子供の頃は、幼稚園や小学校つまり自分の住む小さな地域の中で過ごすのが普通です。ところが僕は子供の頃から習い事をしていました(書道)し、そこが名門と言われるような場所でしたので、駅の違う場所から通って来る子供たちと友達になり、年上の先輩にも可愛がってもらえました。だから、子供の割には行動範囲も広かった。大阪の阪急電車・池田駅界隈もその1つです。
池田駅南西の池田中央市場は昭和32年(1957年)に開業。阪急沿線「初」の冷暖房完備の市場として注目を集めました。写真は昭和39年(1964年)の外観ですが、外から覗いても中の混雑ぶりが分かります。
こちらは内部の様子です。電話・電報の受付の張り紙もあり、この当時は電話がまだまだ各家庭には普及していなかったので、人が集まるこういう市場に公衆電話が設置されていましたが、それでもかなり設置が早かったと思います。
僕も海外や関東で働き、関西を離れた時期が長かったのですが、平成22年(2010年)に久しぶりに池田を訪れた際、この池田中央市場が健在だったことに驚いたものです。すぐ近くには昭和の間にダイエーが出来、目の前のマンションの地下には阪急オアシスが出来、線路の向こうには栄町商店街。そんな熾烈な販売競争下でも生き残っていたからです!
しかし令和に入りコロナ禍が続く中、池田中央市場の前を通ってもシャッターが下りている日が多くなりました。この写真を撮影したのは2022年11月10日の早朝でした。久々にシャッターが開いていたものの、内部はかなり整理が進んでおり、その終焉が迫っていることが分かりました。行き交う人々も中を覗いて通り過ぎて行きます。
そして翌日2022年11月11日には建物の取り壊し準備が始まり、令和5年(2023年)には、昭和32年から始まった歴史に幕を下ろしたのです。
現在では更地になってから半年以上経過していますが、更地のままです。駅前一等地とは言え、大都市郊外の駅前は少子高齢化に伴って寂しい風景になって行きますし、今後どのように活用されて行くのでしょうか?昨年末に世間を賑わしたダイハツ工業池田工場に勤める人々が大勢、毎日この前を通りますが、ダイハツ工業も含めて、池田駅周辺の産業がどうなって行くのか、正直とても心配です。