もう何十年も昔になる1990年代、赤城山・山中を数台のパワーシャベルで掘り返す集団がいました。糸井重里氏をリーダーとした赤城山埋蔵金発掘プロジェクトチームです。
TVで徳川埋蔵金発掘の大掛かりな番組が、シリーズで放送されていたのを見たことがある人は、大勢いると思います。小栗忠順などの歴史上の人物を知るのには良い番組でしたが、結論から言えば地中・深さ60メートルまで重機を使って掘り下げるという、世界唯一の「土木作業中継番組」でした。それが本当にドキドキワクワクする素晴らしい番組でした。芸人やタレントがアホみたいなお喋りを繰り返す番組ばかりが、テレビを占拠する以前の最後の時代でした。
最初は大橋巨泉さんの番組「ギミア・ぶれいく」の中の、1つの企画としてスタート。「超能力者による埋蔵金探し」が、1990年6月に初めて放送されました。そこからいつしか超能力者が外れ、「徳川埋蔵金の発掘プロジェクト」として、番組内で定期的に進捗状況を不定期にレポートするようになりました。糸井重里氏だけではなく、石坂浩二氏までもが真剣に取り組むだけあって、途中からは「何も出ないなら、なぜこんな穴がこんな場所に掘られているのか?」という気持ちになり、行方を見守ったものです。
その後、1992年9月「ギミア・ぶれいく」は番組が終了となりましたが、視聴率が良かったのでしょう、「赤城山埋蔵金発掘プロジェクト」として、「特番2時間スペシャル」という位置付けで発掘作業&放送が続けられました。
日本では埋蔵金と言うと、怪しげな「どうせ存在しないもの」というイメージを持つ人もいるでしょうが、僕はそうは思わない。「花咲かじいさん」の話からして、大判小判がザクザクという話だし、歌まであるのです。大昔から治安が良かった日本では、戸締りに鍵という習慣があまりありませんでした。だから本当に大事な宝は、地中に埋蔵するという人が事実多かったのです。重税を逃れるために、この方法で財産を隠匿した人も多かったハズなのです。そして埋めた人が急逝したり、子供に教えた口伝が、埋蔵金伝説になっても仕方がありません。
僕の両親の出身の四国のある町では、未だに同級生が埋蔵金発掘を夢見て作業をしていると言います。僕自身、兵庫県の多田銀山に眠ると言われる4億5千万両の、太閤秀吉の黄金が見つからないかな~と、学生時代に探検に行ったことがありますし、茨木市の山中の隠れキリシタンの遺跡の付近に、失われたアークが眠っていないかと見に行ったことがあります。僕は歴史好きなので、こういう話は楽しい。お宝は発見できませんでしたが、化石や矢じりは発見したことがあり、相当に嬉しかった!(笑)
今でも海外でトレジャーハンターたちが、莫大な埋蔵金を見つけたりするニュースを聞くと、ついつい詳細を見たくて仕方がなくなります。世界のあちこちで、お宝が見つかり、一躍お金持ちになる人がいれば、その発見が歴史を変える。これほど楽しい話はありません。シュリーマンの発掘の話など、まるでインディ・ジョーンズの話そのものです。しかし、こと日本になると、そういう大きな話は出てこない。中国で「曹操」の墓が見つかっても、日本では「卑弥呼」の墓は特定されていない。でも、日本でも伝説とは関係のない埋蔵金なら、結構発見されています。
報道された中で最も高額なのは、昭和38年に東京都中央区新川の工事現場から出た、天保小判1900枚と、天保二朱金78000枚。当時の時価で6000万円、現在の価値なら6億円の埋蔵金発見でした。他にも東京・銀座の小松ストア改築現場から200枚以上の小判が出ています。ただ、こういう発見は、何らかの情報を基に探した結果ではなく、工事の過程で偶然見つかったものばかりということが残念なのです。
その理由は、我が国の法律にあると僕は思います。法律では埋蔵金の扱いは、拾得物を規定したものしかありません。従ってどんなに苦労して金銀財宝を発見したところで、発見者には2割の報労金しか申告されないのです。これでは馬鹿馬鹿しくなるのも仕方がない。(笑)事実先の新川の例でも、埋蔵した商人の子孫に財宝は返還されています。発見されても、土地の所有者のものになるか、うやむやになるのが落ち。埋蔵金は発見者の利益が法律で保証されていないので、伝説を調査して発見するような人は、本当に見つけても公表しないのです。それが、伝説ばかりで本当は無いと決めつけられる理由だと、僕は思っています。
海外では沈没船からの財宝発見のニュースは、よく聞かれます。日本でも、壇ノ浦に沈んだ草薙ぎの剣など、多くの財宝が瀬戸内海に眠っていると言われます。海外のトレジャーハンターが食指を伸ばす前に、誰かが発見してくれないかな~と期待しています。
尚、国会などで使われる埋蔵金という単語は、夢のある黄金伝説の埋蔵金のことではなく、「霞が関埋蔵金」のことを指します。これは、日本政府における特別会計の剰余金や積立金の俗称のことで、国立大学法人にもそういう類のお金があります。しかし、これらのお金に埋蔵金という言葉を使うこと自体、僕は政治家やマスコミが、国民に政治を分からなくさせたり誤解を生む可能性があることを考えない、ナンセンスで無知なネーミングだと思います。