年末年始は落語を聞きたい、なんてここ数年の生かじり感覚だけど、やはり今年も聞きに行く。
去年は六本木EXシアターにて立川志の輔「歓喜の歌」を聞きに行き、
本物のママさんコーラスによる生歌のサプライズを受けた。
大音量のベートーヴェン「歓喜の歌」はすごい迫力で、幸せな年末となった。
さて、今年は三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂にて同じく立川流の立川談春「文七元結」。
35周年記念独演会『阿吽』ー平成から令和へーの1日目で、2日目は「芝浜」をやったらしい。
談志のこともあるので談春の「芝浜」も魅力的だったけど、私が公演を知った時すでに売り切れていた。
談春は若い頃ギャンブル狂だったこともあり、彼の「文七元結」は説得力があるとどこかで聞いたことがある。
むしろ1日目がいいではないか、と夫と二人で寒い中三軒茶屋へ向かったのだ。
志の輔の時同様2階席の端っこでげんなりしたけど、2階席はカーブを描いているので高座は思いの外近かった。
一階席から見た舞台。
19時過ぎ、お囃子が盛り上がって立川談春登場!!
わははぁ〜2回目の談春だ〜!
1回目の時は寝不足に加えお腹を壊しほとんど覚えていないのでリベンジ気分。
1話目は枕は無く、「百両欲しい〜」で始まるおなじみの「夢金」だった。
強欲な船頭が手柄を立て大金を手に入れたが、それは夢でしたという所謂夢オチの話。
今までいろいろな人の「夢金」を聞いたけれどこの話はどうも好きになれない。
そもそも夢オチがあまり好きじゃないし、落語×物騒という組み合わせが肌に合わないのかも。
それでもだいたい40分あった談春の「夢金」は体感時間15分。
自覚がないほど集中して聞いていたみたいで、面白かったのかすらよくわからない。
そして休憩15分を挟みいよいよ「文七元結」だ。
「文七元結」は言わずと知れた人情噺。
本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にはまってしまい家は貧乏で借金だらけ。
夫婦喧嘩が絶えず、見かねた娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。
それを知った長兵衛が佐野槌を尋ねると、店の女将は娘を担保に借金分の50両を貸してくれるという。
2年後の大晦日を期限にし、お久にはそれまで女将の身の回りの仕事だけをさせるが、
期限を1日でも過ぎれば女郎として店に出すという。
腕のいい左官なんだから死に物狂いで働いて返済しなさいと説教を受け、
情けないやら女将の人情に感謝するやらとにかく長兵衛は改心し店を出た。
そんな帰り道、夜の吾妻橋で身投げしようとする青年に出くわす。
訳を聞くと青年は店の旦那から集金の使いをうけたが、
その集金した50両をすられたので死んでお詫びをしようとしていたらしい。
長兵衛は「死んじゃあいけね」と何度も諭すのだが青年には響かない。
長兵衛は最後の手段に懐の50両を出しこれを持っていけという。
どんなに苦しくても俺も女房も娘のお久も死なねぇ、でもお前は50両ないなら死ぬという、
だからこの金はお前にやる、何があっても死んじゃいけね、と。
青年も受け取れる訳もなくしばらくすったもんだした挙句、長兵衛は青年に財布を投げつけて走り去った。
さて、借金が倍に膨れ上がった長兵衛の家はもう大変、夜通し夫婦喧嘩をし朝になったところで扉を叩く音。
いったい誰が訪ねてきたのか?借金は?お久は?青年は?いったいどうなることやら。
私は「文七元結」みたいに演じるのが大変そうな王道大ネタが大好きだ。
「死神」「紺屋高尾」「居残り佐平次」「品川心中」「子は鎹」、
去年は六本木EXシアターにて立川志の輔「歓喜の歌」を聞きに行き、
本物のママさんコーラスによる生歌のサプライズを受けた。
大音量のベートーヴェン「歓喜の歌」はすごい迫力で、幸せな年末となった。
さて、今年は三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂にて同じく立川流の立川談春「文七元結」。
35周年記念独演会『阿吽』ー平成から令和へーの1日目で、2日目は「芝浜」をやったらしい。
談志のこともあるので談春の「芝浜」も魅力的だったけど、私が公演を知った時すでに売り切れていた。
談春は若い頃ギャンブル狂だったこともあり、彼の「文七元結」は説得力があるとどこかで聞いたことがある。
むしろ1日目がいいではないか、と夫と二人で寒い中三軒茶屋へ向かったのだ。
志の輔の時同様2階席の端っこでげんなりしたけど、2階席はカーブを描いているので高座は思いの外近かった。
一階席から見た舞台。
19時過ぎ、お囃子が盛り上がって立川談春登場!!
わははぁ〜2回目の談春だ〜!
1回目の時は寝不足に加えお腹を壊しほとんど覚えていないのでリベンジ気分。
1話目は枕は無く、「百両欲しい〜」で始まるおなじみの「夢金」だった。
強欲な船頭が手柄を立て大金を手に入れたが、それは夢でしたという所謂夢オチの話。
今までいろいろな人の「夢金」を聞いたけれどこの話はどうも好きになれない。
そもそも夢オチがあまり好きじゃないし、落語×物騒という組み合わせが肌に合わないのかも。
それでもだいたい40分あった談春の「夢金」は体感時間15分。
自覚がないほど集中して聞いていたみたいで、面白かったのかすらよくわからない。
そして休憩15分を挟みいよいよ「文七元結」だ。
「文七元結」は言わずと知れた人情噺。
本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にはまってしまい家は貧乏で借金だらけ。
夫婦喧嘩が絶えず、見かねた娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。
それを知った長兵衛が佐野槌を尋ねると、店の女将は娘を担保に借金分の50両を貸してくれるという。
2年後の大晦日を期限にし、お久にはそれまで女将の身の回りの仕事だけをさせるが、
期限を1日でも過ぎれば女郎として店に出すという。
腕のいい左官なんだから死に物狂いで働いて返済しなさいと説教を受け、
情けないやら女将の人情に感謝するやらとにかく長兵衛は改心し店を出た。
そんな帰り道、夜の吾妻橋で身投げしようとする青年に出くわす。
訳を聞くと青年は店の旦那から集金の使いをうけたが、
その集金した50両をすられたので死んでお詫びをしようとしていたらしい。
長兵衛は「死んじゃあいけね」と何度も諭すのだが青年には響かない。
長兵衛は最後の手段に懐の50両を出しこれを持っていけという。
どんなに苦しくても俺も女房も娘のお久も死なねぇ、でもお前は50両ないなら死ぬという、
だからこの金はお前にやる、何があっても死んじゃいけね、と。
青年も受け取れる訳もなくしばらくすったもんだした挙句、長兵衛は青年に財布を投げつけて走り去った。
さて、借金が倍に膨れ上がった長兵衛の家はもう大変、夜通し夫婦喧嘩をし朝になったところで扉を叩く音。
いったい誰が訪ねてきたのか?借金は?お久は?青年は?いったいどうなることやら。
私は「文七元結」みたいに演じるのが大変そうな王道大ネタが大好きだ。
「死神」「紺屋高尾」「居残り佐平次」「品川心中」「子は鎹」、
桂米朝の「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」等々。
中でも「文七元結」は聞いた回数が多く、YouTubeで聞いた古今亭志ん朝の噺がお気に入り。
生粋の江戸っ子だからか、あけすけでいいんだよね〜。
さて、今日は談春の「文七元結」だけど、談春に対する多大なる信頼と期待、
当たり前にいいと思っている観客の惰性を彼は見事打ち砕いてくれたと思う。
まず始まりから驚かされた。
普通は、というか今まで聞いた全ての「文七元結」は
博打で大負けした長兵衛が家に帰ってくると、妻に「お久がいなくなった」と言われる場面から始まる。
そこに佐野槌の使いが来てうちで娘を預かっているというので店に向かうのだ。
しかし今回の談春は、いきなり女将さんの説教から始めたのだ。
初めて聞いた人は噺についていけず、最初戸惑うかもしれない。
というか、わかっている私でさえ大いに戸惑った。
最初の夫婦のやりとりで家族の人柄や事情を読めるし、
汚い女の着物を着て店に向かういきさつや番頭に羽織を借りる様子など、
初めの方にも好きな場面が散りばめられているから、それ全部捨てちゃうの!?と残念な気持ちにもなった。
偉そうに初心者の夫のことを慮った。
寄席などで大ネタをやる場合時間の兼ね合いで噺を短く区切ることはよくあるが、
独演会でもそういうことがあるのかななんてウダウダ考えていたとき、はたと閃いた。
談春だぞ、はじめを大胆に削るということは他に膨らませたい場面があるんだ。
そしてそれは佐野槌の女将さんの説教と吾妻橋のやりとりに違いない。
この人はひとところに留まらないんだ、変化し続け今に挑戦しているんだ!そう思うと鳥肌がたった。
この時はまだそれがどういう化学反応を起こすのかまではわかっていなかった。
案の定くどいくらい長い女将の説教と、長兵衛の「死んじゃいけねぇ」という説得の場面、
人情味溢れた女将さんと、見知らぬ青年に借りた50両を渡してしまう気のいい長兵衛が強調され、
会場は談春の一言一言に息を飲んだ。
この面倒くささが最高だよ、談春師匠!
そうしてある意味で抑圧された空気が、近江屋の番頭の吉原通いがバレる場面で弾け、会場が大笑いに包まれた。
自分でもなんでこんなに笑えるのかわからないけど、なぜか笑いが止まらない。
それから長兵衛と妻の喧嘩、訪ねてきた近江屋との噛み合わなさに会場がどかんどかん。
前半のくどいくらいの人情噺が後半笑いに転化し、動き出した空気はもう止まらない。
その時の状況を後で夫は「あの時光が見えたよね」と表現していた。
キラッキラが目に見えるほど、あの時高座の談春は輝いていた。
いや、輝いていたのは談春による「文七元結」なのか。
何て幸せな場面に居合わせたのだろう。
あれだけ削ってなお1時間半の長丁場だったけれど、とても短く感じたのは言うまでもない。
「文七元結」はもともと笑う場面は多くないし、談春もあまり笑わせない落語家だと思い込んでいた。
まさかこんなことになるとは予想だにしなかった。
公演が終了し会場を出る人ごみの中、そこかしこから観客の興奮の声が聞こえてきた。
すぐ後ろの若い男の集団は大きな声で「立川談春すっげー!!まじでやばい!!さすが!!」と騒いでいた。
私はほんとそうだね、と心の中で何度も頷いた。
それから数日経った昨日、今年の面白かった大衆娯楽について夫と話していたら、
夫は「俺はやっぱブンシュンかな」と言い出した。
世間を賑わすあの週刊文春?と思ったけど談春のことを言いたかったらしい。
いいんだけど、うん、なんか台無しだよ。
人見記念講堂から出てくる観客。
中でも「文七元結」は聞いた回数が多く、YouTubeで聞いた古今亭志ん朝の噺がお気に入り。
生粋の江戸っ子だからか、あけすけでいいんだよね〜。
さて、今日は談春の「文七元結」だけど、談春に対する多大なる信頼と期待、
当たり前にいいと思っている観客の惰性を彼は見事打ち砕いてくれたと思う。
まず始まりから驚かされた。
普通は、というか今まで聞いた全ての「文七元結」は
博打で大負けした長兵衛が家に帰ってくると、妻に「お久がいなくなった」と言われる場面から始まる。
そこに佐野槌の使いが来てうちで娘を預かっているというので店に向かうのだ。
しかし今回の談春は、いきなり女将さんの説教から始めたのだ。
初めて聞いた人は噺についていけず、最初戸惑うかもしれない。
というか、わかっている私でさえ大いに戸惑った。
最初の夫婦のやりとりで家族の人柄や事情を読めるし、
汚い女の着物を着て店に向かういきさつや番頭に羽織を借りる様子など、
初めの方にも好きな場面が散りばめられているから、それ全部捨てちゃうの!?と残念な気持ちにもなった。
偉そうに初心者の夫のことを慮った。
寄席などで大ネタをやる場合時間の兼ね合いで噺を短く区切ることはよくあるが、
独演会でもそういうことがあるのかななんてウダウダ考えていたとき、はたと閃いた。
談春だぞ、はじめを大胆に削るということは他に膨らませたい場面があるんだ。
そしてそれは佐野槌の女将さんの説教と吾妻橋のやりとりに違いない。
この人はひとところに留まらないんだ、変化し続け今に挑戦しているんだ!そう思うと鳥肌がたった。
この時はまだそれがどういう化学反応を起こすのかまではわかっていなかった。
案の定くどいくらい長い女将の説教と、長兵衛の「死んじゃいけねぇ」という説得の場面、
人情味溢れた女将さんと、見知らぬ青年に借りた50両を渡してしまう気のいい長兵衛が強調され、
会場は談春の一言一言に息を飲んだ。
この面倒くささが最高だよ、談春師匠!
そうしてある意味で抑圧された空気が、近江屋の番頭の吉原通いがバレる場面で弾け、会場が大笑いに包まれた。
自分でもなんでこんなに笑えるのかわからないけど、なぜか笑いが止まらない。
それから長兵衛と妻の喧嘩、訪ねてきた近江屋との噛み合わなさに会場がどかんどかん。
前半のくどいくらいの人情噺が後半笑いに転化し、動き出した空気はもう止まらない。
その時の状況を後で夫は「あの時光が見えたよね」と表現していた。
キラッキラが目に見えるほど、あの時高座の談春は輝いていた。
いや、輝いていたのは談春による「文七元結」なのか。
何て幸せな場面に居合わせたのだろう。
あれだけ削ってなお1時間半の長丁場だったけれど、とても短く感じたのは言うまでもない。
「文七元結」はもともと笑う場面は多くないし、談春もあまり笑わせない落語家だと思い込んでいた。
まさかこんなことになるとは予想だにしなかった。
公演が終了し会場を出る人ごみの中、そこかしこから観客の興奮の声が聞こえてきた。
すぐ後ろの若い男の集団は大きな声で「立川談春すっげー!!まじでやばい!!さすが!!」と騒いでいた。
私はほんとそうだね、と心の中で何度も頷いた。
それから数日経った昨日、今年の面白かった大衆娯楽について夫と話していたら、
夫は「俺はやっぱブンシュンかな」と言い出した。
世間を賑わすあの週刊文春?と思ったけど談春のことを言いたかったらしい。
いいんだけど、うん、なんか台無しだよ。
人見記念講堂から出てくる観客。
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