図らずも相撲で感動した。
今日の結びの一番。
白鵬対栃ノ心。
力と力の真っ向勝負。
素晴らしい相撲でした。
白鵬は確か琴奨菊戦でフライング気味の立ち合いをした。
あれはひどかった。
ついでに言うと、鶴竜も琴奨菊戦の立ち合いで変化した。
ロクでもない横綱たちだと思った。
だが今日の相撲は素晴らしい。
勝敗は紙一重。
こういう勝負を見たいのだ。
図らずも相撲で感動した。
今日の結びの一番。
白鵬対栃ノ心。
力と力の真っ向勝負。
素晴らしい相撲でした。
白鵬は確か琴奨菊戦でフライング気味の立ち合いをした。
あれはひどかった。
ついでに言うと、鶴竜も琴奨菊戦の立ち合いで変化した。
ロクでもない横綱たちだと思った。
だが今日の相撲は素晴らしい。
勝敗は紙一重。
こういう勝負を見たいのだ。
テレビで放送原稿を書いている立場から見ると、昨日の日大の会見はこういう見方もできる。
「会話はリアルタイムでの言葉の交換だからこそ理解できるもの」
前にも書いたが左目が黄斑前膜症という病気で線が歪んで見えている。
でもそれは左目だけで見た場合で、両目で見ると右目がそれを補正して普通に見えるのだ。
会話もそういう面がある。
取材でインタビューをする機会も多いが、後でVTRを見て文字おこしをしようとすると明確な会話になっていないことが多々ある。
テレビは短く切り取って伝える媒体だから、これは結構困る。
インタビュー中はちゃんと話はつながっているのに、あらためて見るとつながっていなかったりもする。
会話の時、恐らく脳も目と同じように言葉を補正しているのだ。
よく歳を取ると代名詞が多くなったりする。
「あれが、あれだから、あれで・・・」
会話していると「あれ」が何かは分かる。
だがそこだけ切り取ると分かるはずがない。
世の中の会話はそうやって成り立っている。
そうなると、そこに解釈の違いが生まれる隙が出来る。
恐らく今回の事件も、第三者には分からない言葉のやりとりから生まれた悲劇なのではないかという気がしている。
才能がありながら伸び悩む教え子。
奮い立たせようと投げかけた激しい言葉。
思考力を失うほど追い詰められた才能。
取り憑かれたように彼は無謀なタックルを仕掛ける・・・。
いずれにしても不幸な悲劇で、悲劇の責任は大人たちが取らなければならないことに間違いは無いが、正義の味方面して叩き続けるのは好きではない。
大方の予想通り、昨日の日大アメフト監督とコーチの会見はバッシングの嵐。
まあ水に落ちた犬は叩くのが現代の風潮だから仕方ないとは思う。
とにかく弱い者には強いのがメディアや世論というものなのだ。
日大の加害者学生の潔い会見と対比して人は昨日の会見を批判している。
確かにコーチはしどろもどろ。
監督はふてぶてしい。
誰もが弱い立場の学生に感情移入する。
不思議なことに弱い者いじめの風潮の一方で、日本人には判官贔屓という気質がある。
つまり弱い者に強いのではなく、弱い悪者に強いというのが正解かも知れない。
そういえば強い悪者の政治家には弱い。
世間が解釈している構図は弱い立場の学生が強い立場の監督やコーチに命じられて相手を怪我させたというもの。
だから「はい、ワタシが怪我させろ!と命令しました」と監督とコーチが言わなければ世間は納得しない。
結果としてあの学生が悪質なタックルで怪我をさせたというのは明らかな真実で否定しようがない。
そういう結果を招いた当該選手、コーチ、監督はその責任を免れない。
しかしそこに至る経緯は実に複雑だと、昨日の会見を見て思う。
恐らく、あの学生も監督もコーチも、みな事実を語っているのだ。
これが厄介なんだね。
事実というヤツが。
「事実など存在しない。あるのは解釈だけだ」ということなんだろう。
日大の宮川くん。
恵まれた体格と才能がありながら、気弱なんだろうね。
そこが彼の壁になっていたというのが、多分、高校時代から彼を見てきたコーチの見解。
激しいスポーツで相手に対し「潰せ!」とか「殺せ!」とか言うのは普通にあること。
勢い余って「怪我したって知るか!」とか発したとしてもあり得ると思う。
多分、そういうやりとりがあったんだろうね。
気弱な選手を奮い立たせるために激しい言葉をぶつけることはあって不思議ではない。
「まさかルール違反してまで」という監督の言葉があったが、そう言いたくなる気持ちは一定の理解はするが、そこまで見越して言葉は慎重に選ぶべきだということなんだろう。
それが監督というもの。
宮川くんは純朴すぎた。
プレイヤーとしての壁、伸び悩み、コーチの叱咤、檄。
混乱の中で彼は選択を誤った。
それがあの事件の真相のような気がする。
しかしいずれにしても、そういう結果を招いた責任は監督とコーチにある。
辞任は当然の結果だろう。
恐らく、テレビは延々と昨日の会見を流し二人を批判し続けるだろう。
正義の味方を気取り鉄槌を下ろしつづけるだろう。
それはもう見たくない。
それも過ぎた暴力だと、メディアは知るべきだろう。