スロバキアのブラチスラバを見学後、バスは国境を超え200キロ(約3時間)離れた
ハンガリーの首都ブタペストの街に入りました。
3つ目の訪問国です。
ブダペストはドナウ川を挟みブダとペストに分かれていますが、まずはブダ側の王宮の丘へ。
階段を上り三位一体広場へ~~~
最初に見えてきたのは“漁夫の砦”と言われる建物です。
ネオロマネスク様式の三角の塔が7つ聳えています。
“漁夫の砦” の名の由来は、中世期時代には魚市場があり、ドナウの漁師組合がこの周辺を守っていた
ことからこの名が付けられたとか。
さらに対岸に目をやると、、、
ドナウ川を挟み対岸には、大聖堂の様な風格の国会議事堂が綺麗に見えています。
この国会議事堂は、1896年にロンドンの国会議事堂を真似て造られたそうです。
確かに良く似ています。
2013年にはこのドナウ川が大雨のため氾濫し水位が上がり対岸の周辺は水が引くまで
数週間かかったとか。
2013年といえば私が丁度ミュンヘンにいた時で、そんなニュースを耳にしたような気がします。
丸いドームは、イシュトヴァーン大聖堂。
三位一体広場に聳えるのはカラフルな屋根瓦が目立つマーチャーシュ聖堂。
ハンガリーの磁器メーカーでのヘレンド に次ぎ有名なジョルナイ の作品で、世界で一躍有名になった
作品の一つが、この屋根瓦だと言われています。
またこのマーチャーシュ聖堂は、19世紀後半、ハプスブルグ帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝と
ヨーロッパ一美しいと言われる王妃エリザベートの戴冠式を行った教会として有名になりました。
。
マーチャーシュ聖堂前の広場には、ハンガリー建国の父といわれる初代ハンガリー王イシュトヴァーン
の銅像があり、右手には二重の十字架を持ち、頭上には王冠を戴いています。
二重の十字架は、一つは政治的、もう一つは宗教的権力を持っていたことを象徴するものだとか。
マーチャーシュ聖堂に入ってみると、、、、、荘厳な雰囲気が漂います。
フランツ・ヨーゼフ皇帝と王妃エリザベートの戴冠式がこの場所で行われたかと思うとなぜか感動です。
どんなにか素晴しい戴冠式だったことでしょう。
この日は丁度清らかなパイプオルガンの演奏が流れていて、教会内部は荘厳な雰囲気がいっぱいでした。
しかしこの教会は15世紀にはトルコに占領されてモスクに改装されたり、17世紀にはいると
ハプスブルグ家によってトルコ軍から解放され再びカトリック教会に戻ったり、バロックから
ゴシック様式に変わったりといくつかの変遷があったようです。
広場を抜けて王宮の丘にある建物を見学。
これは大統領官邸。
王宮の入り口にやってきました。
ドナウ川が眼下に見える素晴しい眺めが広がる高台に建てられた王宮です。
王宮の入り口近くには、羽根を広げた鳥の像が目に付きます。
これはハンガリーでは伝説の鳥といわれている「トゥルル」とか。
足に剣をしっかりと持っています。
一段と高い王宮の丘からは、ドナウ川の向こうのペスト側が見渡せます。
王宮のあるこちら側はブダ側になります。
眼下に見えるのは有名な「くさり橋」
王宮の丘からははっきりとわかります。
広い王宮の中の庭園に入ってきました。
瀟洒な立派な建物が続いていますが、現地ガイドさんの話では”この王宮の中には何もありません、
中は空っぽです”??
ハンガリーは建国以来オスマン帝国の侵入やハンガリーオーストリアの二重帝国時代、さらに
ソビエト連邦の進入、それによるハンガリー動乱、第一次、第二次大変では領土の喪失など幾多の
破壊と修復が長く続き、ほかの王宮で見られるような金銀財宝は全く残っていないのだそうです。
今はこの王宮の建物は、ハンガリー国立美術館、歴史博物館、軍事歴史博物館、国立図書館
などとして使われたいるとか。
本当に王宮として誇れるものが何も残っていないという現実に胸が突かれる思いがしました。
こんな素晴らしい場所に立っているのに、、、、、
王宮を一巡りし裏側に回ってきました。
いつしかすっかり陽も傾ていました。
夕日に浮かぶもうひとつの丘に見える住宅は、ブタペストの高級住宅街とか。
一般民衆の月給は平均4万ぐらいで、この国でも貧富の差がかなりあるとの現地ガイドさんの
お話でした。
夕日に浮かび上がる王宮の裏の高台にそびえる騎馬像と騎手のシルエット!!!
その姿はハンガリー王国のどこか物哀しい姿を見るようでした。
(続)
ハンガリーが辿ってきた複雑な歴史がにじみ出ているようですね。
思わず魅入ってしまいました。
ハンガリーはアジア的要素も少し入っているようなので親近感を感じます。
我々のツアーでは王宮エリアの見学が無かったので参考になりました。
我々のツアーでは王宮へ行く代わりに、土産物店に連れていかれた記憶があります。
おっしゃるようにハンガー人は、中央アジアの
騎馬民族が移動して定着したのではないかとも
いわれているようです。
その証拠にハンガーリーの赤ちゃんには蒙古斑
があるともいわれます。
遠い地でもアジア民族の血が流れているのでしょうか?
ロマンですね。