僕は学生時代、現場仕事・土方~洗い屋~家庭教師~レコード屋~レンタルビデオ店~電気屋~ホテルプラザ、勿論1番自給の安かったウエイター等いろいろなアルバイトをしました。皆さんのアルバイト・デビューはどんなアルバイトでしたか?
僕は高校時代の大阪・豊中郵便局での「年賀状配達」のアルバイトが、人生初のアルバイト=お金を自分で初めて稼いだ経験でした。冬休みから郵便配達をして、正月の年賀状配達が本番。そして、冬休みの終わりを以て終了。
その豊中郵便局がここでした。写真は昭和50年頃(1975年頃)のもの。豊中郵便局は昭和31年、国道176号線沿いの岡上の町に移転し、鉄筋2階建ての局舎で営業を開始。同36年には人口増に伴う郵便事業の拡大により、局舎を増築しました。
昭和40年代中期に千里ニュータウン豊中市域を担当する千里郵便局が設置され、更に平成13年には豊中南郵便局が新設し、業務の簡素化・合理化が図られました。
現在の郵便局は、同じ場所に建て替えられたものです。
初めての郵便局のアルバイトの際には「通信の秘密」「あまねく配達」等と最初に教えられてから業務に就きましたが、驚きの連続でした。たいていは自分の家を外した、自分の家の近所というか自分の住む町の配達を担当します。そうすれば土地勘もあるので効率が良いし、高校生バイトでもすぐに戦力になりますから。
1番驚いたのは当時70年代でしたが、いろいろな企業の各種抽選の当選通知の郵便物が多かったこと。ちょっとした品物、映画の試写会の招待ハガキ、いろいろなものがありました。本当に当選者なんているのだろうかと思っていたものに、こんなにも当選している人がいる!と分かったことに驚きました。
そして、ネットも何も無かった時代。同じ学年や少し上の学年にいた嫌な奴、いわゆる学校の嫌われ者、町の不良の家に届く無記名のハガキの多さにも愕然としました。虐められた人たちは決して黙っていなかった。「4ね」等と書かれたハガキが毎日のように送られていました。それを怖く思いながらも、当然の報いを受けているんだと世の中の裏側を知った思いがしました。
でも、今の世の中は虐める側がネットを使い、虐められる側が優位に立てる場所がないから、本当に傷つくだけの人が増える。ネットが必要なのかどうかと考えれば、僕はもう戻れないのは分かっていますが、ネットの無かった時代の方が圧倒的に好きです。世の中のいろんなものがデジタル化され、死ぬまでスマホを使えないと不便を感じる。逆に言うと、スマホにずっとお金を使い続けなければならない社会です。マイナンバーカードだ何だといろんなものが出現し、それで一体誰がどんな恩恵を受けるのか分からないことも起きている。
このブログは趣味で友人たちと昭和を懐かしむ備忘録としてやっています。電子メールもPCで海外の友人たちとの連絡に使います。でも、僕はほとんどの連絡は直接電話で行いますし、デジタルの罠にはまらないように、時代に逆らってアナログに生きようとしています。文明の利器を使うことがあっても、使われないようにしないといけません。例えば歩きスマホ、ながらスマホで命を落としたり、大怪我をする人もこの先増えるでしょう。ネットを使って人を攻撃したことで、情報開示請求されて訴えられ、人生が狂う、あるいは終わる人も出てくるでしょう。
ネットとは、適切な距離感を取り続ける必要があると強く考えます。