どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

舞台「東京物語」を観て

2023年06月26日 19時55分00秒 | TV
BS松竹東急での収録映像で、10年ほど前のものらしい。

脚本・演出は映画監督の山田洋次さん、演ずるのは劇団新派の方々。

収録時間はタップリ2時間あったが、それなりに観ていられるクオリティだった。

...がしかし。

アレンジは多々あるものの概ね小津版映画と同じ...だが舞台は終始、長男・幸一の家に限定され、次女・志げや三男嫁・紀子それぞれの住居でのエピソードは全て演者の後語りで済まされ、絵的にとても窮屈に感じた。

終盤における母・とみのエピソードはどうするのかと思っていたら、これも長男宅で...(このあたりのアレンジは山田洋次監督作『東京家族』と同じだ)。

紀子はほぼ同じではあるものの、「晩春」や「麦秋」での紀子を合成したようなキャラで、義父母へ供す店屋物は天丼から鰻丼に、手土産は高級菓子となり、こりゃ「東京物語」での平事務員ではなく、「麦秋」の重役秘書やってる紀子だなと(^_^;

義父・周吉もコワモテで、思ったことはハッキリ言うタイプの人物となり、笠智衆さんの表向き穏やかだが諦念タップリな内面の良さは見事に消え失せていた。

舞台演劇なので仕方ないことではあるが、演者それぞれが仰々しく喜怒哀楽も強く押し出している感があり、話しの筋は同じでも観ていて辛くなってしまう。

その上、山田洋次さんお得意の下町人情テイストが強く足し付けられてキツい...(´д`)

小津安二郎さんのインタビューでこんなのがある。

 性格とは何かというと――つまり人間だな。人間が出てこなければダメだ。これはあらゆる芸術の宿命だと思うんだ。感情が出せても、人間が出なければいけない。表情が百パーセントに出せても、性格表現は出来ない。極端にいえば、むしろ表情は、性格表現のジャマになるといえると思うんだ。───「性格と表情」キネマ旬報 1947(昭和22)年12月

この演出上の指向性があるから普遍性があり、何度でも観たくなるものがある。

だから小津映画作は名うての監督らが挑戦してはきたが、どれだけ深掘りしようとも、現代版にアレンジしようとも、上手くいったことはないと感じている。

だから「東京物語」をはじめとする小津安二郎作品群は、脚本・演出・撮影・編集...どれを欠いても陳腐で不完全なものとなり、他者が手を付けない方が良いのだ。

例えが的確かどうか判らないけど、モナ・リザの絵をリメイクして誰が喜ぶのか?というのと同じだ。

レオナルド・ダヴィンチの手によるタッチ・構図・書き込みが完全無欠なのであって、それ以外の要素を足しても引いても意味が無いのだから。

今年生誕120年没後60年を記念して、WOWOWでこんな企画があるそうな。

ファンとしては嬉しい反面、やめておいた方が...と思ってしまう(^_^;