横浜は、今日朝から気持ちよく曇っています
サー、年末モード満開♪
忙しい・・・。
という訳で、早速ですが
竜馬がゆく
の抜粋は・・・・・
今日はお休み。
というのは、今日は坂本竜馬さんの誕生日
そして
坂本竜馬さんの命日
今日、ゆかりの土地では盛大なイベントが行われているのでしょうか?
竜馬が暗殺されたのが
32歳
今の僕より 20歳も年下・・・・
僕も32歳の時に竜馬が暗殺された歳になった・・・
それなのに、俺は何をしたのだろう??
と、考え込んでしまいましたが
僕は、このときすでに 3人の子の親となっていた
竜馬が残さなかった子孫を僕はしっかりと?
育てている
人間の生きた証は
単純に考えて子孫を残すこと
でも、この平和な世の中に子供を産み育てられたのは
竜馬をはじめ
沢山の人々のお陰だ
竜馬も
靖国神社に祭られている
第二次世界大戦で犠牲になられた
沢山の方も
お墓は京都の護国神社にある
それはそれで、靖国神社の意義はある
日本の国教・・・?
神教は日本で生まれた独自の宗教です
天皇陛下を中心とした国家を作ろう
と、武市半平太をはじめ
沢山の志士が幕末戦った
その流れが靖国神社にも流れている
と思えば、いいんじゃないかな
祭られている
と言う、ニュアンスが難しい
日本のために命を賭して尽力を尽くしてくれた方々を
国として
ありがとう
と言う気持ちで
礼拝する
それが、祭ると言うことではないのでしょうか?
さて、
陸奥宗光
と言う、海援隊の一員
当時、海援隊の皆からは生意気だ、と疎んじられていたようですが
竜馬の包容力はそこさえも面白がったと言う
その、人を褒めない陸奥が
明治薩摩長州中心の政権になりこういった
竜馬の死とともに竜馬の抱いた、
あの偉大な思想も消えた
竜馬さえおればこんな醜悪な政府出現しなかった
と、しかし、伊藤博文に外務大臣に任命されカミソリ大臣
と、諸国から一目おかれた
そんな、陸奥が残した文に
坂本は近世史上の一大傑物にして
その融通変化の才に富める
その識見、議論の高き
その他人を誘説・感得するの能に富める
同時代の人能く彼の右に出る者あらざりき
そして、こうも書いてある
坂本は一方においては
薩摩・長州・土佐の間に蟠りたる
恩怨を融解せしめて
幕府に対抗する一大勢力を
起さんとすると同時に
直ちに幕府の内閣につき
平和無事の間に政権を
京都に奉還せしめ
幕府をして諸侯を敷きいて
朝廷に朝し 事実において
太政大臣たらしめ
名において
諸侯を平等の臣属たらしめ
もって無血の革命を遂げんと企てぬ
彼 もとより土佐藩の一浪士のみ
土佐の下級武士の身でありながら
勝海舟とともに
いや、もっと沢山の幕府の要人とも太いパイプを作り
この快挙を成し遂げた
最後まで夢を追い続けた前のめりの姿勢で斃れていった
この話しを書くのにいつが良いか悩んでおりましたが
竜馬がゆくの紹介の只中でしたが
竜馬の誕生日・命日
ということで、今日書かせていただきました
サー、年末モード満開♪
忙しい・・・。
という訳で、早速ですが
竜馬がゆく
の抜粋は・・・・・
今日はお休み。
というのは、今日は坂本竜馬さんの誕生日
そして
坂本竜馬さんの命日
今日、ゆかりの土地では盛大なイベントが行われているのでしょうか?
竜馬が暗殺されたのが
32歳
今の僕より 20歳も年下・・・・
僕も32歳の時に竜馬が暗殺された歳になった・・・
それなのに、俺は何をしたのだろう??
と、考え込んでしまいましたが
僕は、このときすでに 3人の子の親となっていた
竜馬が残さなかった子孫を僕はしっかりと?
育てている
人間の生きた証は
単純に考えて子孫を残すこと
でも、この平和な世の中に子供を産み育てられたのは
竜馬をはじめ
沢山の人々のお陰だ
竜馬も
靖国神社に祭られている
第二次世界大戦で犠牲になられた
沢山の方も
お墓は京都の護国神社にある
それはそれで、靖国神社の意義はある
日本の国教・・・?
神教は日本で生まれた独自の宗教です
天皇陛下を中心とした国家を作ろう
と、武市半平太をはじめ
沢山の志士が幕末戦った
その流れが靖国神社にも流れている
と思えば、いいんじゃないかな
祭られている
と言う、ニュアンスが難しい
日本のために命を賭して尽力を尽くしてくれた方々を
国として
ありがとう
と言う気持ちで
礼拝する
それが、祭ると言うことではないのでしょうか?
さて、
陸奥宗光
と言う、海援隊の一員
当時、海援隊の皆からは生意気だ、と疎んじられていたようですが
竜馬の包容力はそこさえも面白がったと言う
その、人を褒めない陸奥が
明治薩摩長州中心の政権になりこういった
竜馬の死とともに竜馬の抱いた、
あの偉大な思想も消えた
竜馬さえおればこんな醜悪な政府出現しなかった
と、しかし、伊藤博文に外務大臣に任命されカミソリ大臣
と、諸国から一目おかれた
そんな、陸奥が残した文に
坂本は近世史上の一大傑物にして
その融通変化の才に富める
その識見、議論の高き
その他人を誘説・感得するの能に富める
同時代の人能く彼の右に出る者あらざりき
そして、こうも書いてある
坂本は一方においては
薩摩・長州・土佐の間に蟠りたる
恩怨を融解せしめて
幕府に対抗する一大勢力を
起さんとすると同時に
直ちに幕府の内閣につき
平和無事の間に政権を
京都に奉還せしめ
幕府をして諸侯を敷きいて
朝廷に朝し 事実において
太政大臣たらしめ
名において
諸侯を平等の臣属たらしめ
もって無血の革命を遂げんと企てぬ
彼 もとより土佐藩の一浪士のみ
土佐の下級武士の身でありながら
勝海舟とともに
いや、もっと沢山の幕府の要人とも太いパイプを作り
この快挙を成し遂げた
最後まで夢を追い続けた前のめりの姿勢で斃れていった
この話しを書くのにいつが良いか悩んでおりましたが
竜馬がゆくの紹介の只中でしたが
竜馬の誕生日・命日
ということで、今日書かせていただきました