これが大阪梅田という景色を1つ選べと言われたら、僕はここを選びます。80年代にこの写真の姿から「ナビオ阪急」として生まれ変わり、現在では「HEP阪急」と呼ばれているのがここです。
写真中央の「阪急航空ビル」が完成したのは、1951年(昭和26年)のことでした。三角柱の造形が美しく、阪急グループの店舗や企業が軒を連ねる大阪駅東側、いわゆる「阪急村」の一角を占めていました。
また隣接して4つの映画館を収容する「東宝梅田会館」があり、映画全盛の時代に大変賑わいました。これら2つの建物が1980年秋に「ナビオ阪急」として生まれ変わるために、1978年2月28日に取り壊されるまで、この景色は学生時代の僕の、大阪梅田1番のお気に入りでした。
取り壊される時に残っていたのは、梅田劇場・梅田スカラ座・梅田地下劇場・北野劇場・北野シネマの5館。ちょうどこの頃、少年マガジンの巻頭特集に端を発した映画の「チラシ」ブームが起きていました。ここの5つの劇場はとても親切に、少年たちにチラシを渡してあげていました。
取り壊しを控えた1977年秋頃は、「遠すぎた橋」「史上最大の作戦(リバイバル)」「レッドツェッペリン狂熱のライヴ」や「シビルの部屋」「ビリティス」等が上映されていました。