青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

日本橋 ~消えた“でんでんタウン”

2022-02-11 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪の「日本橋」、読みは「にっぽんばし」。「東の秋葉原・西の日本橋」は、どちらもいつ行っても賑やかな電気屋さんの街でした。しかし、今はどちらも激変を遂げています。

あなたが行ったのは、どんな顔の「日本橋」ですか?僕も知らない昔は、日本橋は「古本屋の街」でした。その後、「電気屋が立ち並ぶ街」として、君臨しました。お店の人が「最近のお客さんは値切りもしない。商いが面白くない」と嘆いたほど、80年代後半のバブルの頃は、みんなが言い値で買っていくほどの盛況でした。

写真は昭和59年(1984年)の日本橋4丁目。日本橋・でんでんタウンのド真中です。

その後、Windows95が発売になってから、「パソコンの街」「ゲーム・ソフトの街」に移行し始め、オーディオ店がどんどん無くなって行き、今では「サブカルチャーの街」となって、東の秋葉原のように、フィギュアやカードのお店、メイド喫茶、地下アイドルの店、外国人向けの簡易宿が立ち並ぶ街になりました。

インバウンド客が多い頃は、日本人よりも外国人の方が歩いている人は多かったほどです。とても嫌な雰囲気でした。今は閑散としていて、少ない買い物客を呼び込むコスプレ姿の女の子や、ガラの悪い男がタバコを吸いながら街角に立っている姿を目にします。

絶滅危惧種となった高級オーディオの店や、中古レコード屋を求めて僕が行く現在の日本橋が、カラー写真の方です。フィギュアや漫画本のお店、インバウンドをあてにしたビジネスホテルが並びます。白黒写真は「電気の街」だった頃の、昭和59年(1984年)の日本橋です。随分街並みが寂れてしまったことがお分かりだと思います。人通りや車の数が、同じ日曜日なのに全く違います。

自動車に乗って家族連れで家電を買いに来る人々、オーディオを買いに来ている学生同士の連れ、そういう人がほとんどいない。1人でスマホを見ながら歩いているか、肌を露出した女子と腕を組んで歩く日本人ではないカップル、酒気を帯びた人・・・そんな人々が闊歩しています。

買い物に疲れてちょっと一休み・・に使う昔ながらの喫茶店、定食屋もほとんど閉店となり、今は狭いファーストフードの店、カレー屋、ラーメン屋があるだけ。感染対策が十分だと安心して入ることが出来るようなお店は、僕の目には1軒も映りません。僕も余程の買い物が無い限り、日本橋にまで足を運ぶことはなくなりました。コロナ禍以前でもそうでしたので、今となっては・・・。

このカラー写真や白黒写真に写っているお店の看板を眺めて下さい。あなたにもお馴染みの、でも今では見ることが出来なくなった大手・電気店の名前が並んでいます。ヨドバシカメラもビッグカメラも見つけることは出来ません。そういう電気店には、地方から集団就職で出て来た若者が多く勤めていたのですが、彼らはどこに職を求めたのでしょう。時代がこれだけ変わるのは予想もしなかったし、本当に寂しいものです。



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