青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

「サスペリア~スナッフ」~ホラー映画が変わった!

2021-01-21 | 青春・名画劇場

70年代、大作ホラーとB級ホラーが続々と封切られました。「決して1人では見ないで下さい」というTVのCMのコピーが大当たりした「サスペリア」。このサスペリアは本当に恐かった記憶があり、公開当時劇場で観て以来、僕はDVD化されても1度も観ていません。ジョージ・A・ロメロ監督も「ゾンビ」で、自身が作った元祖の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を遂にカラーでリメイクして、メジャーデビューを果たしました。また「マニトウ」のように、SFとホラーをミックスしたものも登場。その流れでは後に「スペースバンパイア」なんていう作品もありました。トビー・フーパー監督に大作を撮らせたら、とんでもなく面白くなかった!



70年代のこのようなアイデア勝負の競争の中、もう1つのジャンルが登場したことも見逃せません。ドキュメンタリー、残酷描写の実写というものです。「グレート・ハンティング」は14歳(?)未満は保護者同伴!と指定して、「ライオンが人間を喰い、人間が人間を狩る!あまりの衝撃に世界中が身震いした恐るべきドキュメント!」と謳い上げました。ライオンが人間を食うシーンを売りにしましたが、「え?どこ?どこ?」という間にそこは終了。他にも失われた文化として紹介される、「ペニス切断」シーンのわざとらしさ。「ぼかし」が入るので、真偽の確かめようが無い!この映画、今日ではすべてヤラセと分かっています。

また、イタリア製の「グレートハンティング」が「自然動物園でのライオンの人喰い」のヤラセ映像で話題になっていた頃、もう1本の映画がセンセーションを巻き起こしていました。それが「スナッフ」。「映画撮影中に主演女優が殺された」という凄まじい触れ込みのこの映画は、全米各地で上映反対運動の憂き目に遭い、しかし、それが宣伝効果をもたらして大ヒットしていました。その手法は以下の通り。

当時アメリカではマフィアが撮った本物の殺人映画(=スナッフ・ムービー)が闇で取り引きされているとの噂が流れ、ニューヨーク・タイムズ等でも報道されていました。その記事を見てひらめいたモナーク社の社長アラン・シャックルトンは、ニューヨークの安アパートで4分間の殺人シーンを撮影、倉庫に眠っていた映画の巻末に付け加えたのです。タイトルも元々の映画の題名から、「スナッフ」へと変更。今話題の殺人映画はこれでございと言わんばかりに、スタッフやキャストのクレジットを外して上映。その上シャックルトンが自ら上映反対運動を展開し、話題が話題を呼んで『スナッフ』は大ヒットとなったのです。



日本でも大いに話題になりました。ワイドショーが取り上げ、「週刊読売」までもが、その真偽を議論しました。そして成人指定の映画にすることで公開されました。1時間半ほどの退屈なシーンがあり、そこからが見所。「カット!」の声と共に監督が主演女優(といっても、今までの人とは明らかに別人)に近づき、「いやあ、君のおかげでいい映画ができたよ」とおだてながら、ペッティングを始める。そしていきなりナイフを彼女の背中に突き立てる!ギャッと苦しむ彼女の指をハサミでチョン切り、腹をかっ捌いてはらわたをえぐり出す。はらわたを両手で掴み、狂気の笑顔で血に見とれる監督のアップで『スナッフ』はブチッと終わる。ハッキリ言って、特殊メイクは相当稚拙なもので、誰が見ても作り物であることは一目瞭然でした。しかし日本でもヒットしたのには理由がある。配給会社のジョイパックが試写を一切行わなかったからです。大人のお化け屋敷は、内容だけではなく、その宣伝方法にも趣向を凝らすようになって行きました。

81年に、このドキュメンタリーの流れをくむ作品が公開され、大ヒットしました。「食人族」です。話題になったのは、例の女性の串刺しシーン。その質感から本物の人間にしか見えなかったからです。しかし、タネを明かせば何のことはない。自転車のサドルに腰かけた女性に発砲スチロールの木をくわえさせただけなのです。(改めて見ると、性器のあたりをアップで撮らえた場面でノイズが走る。当初は性器を見せないための処理だと思いましたが、実はサドルを見せないためでした!)こうした巧みな演出が奏功して、本作は世界中で大ヒットを記録するも、本国イタリアでは上映禁止の憂き目に遭ったのです。大亀の甲羅を剥いで解体するシーンが動物愛護団体の逆鱗に触れたためでした。(そっちか!)

さてこの「お化け屋敷」が、80年代に入り、どう変わっていくかを次回はお送りします!



最新の画像もっと見る