青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

池田・アゼリアホールの昔を知ってますか?

2022-11-12 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急・宝塚線沿線の北摂地方には昔は本当に「ため池」が多くありました。蛍池駅はため池の「蛍池」から名前が取られていますし、中山寺~売布神社~清荒神と神社・仏閣の名前の駅が続きますが、そこにもあちらこちらに「ため池」がありました。

水の事故も多く、夏休み・冬休み明けには必ず誰かが亡くなって、小中学校の始業式の日は「黙とう」が必ずありました。間違って「黙想」という教員もいました。

今はどこに池があるの?というほど池が消えていますが、大抵は公共施設が立っています。「池田駅」も「池」という名が地名に付くほどです。

この写真は池田市・天神にあった「溝添池」(みそぞえいけ)の昭和47年(1972年)の写真です。池田市南部最大のため池でした。

写真奥には阪急宝塚線の高架を電車が走っています。遠方には五月山の山並みがよく見えるように、悪く言えば樹々も無い殺風景な池でした。ウシガエルの声だけがよく響いていたものです。

現在の豊島野公園、その北に立つ「池田市民文化会館 アゼリアホール」は、この溝添池を埋め立てて建てられ、昭和50年に開館しました。ここが溝添池だったことを知る人は、どれだけいるのでしょう。



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