小学生の頃、日曜学校に通っていた。
両親がクリスチャンだったわけでなく、友達付き合いの延長でのことだった。
日曜日に、教会で牧師さんのお話を聞き、、讃美歌を歌う、、
その中で、幼いながらにも感じることがたくさんあった。
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ある時、同年代の外人の女の子を見かけたことがあった。
スカートを穿き、白いタイツがよく似あっていたが、
私はそのタイツに幾つもの継ぎがあるのを発見して
何か言葉にならないショックを感じたのだった。
私も戦後間もなくの生れで、さほどきれいな服は着せてもらえなかったが、
それでも継ぎのあるタイツを穿いた覚えはなく、もしその頃に継ぎのあるタイツを
穿くように言われたら泣いて抵抗して、素足のままスカートを穿いていたことだろう。
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そんな自分とは全然違って、聞き分けの良い明るく穏やかな姿が、光っているように見えた。
今でもその事は私の胸の奥にしまわれていて、事あるごとに思い出されるのである。
そして、当時の小学生の私は、その女の子の姿に、質素な中にある崇高で清らかなものを
衝撃をもって感じ取ったのだと、今なら、そう言葉に出して言えるのである。
こんばんは
そういえば私も小学生のときお友達のおかあさんがひらかれる土曜学校でキリストさまのお話しを聞き讃美歌をうたって紙芝居を見せてもらったりしました
今おもえばキリストの”秘跡”について真剣に考えたはじめです 懐かしいです
貧しさのなかで崇高で清らかなものを感じとられた体験は貴重ですね
聖書のお話は心を豊かにしてくれたと思います。
頂くカードもきれいで異文化の香りがして楽しみでした。
クリスマスの時にはゲームをしたり、教会は子供たちのふれあいの場でもありましたね。
ものが乏しかった昔のほうが、かえって心は豊かだったような気がしますね。
今ではちゃんんと、タイツに継ぎをして穿いていますよ。
最近ですが、子供の頃には分からなかった自分の心情が、理解できるようになったように思います。
ああ、、あの時はこんな気持ちだったのか、、と。
本当に純な気持ちですね。
te-reoさんにも清らかな雰囲気が届いて嬉しいです。
初恋の手紙の件は、もう永久に謎ですが、謎のまま思い出しているのがいいんでしょうね。