明けましておめでとうございます。
☆晴れやかな新年を迎えて、初のご投稿を「つなぐ会」の強力サポーター尾辻かな子さんからいただきました。幸せなお正月を迎えられたご様子を読ませていただき、こちらまで幸せを分けていただいたような楽しい気持ちになりました。いつもバイタリティに溢れた尾辻さんからは、自分に自信がなく家族に心を開けない、そんな時代があったなんてうかがい知ることもできないほどですが、その過去があったからこそ今の尾辻さんの活動があるのですね。
LGBTの家族や友人が共に、当たり前に、楽しみや悲しみや幸せを分かちあえる。そんな社会を、それが当然の社会を作っていきたい。そのために「つなぐ会」ができること、みんなの知恵を合わせて今年も頑張ってまいります。大きな大きな「つなぐ会」へのエールをいただきました。ありがとうございました。
お正月は、お盆とともに、いわゆる家族が集まる機会が多いもの。レズビアンの私にとって、このような機会はどことなく気が重いものでもありました。私は実家を出てパートナーと生活しているのですが、普段の生活について家族に話すことはほとんどなかったのです。しかし、2007年のお正月は、私にとって忘れられないお正月になりました。初めてお正月に、パートナーを連れて実家に行ってきたのです。
年末に私の母が、おせち料理を作るから、パートナーと一緒に食べにおいでと誘ってくれたのがきっかけでした。最初、私のパートナーは、私の実家に行くのはただでさえ緊張するし、他の家族にも気を使うし、と渋っていました。(こういう心境は、ヘテロセクシュアル(異性愛)の人たちと変わりませんね)でも、折角母が誘ってくれたんだし行こうよと、私が熱心に誘って、ついにパートナーも一緒に行くことになりました。
私の実家は、車で1時間ほどのところにあります。車の中で感無量になっている自分がいました。自分が自分らしくあることに全く自信がなく、生きていけるのかどうか分からなくなっていたころ。自分の性的指向は、周囲に隠さなければいけないと思っていたころ。パートナーができても、家族には祝ってもらえるものではないと思っていたころ。家族に対しては、後ろめたい気持ち、そして心を開けない、最後の一線で自分を守らないといけないと気を張っている気持ちが私にはありました。月日は流れ、私は議員になり、同性愛者であることをカミングアウトする本を出版し、最初は戸惑っていた母も「LGBTの家族と友人をつなぐ会」に積極的にかかわり始めました。そしてやっと、このお正月を迎えました。「ここまで生きてきて、本当によかった」車のハンドルを握りながら、ふと涙がでてきました。まさか自分が、家族、パートナーと一緒に、お正月を祝えるようになるなんて、10代、20代の自分には想像もつかなかった出来事です。
実家では、兄も昨年結婚した妻とともに帰省してきていて、みんなでお雑煮とおせちを楽しく食べました。いろいろな話をしたり、笑ったり、何の違和感もない時間でした。私は本当に幸せな気持ちでした。
家族と同性愛者等の子どもとの関係は、このようなオープンな例ばかりではありません。子どもの方は、隠しておいたほうが親孝行だと思っていたり、万が一、同性愛者等だと分かった時、親が自分を否定するのではないかという恐れを抱えたりしています。そのため、家族で祝うお正月から次第に足が遠のいたり、親戚たちの「結婚しないのか」攻撃で、お正月がまるで拷問のようだと感じたりしている当事者もいます。
お正月を祝う家族の風景に、私たちLGBTも当たり前にいることができるように。
「LGBTの家族と友人をつなぐ会」の活動は、これからもっと重要になると思います。
2007年、今年も素晴らしい出会いとつながりができますように。
尾辻かな子(大阪府議会議員)
☆晴れやかな新年を迎えて、初のご投稿を「つなぐ会」の強力サポーター尾辻かな子さんからいただきました。幸せなお正月を迎えられたご様子を読ませていただき、こちらまで幸せを分けていただいたような楽しい気持ちになりました。いつもバイタリティに溢れた尾辻さんからは、自分に自信がなく家族に心を開けない、そんな時代があったなんてうかがい知ることもできないほどですが、その過去があったからこそ今の尾辻さんの活動があるのですね。
LGBTの家族や友人が共に、当たり前に、楽しみや悲しみや幸せを分かちあえる。そんな社会を、それが当然の社会を作っていきたい。そのために「つなぐ会」ができること、みんなの知恵を合わせて今年も頑張ってまいります。大きな大きな「つなぐ会」へのエールをいただきました。ありがとうございました。
お正月は、お盆とともに、いわゆる家族が集まる機会が多いもの。レズビアンの私にとって、このような機会はどことなく気が重いものでもありました。私は実家を出てパートナーと生活しているのですが、普段の生活について家族に話すことはほとんどなかったのです。しかし、2007年のお正月は、私にとって忘れられないお正月になりました。初めてお正月に、パートナーを連れて実家に行ってきたのです。
年末に私の母が、おせち料理を作るから、パートナーと一緒に食べにおいでと誘ってくれたのがきっかけでした。最初、私のパートナーは、私の実家に行くのはただでさえ緊張するし、他の家族にも気を使うし、と渋っていました。(こういう心境は、ヘテロセクシュアル(異性愛)の人たちと変わりませんね)でも、折角母が誘ってくれたんだし行こうよと、私が熱心に誘って、ついにパートナーも一緒に行くことになりました。
私の実家は、車で1時間ほどのところにあります。車の中で感無量になっている自分がいました。自分が自分らしくあることに全く自信がなく、生きていけるのかどうか分からなくなっていたころ。自分の性的指向は、周囲に隠さなければいけないと思っていたころ。パートナーができても、家族には祝ってもらえるものではないと思っていたころ。家族に対しては、後ろめたい気持ち、そして心を開けない、最後の一線で自分を守らないといけないと気を張っている気持ちが私にはありました。月日は流れ、私は議員になり、同性愛者であることをカミングアウトする本を出版し、最初は戸惑っていた母も「LGBTの家族と友人をつなぐ会」に積極的にかかわり始めました。そしてやっと、このお正月を迎えました。「ここまで生きてきて、本当によかった」車のハンドルを握りながら、ふと涙がでてきました。まさか自分が、家族、パートナーと一緒に、お正月を祝えるようになるなんて、10代、20代の自分には想像もつかなかった出来事です。
実家では、兄も昨年結婚した妻とともに帰省してきていて、みんなでお雑煮とおせちを楽しく食べました。いろいろな話をしたり、笑ったり、何の違和感もない時間でした。私は本当に幸せな気持ちでした。
家族と同性愛者等の子どもとの関係は、このようなオープンな例ばかりではありません。子どもの方は、隠しておいたほうが親孝行だと思っていたり、万が一、同性愛者等だと分かった時、親が自分を否定するのではないかという恐れを抱えたりしています。そのため、家族で祝うお正月から次第に足が遠のいたり、親戚たちの「結婚しないのか」攻撃で、お正月がまるで拷問のようだと感じたりしている当事者もいます。
お正月を祝う家族の風景に、私たちLGBTも当たり前にいることができるように。
「LGBTの家族と友人をつなぐ会」の活動は、これからもっと重要になると思います。
2007年、今年も素晴らしい出会いとつながりができますように。
尾辻かな子(大阪府議会議員)