8日の日曜日、お茶の準備のために洗面所にいると「ホーホ、ケキョ、、ホーホ、ケッ、、」
と外から聞こえてきた。「ああ、、うぐいすの声だ、、」
なんと、やさしくのどかな歌声なのだろう、、心にぽっと光がさしたようだった。
そう言えば、先週の始め頃から庭の木にやって来ていたが、
姿を見せるばかりで声はしていなかった。
ようやくの一声、春の声。
我が家での「初音」である。
。と外から聞こえてきた。「ああ、、うぐいすの声だ、、」
なんと、やさしくのどかな歌声なのだろう、、心にぽっと光がさしたようだった。
そう言えば、先週の始め頃から庭の木にやって来ていたが、
姿を見せるばかりで声はしていなかった。
ようやくの一声、春の声。
我が家での「初音」である。
さて、この小皿、直径13cmで梅の一枝がたおやかに描かれ
蕾もふっくりとしていて愛らしいお皿である。
奈良の骨董屋さんから手に入れたものだが、特に作者を尋ねることもなく
家に持ち帰ってから裏面を見ると、砧形の中に「せいか」と平仮名で
陶印があるのに気づいた。
その時には単純に「せいか窯」か「せいか」という名の女性の作品だと思っていた。
ところが、ある時、須田菁華の作品を眺めていると、有名な紙風船を描いた箸置きに
その砧形の「せいか」が押されていたのを発見したのである。
通常の菁華作の陶印は丸に漢字で「菁華」なので、びっくりして何度も見直したし
虫眼鏡で拡大して見たりしたが、やはり、どう見ても「せいか」とあった。
この小皿は骨董屋で売られていたということを考えると、少なくても当代や三代目ではなく
初代か二代目作ではなかろうか、、と欲目に思ったり、、
と、その前にこの小皿が本当に菁華窯製なのか知りたいところである。
須田菁華は石川県の山代温泉郷の中心に登り窯と店舗を持つ九谷焼の作家である。
初代菁華は、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵や古九谷の倣古作品を得意とし、
大正4年に菁華窯を訪れた北大路魯山人がその作品に触れ、陶芸に開眼したことでも有名である。
現在は4代目となったが、当時と同じ所で同じ手法で多くの作品を生み出している。
この湯呑茶碗の「赤玉」と言われる模様は須田菁華の代名詞のような模様である。
こっくりとした赤色で大胆な日の丸模様が描かれ、縁の緑でさらに強調し引き締めている。
ここからは、初代の弟子となった魯山人がらみのお話。
菁華窯の近くには、魯山人が滞在した「寓居」が記念館として一般に公開されている。
そこでは、見学の頃合いをみて、職員の方がこの赤玉の湯呑でお茶を出してくれる。
お干菓子付きで、一客1万円なりの赤玉の湯呑を楽しませてくれる太っ腹記念館である。
ここは魯山人の作業場。有名ないくつかの看板はここで作成された。
朱塗の座卓に青磁の手あぶり、当時のままを再現している。
書家でもあった魯山人はここに座って手紙など書いていたのだろう、、
そう想像しながら自分でもこの座布団に座ってみた。
鯉のついた自在に囲炉裏、釣り釜からは湯気が出ている。
まわりには座布団が置かれ、ここで過ごした魯山人の
楽しそうな姿が目に浮かぶようである。
*~*~*
5年前に山代温泉を訪ねた時に、須田菁華窯の店舗に寄った。
展示室は畳敷きで靴を脱いで上がるため、畳に座ってゆっくりと鑑賞できる。
さすがに、気軽に買えるお値段ではないが、その多岐に渡る作品の数々を
見せて頂くだけでも、菁華ファンには夢見心地になれる場所である。