青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

真の勝負師とは!

2021-08-14 | 雑学(教養)の部屋

かつて、十二世本因坊丈和という碁打ちがいました。江戸時代後期に唯一「名人」の地位に上がった人です。当時名人になることは、大変な名誉と権勢を手に入れることが出来、しかもその地位は終身安泰!江戸時代の碁打ち達は、この名人を目指して死闘を演じたのですが、その地位につけるのは、勿論技量抜群の最強者だけでした。

ところが、この丈和は、同業者をペテンにかけたり、幕府の有力者に裏工作をしたり、ダーティな権謀術数を弄して、結局全く勝負をしないで名人になってしまったのです!

しかも1度名人になってしまえば、将軍指南役ということで、軽々しく他門の打ち手と戦ったり出来ないし、公式対局も免除されたから、永久に誰とも勝負しなくても良いのです。

しかし、何とか勝負の場に引きずり出して、名人の実力などないことを証明してみせたい他の家元が種々画策し、さる老中のたっての希望ということで、非公式な対局ではあるが、ついに丈和を勝負の場に引きずり出すことに成功しました。

相対するのは、進境著しい若手ナンバーワンの赤星因徹七段。もとより必勝を期していたし、周囲も丈和に敗れることはないと確信していました。

ところが、丈和は強かった。しかも圧倒的に強かったのです。この時の対局は「天保吐血の碁」として有名で、序盤劣勢に陥った名人丈和が、現代にまで語り継がれる3つの妙手を連発し、その後も最善手、最強手の連続で相手を圧倒、赤星因徹七段は吐血して、そのまま世を去ったと伝えられています。

因徹七段の必勝を不動明王に祈願していたという、ある寺の住職は「丈和の技量は、神仏をもってしてもいかんともしがたい」と述懐したとされますが、これほど強かった丈和が、なぜ勝負から逃げ回っていたのか謎とされています。

しかし、彼が勝負を避け続けたことは、まさしく彼が勝負師だったからに他なりません。どんなに強くても、勝負に絶対はない。体調の良し悪し、運不運、一瞬の判断ミス、ほんの些細な事が明暗を分ける。まして命がけの勝負ともなれば、肉体も精神も著しく消耗する。それが勝負です。日々勝負の世界に生きる者に、長生きなどは望むべくもない。

その勝負の過酷さ、凄まじさを知っていたからこそ、丈和は勝負を忌避してきたのですが、それが避けられないと悟るや、全身全霊を打ち込んで戦った。深夜1人で局の検討に没頭し、失禁したことにも気が付かなかった程だったと言いますが、この集中力によって歴史に残る妙手を放ち、名局をものにしたのです。

最後の最後に詰めが甘いと言われる人が世の中には多い。勝負ということを現代の人は忘れ去ったからです。勝負とは勝つか負けるか、つまり生きるか死ぬかの1回きり。後がない戦いの事ですが、現代の人々はゲームよろしく負けてもすぐにリセット出来ると信じている。ましてスポーツを見ても、相手を倒すというより、ポイントを奪い合うゲームとなってしまいました。だから、勝負の何たるかを知らず、真剣に打ち込むことを忘れているのです。

将棋の「王手」とは、文字通り勝敗を決する時に言う言葉で、チェスでは「チェック・メイト」という言葉がこれに当たります。しかし、この言葉には「大失敗」という意味もあるのです。将棋でもチェスでも、安直な王手は味消しの悪手となる場合があるし、それどころか、腰の浮いたところを相手に反撃されて、たちどころに敗勢に陥るという危険もはらんでいます。

因みに、将棋なら王将、チェスならキングがどうやっても逃げられない、絶体絶命の状態、つまり「詰み」のことは、チェック・メイトではなく、「ステール・メイト」(stale mate)と呼びます。



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