「チューリップ祭り」で賑わっている同じ公園内の西隣に、立派な大きな建物が
見えました。
何かと近づいてみると、この地独特の「輪中」の生活文化を伝える江戸時代中期
頃のこの地方の比較的豊かな農家の建物でした。
「輪中」とは堤防で囲まれた集落のことで、この建物はその当時の輪中に住んだ人々
の生活を知るための展示でもあるようです。
数段ある石の階段を登って門の中に入ると、母屋の脇に水屋と呼ばれるもう一つの
建物が並んでいます。
母屋の玄関の軒下には、洪水に備えた生活の知恵「上げ舟」が掛けられています。
水害の度にこの船に乗り高台の方に避難したんでしょうね。
ソースはnon_nonさんよりお借りしました。
立派な母屋も水が家の中を通りぬけやすいように、北と南は障子戸とか。
次の仏間には、洪水時には滑車を使い二階に釣り上げる装置があり、この辺では
「上げ仏壇」と言われていたようです。
これも生活の知恵だったのでしょうね。
母屋よりさらに一段と高い石積みの上にある「水屋」には、洪水で避難しても数日
間の生活が出来るように食料や衣類などを保管した倉庫を作りました。
これが「水屋」と呼ばれる物です。
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画像はマウスオンです。
木曽川、長良川、揖斐川が集まったこの地域は、大昔は毎年のように水害が多く
その度に人々は大きな被害を受けていました。
行き返りに通った堤防沿いからの写真を見ても右側の長良川よりも堤防を挟んだ
左側の住居地の方が低くなってなっているのが良く分ります。
これが「輪中」と言われていた所なんですね。
明治時代に入って、木曽川、長良川、揖斐川の三川の大規模な治水事業により
水害は激減し、輪中の必要性はなくなり、いまでは昔語りとなったようです。
玄関の軒下の「上げ船」や「上げ仏壇」、そして「水屋」の様子を見ると、当時の
この地に住んでいた人々の苦労が伝わってきました。
来た時も通った長良川にかかる長良大橋を渡り岐路に着きました。
見えました。
何かと近づいてみると、この地独特の「輪中」の生活文化を伝える江戸時代中期
頃のこの地方の比較的豊かな農家の建物でした。
「輪中」とは堤防で囲まれた集落のことで、この建物はその当時の輪中に住んだ人々
の生活を知るための展示でもあるようです。
数段ある石の階段を登って門の中に入ると、母屋の脇に水屋と呼ばれるもう一つの
建物が並んでいます。
母屋の玄関の軒下には、洪水に備えた生活の知恵「上げ舟」が掛けられています。
水害の度にこの船に乗り高台の方に避難したんでしょうね。
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輪中の家屋 | |||||
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ソースはnon_nonさんよりお借りしました。
立派な母屋も水が家の中を通りぬけやすいように、北と南は障子戸とか。
次の仏間には、洪水時には滑車を使い二階に釣り上げる装置があり、この辺では
「上げ仏壇」と言われていたようです。
これも生活の知恵だったのでしょうね。
母屋よりさらに一段と高い石積みの上にある「水屋」には、洪水で避難しても数日
間の生活が出来るように食料や衣類などを保管した倉庫を作りました。
これが「水屋」と呼ばれる物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c9/9971b2ffe6789590590b200cb539c007.jpg)
画像はマウスオンです。
木曽川、長良川、揖斐川が集まったこの地域は、大昔は毎年のように水害が多く
その度に人々は大きな被害を受けていました。
行き返りに通った堤防沿いからの写真を見ても右側の長良川よりも堤防を挟んだ
左側の住居地の方が低くなってなっているのが良く分ります。
これが「輪中」と言われていた所なんですね。
明治時代に入って、木曽川、長良川、揖斐川の三川の大規模な治水事業により
水害は激減し、輪中の必要性はなくなり、いまでは昔語りとなったようです。
玄関の軒下の「上げ船」や「上げ仏壇」、そして「水屋」の様子を見ると、当時の
この地に住んでいた人々の苦労が伝わってきました。
来た時も通った長良川にかかる長良大橋を渡り岐路に着きました。
今TVで岐阜県の鵜飼のニュースをやってました。
前に此方のブログで詳しく見せて頂いたことを思い出しました。
輪中の暮らし 素晴らしい佇まいですね。
豊かな農家の人が暮らしてられたのですね。
時代劇にでて来るような建物ですね。
お近くに歴史深い処があってい良いですね。
珍しい物を見せてくださってありがとうございました。
こういう建物を見ることで、昔輪中という変わった
生活様式の中で暮らしていた人々がいた事が実感で
きました。
いつも洪水に悩まされながらの生活は、想像以上
にた大変だったでしょうね。
このお宅は比較的豊かな暮らし向きだったようで、
水屋を作れない家もいっぱいあり、洪水の度に
高台に避難していたようです。
大変な時代でしたね。
田の字に部屋があるのは我が家も同じです。(こんなに立派ではありませんが)
水屋が無い家は家が水に浸かるとどうして暮らしていたのでしょう、今のように仮設住宅があるはずもなく・・
本当にそうですね。
この家は比較的豊かな家ということですが、船は
どこの家にもあったようなので船で高い場所へ避難
は出来たんでしょうね。
その後は水が引いてからが大変だったと思います。
きっと被害の少ない家に身を寄せたかしたんでし
ょう。
この輪中に住む人々は仲間意識が強いといわれてい
るので、お互い助け合ったんだと思います。
山田太一さんの「岸辺のアルバム」でご存じかと思いますが
3,40年前に東京の多摩川が氾濫し、その周辺の家々が流されたことがありますが
見た目は現代的な新興住宅街より、この輪中のような昔からの集落の方が
ずっと賢い家づくりをしていると言うことですね
「上げ舟」「上げ仏壇」「水屋」、果ては「水の通り抜け」まで考えられているなんて・・
とても興味深く読ませていただきました
私も見ました、見ました、「岸辺のアルバム」懐か
しいドラマですね。
洪水の恐ろしさを目の当たりにしたドラマでしたね。
この輪中地帯は年中その恐ろしさにさらされていた
ため独自の解決策を編み出したのだと思います。
行き返り通った土手からも洪水時の情況がわかり
水の怖さを感じました。
輪中の人々は先人の知恵でこの情況を乗り切った
のでしょうね。いろいろ勉強させられました。
輪中での生活、皆さん工夫と知恵を出して上手く生活なさっていたんですね。
ここは水との戦い、高山は雪、との戦い、どちらも昔の人が、どれだけ苦労したかよくわかります。
珍しい画像をありがとうございました。
チューリップを見に行ったつもりが、思いがけず
昔の人々の輪中の生活の一部を垣間見る事ができ
当時の大変さを実感してきました。
確かに高山はなど豪雪地帯は雪が、そしてここの
ような輪中の生活には水との戦いがあったんですね。
全てが電化された今の生活とは比べ物にならない
ほど大変だったでしょうね。
珍しい輪中の暮らしぶり、興味深く拝見しました。堤防に囲まれた集落があったこと、初めて知りました。民俗資料館はこちらの方にも何箇所かありますが、概ね撮影は許されていて良いですね。
長良川は現役時代、社員旅行で行きましたが鵜飼の季節ではなかったので心残りでした。また、渓流釣が趣味の私なので長良川のサツキマスは一度は釣ってみたい魚です。
今日は朝から全国的にいいお天気でしたね。
近くをウォーキングしましたが汗ばむほどでした。
このような堤防に囲まれた所は他の地域にもある
とは思いますが、この地に来て私も「輪中」という
言葉を知りました。大変な時代があったんですね。
松ぼっくりさんは、社員旅行でこちらにもいらした
ことがおありですか。
今度は鵜飼いの時期にぜひいらしてください。