過日の北海道ぐるり旅。
大きな北海道の周囲を海岸線に沿ってぐるりと回ってみて、各地に先の大戦による「負の遺産」が点在することを知った。
日本海に面する留萌市の北10kmに位置する「小平(おびら)町」。
町を南北に貫く国道232号線(通称:オロロンライン)沿いに、昔の鰊番屋(花田番屋)があるのだが、その向かいがちょっとした公園になっている。
そこに「三船遭難慰霊之碑」が建つ。
大戦末期(正確には終戦直後)の1945年8月22日、樺太からの引揚者5,082名を乗せた3隻の引揚船がソ連潜水艦の攻撃を受けて沈没、大破して乗客1,708名の命が奪われた事件である。
さらに北上して稚内に到着。
小高い丘の上の稚内公園には、「真岡郵便電信局事件」で殉職した9名の女子電話交換手の慰霊碑がある。
1945年8月20日ソ連軍が樺太の真岡に上陸すると、危険を察知した真岡郵便局の女性電話交換手が局内で自決を図り、9名が死亡した事件である。
この慰霊碑も見学したが、どうしてか写真は撮らなかったらしく、ここではネットから拝借したものをお見せしたい。
そして、オホーツク海を南下して別海町に入ると、北海道遺産に指定されている「野付半島」に至るのだが、そこには、国後島まで16kmと表示された看板の他、北方領土返還の願いを表した石碑があった。
それは納沙布岬に至り最高潮を迎え、そこには石碑やモニュメント、展望台やフットペイント等々、思い思いの方法で「北方領土返還」を訴えていた。
今日、戦後70余年を経ても尚、ソ連(現ロシア)との平和条約が締結されず、北方領土の返還についても解決をみていないのは残念でならない。