今では、大阪モノレールが大阪空港から門真市まで伸びたり、箕面市では大阪大学と箕面市民病院の移動、箕面の「彩都」の町作り等で北摂が再開発され続けています。その半面、千里中央が廃れて行く状況も目の当たりにしています。
そんな北摂・・誰がこんな場所に住むのかと思われた、竹藪とため池ばかりだった北摂に、千里ニュータウンがそびえ立ったのも大阪万博の開催のおかげ!賑わいを誇った千里ニュータウンも今では老朽化して来ました。
この景色は昭和45年(1970年)万博開催の年に、吹田市・津雲台から撮影されたもの。
目の前は南千里駅北側の公園。牛ケ首池の周辺は、まだ木々よりも土地の起伏の方が目立っています。写真中央の奥に見えるのが大阪万博のパビリオンで、中央の白いのはソ連館。今では「ソビエト連邦」そのものが消滅しました。
僕の子供時代のこれから開発が進んで行く景色が、今同じ場所に立つと少子高齢化の為に終わってしまった景色に様変わりしています。
茨木市にサニータウンという山の手の町がありました。広い戸建てが建ち並び、郊外のお金持ちの町と呼ばれ、そこに住んでいた住民である友人もそれを自慢にしていましたが、現在では町に1軒しか無かったショッピングストアがつい最近閉鎖してしまい、日用品・食料品を買うにはバス1時間近く乗ってJR茨木駅まで出なければならない。とんでもない不便な町になりました。
やはり、家でもマンションでも、持ち家でも借家でも、駅近であるか大きな町の近くであるかが重要なポイントです。病院が近いか、平地であるか、ハザートマップの危険な場所に入っていないか・・いろんなことを若者には考えてもらいたい。僕の時代はバブル期だったため、「ここなら買える」「ここしか買えない」という考えから家を買いましたが、今では持ち家であっても、全く売れないしタダでも貰ってもらえない。
こういうことを考慮に入れて、これからの若い人たちには駅近の大きな町に住むことをオススメします。
アントニオ猪木さんの死で、僕の中では「昭和」が終わりましたが、猪木さんの素晴らしい追悼本は、まだまだ発売です。予約しないと入手困難が続いていますよ。