みなさんは「桜梅桃李(おうばいとうり)」という言葉をご存知でしょうか? 仏典の中で説かれている言葉で、先日ある人から教えていただきました。「桜」「梅」「桃」「李(すもも)」これらの木々はそれぞれに違う花を咲かせ、違う実をつけますが、どの花にもそれぞれに固有の美しさがあり、どの実にもそれぞれに固有の味わいがある。桜が梅になる必要はなく、桃になる必要もない。人もまた同じくそれぞれに違いがあり、それぞれに他に代えがたい価値があるということを表した言葉だそうです。いい言葉だなと思いました。また仏典には他にも「仏とは本来無作の三身(ほんらいむさのさんじん)」と説かれていて、「無作」、つまり自分を作る必要など全くない。その人の短所も長所も含めて、本来の姿そのままで仏になることができるという教えだそうです。これらは人間とは別に絶対的で理想的な神の存在を説いているキリスト教やイスラム教とは全く違っていて、東洋の知恵といわれる仏教哲学の寛容さを感じました。
次は養老猛司さんが「バカの壁」の中で書いていた一部分の内容です(少なくとも私はこう理解したのですが・・)。「人は本来みな違って生まれてくる。皮膚ひとつとっても親子でさえも移植などできない。個性とは育てるものではなく、もともと備わっているものなのだ。だから教育で個性を育てるというのは間違いで、むしろそれぞれ違っているもの同士が少しでもお互いの気持ちをわかりあえるようにするのがまともな教育だ」なるほどと思います。今の教育はここが間違っているのだろうと感じます。人はみな違うのだということを教えない。そしてお互いを理解し合おうということも教えない。だから「いじめ」が起きるのでは・・と思います。
また尾辻かな子さんは講演の中で、セクシュアル・マイノリティのシンボルである「虹」についてよく話してくださいます。虹は、赤や黄色や青などの色が混ざって一色の虹になっているのではなく、それぞれの色が肩を並べながら一つの虹を作っている。人間も一人一人がそれぞれ違った個性を持ちながら同じ人間として存在しているのだと。
「人はみな違っている」「人はみな違っていいのだ」ということを、私たち大人は知らなければならないし、子供たちにも教えなければなりません。初めての講演会で「知らなかった」「知ることができてよかった」という声をいくつもいただきました。来年は何人の人に知っていただくことができるでしょうか? 「つなぐ会」は来年もさらに頑張ります。
次は養老猛司さんが「バカの壁」の中で書いていた一部分の内容です(少なくとも私はこう理解したのですが・・)。「人は本来みな違って生まれてくる。皮膚ひとつとっても親子でさえも移植などできない。個性とは育てるものではなく、もともと備わっているものなのだ。だから教育で個性を育てるというのは間違いで、むしろそれぞれ違っているもの同士が少しでもお互いの気持ちをわかりあえるようにするのがまともな教育だ」なるほどと思います。今の教育はここが間違っているのだろうと感じます。人はみな違うのだということを教えない。そしてお互いを理解し合おうということも教えない。だから「いじめ」が起きるのでは・・と思います。
また尾辻かな子さんは講演の中で、セクシュアル・マイノリティのシンボルである「虹」についてよく話してくださいます。虹は、赤や黄色や青などの色が混ざって一色の虹になっているのではなく、それぞれの色が肩を並べながら一つの虹を作っている。人間も一人一人がそれぞれ違った個性を持ちながら同じ人間として存在しているのだと。
「人はみな違っている」「人はみな違っていいのだ」ということを、私たち大人は知らなければならないし、子供たちにも教えなければなりません。初めての講演会で「知らなかった」「知ることができてよかった」という声をいくつもいただきました。来年は何人の人に知っていただくことができるでしょうか? 「つなぐ会」は来年もさらに頑張ります。