続いて島原城に向かいます。
それにしても今日は並の暑さではありません。駐車場に車を停めておくと、エアコンも効果がないくらい車内が熱くなっています。
島原城は島原藩主 松倉重政によって、日野江城の代わりに築城され、1624年に完成しています。しかし、4万石の島原藩にとっては過分な城であり、領民に圧政を敷くことになり、島原の乱を引き起こす原因となってしまいました。
島原の乱はキリシタンの反乱ではなく、圧政に苦しむ島原藩の領民に同じく圧政に苦しむ天草の領民が加わり、さらに取り潰された小西氏、改易された有馬氏、その他のの浪人が加わり、そこに弾圧されていたキリシタンが加わるという状況だったということです。島原勢は島原城攻めに失敗し、天草勢と合流し原城に籠城することになります。
反乱軍を阻止したことで島原城はその役目を果たしたことになります。
島原城からは対岸の肥後が良く見えます。
次は雲仙岳災害記念館に向かいます。
この施設は1990年~1996年の雲仙岳噴火の被害と教訓を伝えるために建てられた施設で、所在地は島原市平成町、土石流の堆積物で新たに陸地となった場所に建てられています。
島原の二つの大きな災害、島原大変肥後迷惑と平成の噴火をシアター形式で体験することができるのですが、この二つのシアターが残念な内容でした。
島原大変のほうは紙芝居風になっていますが、正直何を伝えたいのかさっぱりわかりません。言葉は不明瞭、音声も聞き取りにくく、何が起こったのかすら理解できない、ひどい内容でした。
一方、平成噴火シアターは3D映像+振動+暖かい風で大火砕流の疑似体験ができるというアトラクション風の施設ですが、こちらも何を伝えたいのかがさっぱりわかりません。どこまでが実写かCGか分からない映像で飛んできた岩にぶつかったり、疑似体験とは言えない子供だましで、とても被害の重大さや教訓を伝える内容ではありません。
被害や教訓を伝えるのであれば、きちんとしたドキュメンタリーにすべきと思います。これで入場料1000円は残念に感じました。
この建物の三階は展望台になっています。
海辺にあるので対岸が良く見えます。
雲仙岳と眉山。あの火砕流の後も今は緑で覆われています。
災害記念館を出て、すぐそばにある「道の駅 みずなし本陣ふかえ」に向かいます。
ここには土石流で埋まった民家が保存されています。
今歩いている場所は26年前までは地面ではありませんでした。
道の駅で島原素麺を購入し、島原を後にします。
<その4に続く>