花と徒然なるままに

四季の移り変わりは植物が一番感じさせてくれます、
少しでもそれに触れられたらと思っています。

50年振りに佐渡の”相川祭り”を見に行きました。

2017-10-25 | 日記

 故郷から50年以上前に上京し、何度も帰郷しましたが、秋のこのタイミングは始めてでした。

 400年の歴史を受け継いだ、相川総鎮守 善知鳥(うとう)神社の例祭『相川祭り』を見ました。

 台風前で、朝は雨がふり心配しましたが、日中に晴れて来て祭りの次の日から又雨になりました。

 ☆ 相川祭り

   

   

   

神社で祭式を行った後に、鬼太鼓組の豆まきが舞った後、横に従っている、棒使いと薙刀が注連縄を切った後に、山車に太鼓を載せた太鼓組や獅子舞、神輿が町内を練り歩き、鬼太鼓が各戸を順番に回って歩きます。 

    (2017/10/19  相川祭りは毎年10/19)

細かな催しがあるのですが、行きに台風の影響か船酔でダウンしてしまい、あちこち歩き回れず、

全部を紹介出来なくて残念です。動画もあるが気分が悪かった?ので手振れして見るに堪ず。  

  

 大工町の天神様から出陣式を舞って町に繰り出して行きます。

 上町地域は前夜(10/18宵宮)に各戸を回ります。

  

  

太鼓組は大工町の集落が中心でしたが、今は過疎化進み相川町全体から広く参加してもらい伝統を守っている。

実は子供の時は上の写真の如くの衣装を着て参加していた者で思い入れがある。

 

  番外編

 ☆ 千畳敷き

 相川市街地の北端の下相川の海岸にある岩礁で、子供の頃はここに来てよく泳いでいました。

 眼鏡橋の上から飛び込むのが勇気をみせる第一歩でした。

  

 もちろん昔は休憩場所はありませんでしたが、現在は公衆トイレ、駐車場は有ります。

  

台風がもう少し日本列島の南を通る思っていましたが、見事に外れ、カーフェリーの欠航もありましたが、

気温は東京より高かったので良かったです。

 

<メモ>

相川町

江戸時代には、佐渡金山と佐渡奉行所が置かれ佐渡国の中心でしたが、明治以降は佐渡観光の中心として栄えた。

2004年3月1日に佐渡全域での合併により佐渡市の一部になる、大佐渡山地の北西海岸にある。

祭りは相川祭りの他に、佐渡三大祭りの一つの”鉱山祭り”が、夏の始まりを告げる7月に、昔は鉱山労働者の慰安と繁栄を祈願するお祭りで、今でも全町あげてのおけさ流し、野外ステージ、花火大会等が行われている、今年は、2017/7/22(土)~7/23(日)だったようです。

大工町

大工の意味は家を造る大工さんではなく、鉱山の堀り子の事を言ったようです。

相川の町名には、味噌屋町、米屋町、四十物町、銭座等や新五郎町、左門町、治助町等人の名前が付く等ユニークなものが多い。

又、相川にもう一つ京町音頭流し”宵の舞い”が十年以上前から、昔の風情そのままに優雅な相川音頭流しが、金山が栄えた江戸時代初期の商家等が立ち並んだ、大工町から京町を通り奉行所跡までの歴史の道を雪洞が淡い灯が照らし、多くの団体が踊り流します。(2017/6/3~6/4)

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