歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

流星ワゴンに乗る前に

2020年05月16日 | 
重松清の2002年の小説『流星ワゴン』を知っているだろうか。

悲惨な現状に苦しむ主人公が時空を超えるワゴン車に乗って、

過去に戻り幸せな現在を手に入れるべく奔走するという物語だ。

今思えば今流行りのタイムリープものの走りじゃないかと思う。



なぜかは知らないけれど私の夫は無類のタイムリープ好きで、

過去に戻って頑張ってさえいればなんだって好きなのだ。

私はといえば随分前に夫に勧められて読んだのだがあまりピンとこなかった。

でも未だに強く印象に残っている箇所がある。

それは、

過去を振り返った場合人生にはいくつかの分岐点がありその時の行動が現状を決定づけているということ。

例えば不幸な現状があった場合、ある過去の時点に絶対に見逃してはいけないサインが発せられていたのに、

それを重要視しなかった、あるいは気づけなかった結果取り返しのつかない今になってしまっているということ。

『流星ワゴン』では妻や息子が発していたサインを見逃してしまったのだ。



私はよくこのことを思い出す。

私の場合は過去を振り返るというより、今が未来にとっての過去だという認識のもと思いを馳せる。

つまり今がまさに分岐点かもしれない、サインを見逃してはいけない、という風になるわけだ。

幸せな未来が欲しいという漠然とした思いすら浮かべず、ただ単純に「今」を遊ぶ妄想に近い。



一人じゃつまらないので夫にこの遊びを押し付けることもある。

夫にチクリと嫌なことを言われたら「今が分岐点かもしれないよ」って言い返したりして、

むしろ岐路に立たされているのは私の方だったって可能性の方が高いな。



それにしてもどうしたって『流星ワゴン』のラストが思い出せない。

主人公は幸せになれたのだろうか。

やはり大事なのは結末よりそこに至る過程ということか。

人生が続く限り、今なおずっと分岐点であり続けている。

『流星ワゴン』はきっと逆説的に「今を大事にしろ」と言っているんだろうね。

これが簡単そうで難しい。



重松清の小説がすごいのは印象的な考え方や強い言葉を読む人の心にざっくり刻むところ。

夫婦の会話で「流星ワゴン」や「分岐点」、それに『疾走』の「穴ぼこの目」といのは未だによく出てくる。

『疾走』も随分前に読んだけれど、あのなんとも言えない読後感は鮮明に覚えている。

人生でもう二度と読むことはないと言い切れる、なのにこんなに強く残っている、すんごい小説。


虫眼鏡で一人遊びパート2
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 匿名との距離感について | トップ | 万歳 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事