青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

国鉄時代とこんなに変わった!~JR川西池田駅

2022-11-24 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

僕の学生時代は「JR」ではなく、「国鉄」でした。国鉄がJRになったのは1987年、昭和62年のことですから、ついこの前・・と、僕は思ってしまいます。(笑)

この古びた駅。JR福知山線の「川西池田駅」です。大昔の写真のように見えますが、1975年(昭和50年)頃です。

この当時は能勢電鉄で、川西能勢口とこの駅が結ばれていましたが、1981年(昭和56年)にその線路は廃止され、同じ年、川西池田駅は福知山線の複線電化事業に伴い、約300メートル東に拡張され、現在のような高架駅になりました。ですから写真のような姿は、80年代初頭まで普通に見られた景色でした。

それがある日突然、上のような姿に生まれ変わるのです。建物・景色が一変するのは、本当にある日突然に・・です。

上の写真も今や懐かしい2008年(平成20年)のもので、駅前はロータリーが整備され、清和源氏の源満仲の馬上の姿の銅像が設置されています。

ところで、この近くに在住の皆さんは、旧駅舎のプラットホームに使用されていた敷石が、近郷の小戸神社境内の敷石に使用されていることをご存知でしたか?


クリスマスツリー対決!ハリポタ VS ダイキン ~グランフロント大阪

2022-11-23 | ぶらり散歩
グランフロント大阪で、『Grand Wish Christmas 2022~「ハリー・ポッター」 魔法ワールドクリスマスへの招待状~』という、長~い名称を付けたイベントを開催中なのですが・・・
 
 
スタンプラリーのスタンプ設置場所は、いくらでも目に付きますが、肝心のスタンプを押す「台紙」が全く置いていない!店舗で訊いても、「あちこちのスタンドに置いていると思います・・・」と言うだけ。だからスタンプを集める子供たちが目につかない。きちんとした運営がされていないのは残念なことです。
 
 
グランフロント大阪には、ハリポタの巨大なツリーがあります。話題になって人気を呼ぶかも知れませんが・・・
 
 
僕はこちら同じグランフラント大阪内の、「ダイキン」のお店に飾ってあるクリスマスツリーの方が、とても気に入りました🤣

国道沿いの大きな書店 ~DUKE書店

2022-11-22 | 昭和・思い出は色褪せない

僕は書店で、いろんな分野の書籍を見て回るのが大好きで、書店に行くとついつい数冊を大人買いしてしまいます。学生時代は今は無き梅田は曽根崎にあった「旭屋書店」に入り浸り、3階にあった喫茶店リーブルで購入した本を読んだりしました。ネットでいろんな本を入手しやすくなりましたが、知らない本は検索できませんから、書店でどんな本が並んでいるのかを見るのが楽しく、1日いても飽きません。

社会人になり車で行動するようになると、大きなターミナル駅の書店よりも、国道沿いの広い駐車場付きの大きな書店に通うようになりました。大阪・西淀川区御幣島にあった「宮脇書店」は大好きでした。サブカルチャーに関する本等は、紀伊国屋よりも充実していたと思います。残念ながら2013年6月15日に閉店しました。

ただ、こういう書店は平成後半になると出版不況とも相まって、どんどん閉店が続きました。現在も残っているお店は本当に少ない。そんな中でも大阪・北摂の国道171号線沿い半町に、今も営業中の「DUKE書店」は大好きなお気に入りの書店です。

昭和の終わりだったか平成の初めに登場したここは、書籍の品揃えが良かった。僕の興味のあるジャンルの本が充実していました。巻数の多い長期連載の漫画の単行本でも揃っていました。

欠点は外装にお金をかけていないので、最近では見た目がみずぼらしくなっています。

しかし、中は広いし本の数も多い。今では阪急電車の駅には、阪急が経営する「ブックファースト」がどこの駅にもありますが、話題の本でもなかなか入荷しない。ところが、こういう書店は意外といろんな本が入荷するのが嬉しいです。カーナビ全盛の現在では関係ありませんが、昔はこういう書店には「地図」やドライブの「ガイドブック」なども沢山置いてありました。

昔ながらの入口には子供向けの本、2階にはCD、DVD、雑貨、喫茶店もあり、ちょっと買い忘れた売れ筋のCDなんかも、昔は手に入れるのにここを重宝しました。若者の車離れやネット全盛時代にあって、こういう書店が今後増えることは難しいと思いますが、長く経営が続いてくれればと思います。

 


古き良き時代の “とんでも” 勧誘

2022-11-21 | 昭和・思い出は色褪せない

秋も深まって来ました・・・と言うより、もう冬?昔はもう少し、秋と冬の移り変わりがハッキリ感じられたのですが、今年は特にそれがなく。皆さんのブログを拝見していると、綺麗な紅葉の写真を沢山見ることが出来るのに、僕の周囲では綺麗な紅葉がありません。六甲山系を阪急・神戸線の車窓から眺めていても、綺麗とは思えません。

ゴルフも今週がダンロップ・フェニックスということで、プロゴルフツアーも今季は終わりを迎えますが、競馬は今週のジャパン・カップから年末の有馬記念まで一気に盛り上がって行きます。

さて、上の写真は昭和40年代後半の母校・関西大学の春の光景。後方の看板は新入部員勧誘のものです。そこで、馬つながりで・・(笑)

馬に跨った学生が見えますが、これ実は馬術部の学生です。キャンパス内で馬に乗って実演しながらの勧誘を行っているところです。昭和の時代はのんびりしたものだと、こういう写真を見ると思います。今は何でもマニュアル頼りの上に、細かい規制だらけ。誰の為の規則が分からないものが多過ぎますね。それは政治や条約でも同じことです。


窓から “万博” が見える!

2022-11-20 | 昭和・懐かしい北摂の風景

今では、大阪モノレールが大阪空港から門真市まで伸びたり、箕面市では大阪大学と箕面市民病院の移動、箕面の「彩都」の町作り等で北摂が再開発され続けています。その半面、千里中央が廃れて行く状況も目の当たりにしています。

そんな北摂・・誰がこんな場所に住むのかと思われた、竹藪とため池ばかりだった北摂に、千里ニュータウンがそびえ立ったのも大阪万博の開催のおかげ!賑わいを誇った千里ニュータウンも今では老朽化して来ました。

この景色は昭和45年(1970年)万博開催の年に、吹田市・津雲台から撮影されたもの。

目の前は南千里駅北側の公園。牛ケ首池の周辺は、まだ木々よりも土地の起伏の方が目立っています。写真中央の奥に見えるのが大阪万博のパビリオンで、中央の白いのはソ連館。今では「ソビエト連邦」そのものが消滅しました。

僕の子供時代のこれから開発が進んで行く景色が、今同じ場所に立つと少子高齢化の為に終わってしまった景色に様変わりしています。

茨木市にサニータウンという山の手の町がありました。広い戸建てが建ち並び、郊外のお金持ちの町と呼ばれ、そこに住んでいた住民である友人もそれを自慢にしていましたが、現在では町に1軒しか無かったショッピングストアがつい最近閉鎖してしまい、日用品・食料品を買うにはバス1時間近く乗ってJR茨木駅まで出なければならない。とんでもない不便な町になりました。

やはり、家でもマンションでも、持ち家でも借家でも、駅近であるか大きな町の近くであるかが重要なポイントです。病院が近いか、平地であるか、ハザートマップの危険な場所に入っていないか・・いろんなことを若者には考えてもらいたい。僕の時代はバブル期だったため、「ここなら買える」「ここしか買えない」という考えから家を買いましたが、今では持ち家であっても、全く売れないしタダでも貰ってもらえない。

こういうことを考慮に入れて、これからの若い人たちには駅近の大きな町に住むことをオススメします。

アントニオ猪木さんの死で、僕の中では「昭和」が終わりましたが、猪木さんの素晴らしい追悼本は、まだまだ発売です。予約しないと入手困難が続いていますよ。