"謎のマンガ家・酒井七馬伝"読了。タイトル通り謎の多い彼の足跡を、残された作品資料や知人縁者などの証言を元に、丹念に追ったルポルタージュです。絵を描くなどして生業とする私にとっても彼の生涯には強い共感と感慨を憶えました。
本を読む前はほとんど彼の事は知りませんでした。かの有名な"新寳島"の表紙に原作者としてクレジットされているのを見た程度です。興味を持ったキッカケは、その前に読んだ"「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか"で、当時の作画法の一例として、手塚治虫との比較している一節。恥ずかしながら、酒井七馬もマンガ家だったのかと初めて知りました。
簡単な概略は、Wikiにも掲載されてますが、大正から昭和の戦前・戦後をはさみ、漫画・アニメ・紙芝居など多岐に渡って仕事を続けた人です。依頼されたモノはなんでもそつなくこなしてしまう職人気質。活躍の場を関西圏を中心にしていたので、全国的に知られることはなかった様です。当時は今と違い、東京との距離も大きく、経済圏も繋がりが薄かったんですね。"新寳島"以降、袂を分かった手塚とは皮肉なほど違う人生を歩み方をしています。
彼の生き方のキーワードは"諦観"。何か一つの事に固執することもなく、トラブルがあってもアッサリと身を引いてしまう。彼の最期もそんな感じだったようです。彼の戒名にもその文字が入っていたのは、本の作者とともに衝撃的で、溜飲を下げる想いがしました。
あらゆるジャンルで、何でもこなしてしまう彼には代表作と言うモノが存在しません。"新寳島"でさえ、抹殺されたようなモノですし…。でもその生き様には私も"かくありたい"何かがありました。
私は彼の誕生日(4/26)と同じでした(^_^) これからは「酒井七馬と同じなんだ~♪」と自慢しようかと思います(^_^;
本を読む前はほとんど彼の事は知りませんでした。かの有名な"新寳島"の表紙に原作者としてクレジットされているのを見た程度です。興味を持ったキッカケは、その前に読んだ"「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか"で、当時の作画法の一例として、手塚治虫との比較している一節。恥ずかしながら、酒井七馬もマンガ家だったのかと初めて知りました。
簡単な概略は、Wikiにも掲載されてますが、大正から昭和の戦前・戦後をはさみ、漫画・アニメ・紙芝居など多岐に渡って仕事を続けた人です。依頼されたモノはなんでもそつなくこなしてしまう職人気質。活躍の場を関西圏を中心にしていたので、全国的に知られることはなかった様です。当時は今と違い、東京との距離も大きく、経済圏も繋がりが薄かったんですね。"新寳島"以降、袂を分かった手塚とは皮肉なほど違う人生を歩み方をしています。
彼の生き方のキーワードは"諦観"。何か一つの事に固執することもなく、トラブルがあってもアッサリと身を引いてしまう。彼の最期もそんな感じだったようです。彼の戒名にもその文字が入っていたのは、本の作者とともに衝撃的で、溜飲を下げる想いがしました。
あらゆるジャンルで、何でもこなしてしまう彼には代表作と言うモノが存在しません。"新寳島"でさえ、抹殺されたようなモノですし…。でもその生き様には私も"かくありたい"何かがありました。
私は彼の誕生日(4/26)と同じでした(^_^) これからは「酒井七馬と同じなんだ~♪」と自慢しようかと思います(^_^;