない。他社のものだが、同じ具入りラー油である。ラー油は、「ごま油で唐辛子を煮て油に辛味をつけたもの」だという。栄養価も高く、肝機能を高め、成人病を防ぎ、老化やガンの予防にも効果がある、などなど、その効能は万能薬といってもいいらしい。更に美容にも効果があるとか。

 それではと、温かいご飯に掛けて食べてみた。ン~ム、不味くはないがいまいちだ。先日自分で噛んだ唇に沁みる。恐る恐る食べたのでは味わう余裕もない。


 このままでは引き下がれない僕は、同じ様に唇に沁みることを覚悟でラーメンを作って、このぶっかけラー油を入れてみた。唇に沁みて、痛いのを我慢しながらであるが、ご飯に掛けるよりははるかに美味い。ネットで調べてみると、この具入りラー油の食べ方の様々なレシピが紹介されている。工夫次第では料理の巾が広がりそうだ。今までラー油を使う機会はあまりなかったが、健康にも良いと聞けば放っておく手はない。僕も桃ラーのひとりになりそうである。

花の命

2010-04-04 02:11:50 | Weblog
 好事魔多しというけれど、とかくよいことには邪魔が入るものである。桜が咲き始めてから寒い日が続き、やっと満開になったとの知らせに、嵐のような激しい風雨が吹き荒れた。

 その昔、吉原遊郭への通路の一つであり、「おだいじん」の“山谷通い”とも呼ばれた山谷堀。今は埋め立てられて公園になっている。隅田川に架かる桜橋に続くこの山谷堀公園の桜並木は、知る人ぞ知る隠れた桜の名所である。

 その山谷堀公園を抜けて桜橋の上から眺めると、隅田川に浮かぶ屋形船が、春のうららを謳歌しながら夜の帳(とばり)を待ちかねている。

 桜橋から墨田区側に抜けると、高速道路に沿って桜並木が広がる。陽射しも見えた土曜の午後、絶好のお花見日和と思いきや、夕闇迫る頃には雨雲に覆われて今にも泣き出しそうな空模様。

 人混みの中を抜けて吾妻橋を渡り、台東区側の隅田公園に着く頃には、雨の雫が肩を濡らす。ライトに照らし出された夜桜も、心なしか寂しそう。「ハナニアラシノタトへモアルゾ、サヨナラダケガジンセイダ」と云った人もいる。 花に嵐・月に叢雲(むらくも)は世の常。花の命は短いものだ。

臍を噛む

2010-04-01 22:27:40 | Weblog
 あなたは臍(へそ)を噛んだことがありますか?えっ、他人の臍ではないですよ!自分の臍です。そんな事できるかって?そう、できませんよね。デベソでも・・・(笑)
 
 臍(ほぞ)を噛むという言葉がある。「悔やむ」「後悔する」の意味で使われるが、自分で自分の臍(へそ)を噛もうとしても届かないことから、手の打ちようのない「激しい後悔」のことをいうらしい。

 砂を噛むような味気ないのは我がblog、だからといって舌を噛んで死ぬほどのことでもない。「あなたが噛んだ小指が痛い」などと言われるような、誰かの小指を噛んだ想い出も、噛まれた想い出もない。ペギー葉山さんは「爪を噛むのは良くないわ」と、歌ってるが、悔しい時に噛むのは唇。しかし、昨日、僕は悔しいことがあったわけでもないのに食事中に唇を噛んでしまった。


 慌てていたわけでもなく、何日も食べられないほどお腹を空かせていたわけでもないのに、思い切り噛んだ唇は飛び上がるほどの痛さだった。
そして今日は、熱いみそ汁も、辛いものも、温かいご飯さえも沁みる。お茶もコーヒーも飲めず、ペットボトルの飲み物さえ唇に当たって飲むのに苦労する。
親父からは、よくそそっかしいと言われた僕だが、今日は一日「唇を噛むのは良くないわ♪」と歌いながら、臍(ほぞ)を噛んでいた。( ̄□ ̄;)