昭和30年代の後半からの高度経済成長を背景に、人口の大都市圏への集中、ドーナツ化現象により、兵庫県・宝塚市内は住宅地の造成が進み、多くのダンプカーが市内を走り回り、市内の道路では交通渋滞が頻繁に起こり、交通事故も増加しました。
そこで宝塚警察署の協力を得ながら、宝塚市では交通安全運動が繰り広げられました。写真は昭和38年の宝塚ファミリーランドの栄町歌劇場前の写真です。懐かしい当時のファミリーランドの入口を見ることが出来ます。
当時、市内には10か所の採石場が操業し、宅地造成から出る土砂を満載した運搬車輛の走り回る宝塚は、今のように「歌劇」だ「手塚治虫記念館」だ、「ファミリーランド」だではなく、「ダンプの町」と称されるほどでした。
この写真は、上の写真と同じ場所から撮影した平成20年の写真です。宝塚ファミリーランドも今は無く、その後ろに隠れていた阪急・今津線が高架化されているのが見えます。
今はマンションが並び、ニトリ等が店舗を構え、この辺りもどんどん変わりましたし、今も変わりつつあります。宝塚警察所の建物も随分老朽化しましたし、その向かいのTUTAYAも昨年閉店となりました。