盆過ぎぬ 蝉のしぐれも 雨に落ち
梅士 Baishi
お盆らしい霊送りもせず、見ることもなく、盆が過ぎ
た。
朝の風が冷たくなった。
明るくなっても蝉は鳴かなくなった。
今日は朝から秋の雨である。
夜、夢の中でスポーツにおけるrespectについて講義
をして出題をしていたような気がする。
すると、二人の男が寝ている自分に覆いかぶさらんば
かりに迫っていた。
驚いて起き上がったとたんに二人は消えていた。
悪霊なのか、宇宙人なのか。
宇宙人なら、礼儀をわきまえよと申し送ったことであ
った。
盆の合間に、「インド・パール判事の霊言」を読まさ
せていただいた。
戦勝国軍による敗戦国へのリンチであり、日本にとっ
ては屈辱的「東京裁判」で、唯一、日本を擁護し、東京
裁判を非難した人物である。
「日本国憲法」は無効であり、改憲ではなく、廃憲に
すべきであると端的に述べられていた。
大東亜戦争はアジア・太平洋における、殖民地支配者
欧米列強との戦いであり、アジアを相手に戦ったのは、
植民地に侵食されながら日本にたてついた中華民国を名
乗る蒋介石軍だけだった。
その蒋介石軍は、毛沢東の共産軍に追われ、戦後のど
さくさにまぎれて日本国台湾を侵略、簒奪して台湾人に
対して植民地支配を行ったのだ。
パール判事の日本に対する敬愛と戦後の精神的堕落に
対する無念の思いは、幸福の科学の歴史観と一致してい
る。
東京では、アルバイト学生なのか、左翼公務員の子ど
もなのか、「反戦運動」をしているのだという。
何の反戦運動なのか。
まだ起こってもいない母国日本の防衛戦争に反対して
いるのである。
恥ずかしくはないのか。
自分も学生の頃は反戦運動をしていた。
それはベトナム戦争反対運動だった。
アジアの同胞というべきベトナムが、アメリカに無残
に殺戮されていたからである。
政府に対する不信感は大きかったが、母国防衛戦争反
対運動ではなかった。
確かに心情左翼ではあったろう。
そのことを恥じているのである。
もっとも、大東亜戦争は純粋に植民地解放戦線として
始められたのではない。
それには力不足だったからである。
しかし、アジアの盟主たるべき日本でさえも、アメリ
カの脅威に迫られ、原油を止められた。
日本にとってはもはや死活問題であり、欧米の植民地
支配に屈するか否かの瀬戸際に立たされたのである。
原油確保のためのアジア転戦ということもあったが、
大東亜共栄圏構想は、アジアから欧米の植民地支配を一
掃するということに他ならなかったのである。
パール判事が申されるように、日本は朝鮮に対しても、
満州に対しても、台湾も、日本国として、日本国民とし
て統治したのである。
そもそも、独立国家を侵略したのではない。
朝鮮も、満州も、チャイナでさえも、国家が存立して
いない地域であった。
その地域に、欧米列強が進出することを阻止する戦い
だった。
日本統治は、日本国民としての統治であって、明らか
にそれは植民地支配ではなかったのである。
欧米の残虐な植民地支配と比較すれば明らかである。
しかし、敗戦の辛酸は、アメリカのホロコーストに遭
って、無残であった。
日本が体験した戦争とは、米軍による焼き討ちであり、
原爆投下にまでおよぶ無差別殺戮(ホロコースト)だっ
たのである。
戦争反対というのなら、米国に向けて非難するデモで
なければ筋違いであろう。
幸福の科学の大川隆法総裁でさえも、初期の頃は植民
地解放のための戦争だったという評価については懐疑的
だった。
それほどに、反日教育が浸透していたともいえる。
母国防衛戦争反対運動をしている共産党や反日公務員
たちよ、恥を知れ!
国籍を離脱せよ。
日本防衛に反対する者は、日本国民ではないからであ
る。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党