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すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ わわめけど見えず・・・ 携帯リスク  ふがいない懸念事項

2010年07月30日 21時05分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  わしわしと  蝉わわめくも  葉隠れて    

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 わしわしとあまりに大声で鳴くのでその音だらけの木を見上げるのだ

が、どうしても姿が発見できない。

 まるで、樹木が鳴いているようである。

 腹話術というべきか、葉隠れの蝉であることよ。

 

 

 

 

 

 

携帯リスク】 


 どうも携帯電話というものになじまない。

 一応PHSをもってはいるが、10年になると、さすがに電池が持たなく

なってきた。

 電池の買い替え時だが、電池が売っていない。

 電話しかできない便利な電話で気に入っているのだが・・・。

 

 それにしても、みんな電話代を1万円前後使っているが、無駄遣い

だと思える。

 二万円から三万円使っている者も珍しくない。

 自転車を走らせながら携帯を見ているのを見ると怒鳴りあげたくな

る。

 

 携帯メール依存でコミュニケーションが円滑になったのか。

 安易な方法では思いと言うものは生まれないものである。

 武士たるものも、携帯メールなどに依存するなど恥であろう。 

 携帯電話は、携帯リスクというべき代物になっていると思う。

 

 

 

 

 

ふがいない懸念事項】 


 

① チンピラ悪魔というべき嘘つき菅の政権を置いていること。

② 米韓の合同海上軍事演習に、日本は参加していないこと。

   どういうつもり?軽蔑すべき国、日本に成り下がっている。

③ 商船三井のタンカーがシーレーン上で爆破攻撃未遂の危機に。

   日本は、軍事的に守るわけでもない体たらくである。

④ 沖縄の基地問題はいまだ決着を見ず。もはや、これまでという事態。

⑤ 相変わらず、中国様に尻尾を振り続ける企業や自治体の売国奴

ぶりは浅ましい限りである。

 熱烈歓迎のチャイナ語が町中にあふれている始末。

 チファーチファーアナウンスがうるさいベスト電器だが、「すんません、

日本人は入ってよかとでしょうか。パスポートはいらんですか?」と聞

くのも面倒なので、入らずじまい。

 

⑥ まだ、宇宙人に遭遇していないこと。

 宇宙人講義をしたが、どうも信じられないらしい。

 さて、どうなることか・・・。

 そろそろ、宇宙人遭遇体験が必要だと思える。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 土砂降り・・・ 『神聖自由市場主義』 

2010年07月29日 07時40分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  土砂降りの  せみ時雨かな  大和道 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 昨夜までの雨はせみ時雨に取って代わって、晴天である。

 せみが鳴いていると、ああよかった、まだ夏だ、と思う。

 目を閉じると、耳の奥でセミたちが鳴いている。

 

 このにぎやかさはどうだろう、虫の息とは言いながら・・・と思う。

 忙中閑あり、タイムベースマネジメントでしばしの夏を楽しむとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

真正資本主義の敵~ 貧乏神の社会主義・共産主義】 


 社会主義は貧乏人に組織的な力を発揮させたが、その力は貧乏神

の力だった。

 貧乏神は意外とおそろしい全体主義であり、独裁者であった。

 貧乏神は貧乏を好んではいても、貧乏人を好んではおらず、それは

道具に過ぎなかった。

 貧乏神は孤独かと思っていたら、意外と貧乏人大衆の支配者だっ

たのである。

 

 貧乏を旗印にしてはならない。

 百姓一揆の先にあるものは、貧乏人の正義や公平ではなく、暴力に

よる粛清と恐怖政治である。

 『弱きを助け、強きを挫く』というのは間違った考えなのである。

 強い者は不正であるという考えは間違った責任転嫁である。

 

 仕事の意欲を失ってはならない。

 自由とは、他人の為に働くことである。

 先行投資して、働くことである。

 現代的行商を考えてみることだ。

 人様のお役に立てる情報産業というべきサービスもあるだろう。

 貧乏なのは、決して成功者のせいではない。

 自分の修行課題として与えられた資本であると考えるべきである。

 

 貧乏性にならないよう、気をつけなければならない。

 貧乏を正当化する考えを持ってはいないか、金持ちを憎む気持ちを

持ってはいないか、自己中心的なのではないか、人のために働くとい

う気持ちが弱いのではないか、努力を怠っているのではないか・・・。

 

 この日本に、貧乏のむしろ旗を立て、亡国の政権を立ててはならな

い。

 真正資本主義に敵対する第一の敵は貧乏神、すなわち社会主義・

共産主義の勢力である。

 

 

 

 


 

神聖資本主義と偽装資本主義


 第二の敵は、獅子身中の虫、似て非なる偽装資本主義である。

 それすなわち、拝金主義の輩である。

 彼らはマネーゲームを好む。

 戦争ビジネスを好む。

 あぶく銭のような巨万の富を好む。

 冷酷な弱肉強食の競争を仕掛け、独占を好み、やがて自滅する勢

力である。

 

 偽装であるのは、その前提となっている自由が自己中心であり、唯

物論的な不信仰を特色とする点にある。

 すなわち、覇権主義である。

 「神からの自由」が弱肉強食的侵略支配の野望を持つのである。

 神を排他する唯物論である点では社会主義と似ている。

 

 真正資本主義とは、『神聖自由市場主義』を意味する。

 資本とは私有財産制度と取引自由、経済活動の自由を意味する。

 しかし、その自由にはモラルがあり、愛がなければ世の中を豊かに

する経済活動とはならない。

 資本主義の真正とは、神への自由であり、愛と正義である。

 自由は、信仰によって義とされるのである。

 

 マネジメント思想は、自由を愛し、自由闊達な世の中にすることを目

的としている。

 他人の協力を求める謙虚と、他人のために価値を創造しようという志

を持っている。

 『神聖自由市場主義』には、愛と自由の思想があり、その根源に仏神への

敬虔と求道心があることを忘れてはならない。

 

 資本主義という表現は唯物論的響きが染み付いてしまった。

 『神聖自由市場主義』と改名するよう、提案する。

 大川隆法著 幸福の科学出版刊の書籍に学ぶことを奨める。  

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 紋黄蝶、扇ぎつつ飛び・・・ 就職試験のあり方をイノベーションせよ

2010年07月28日 23時20分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 


 

  暑ければ  扇ぎつつ行き  紋黄蝶  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 紋黄蝶はモンシロチョウのように一般に広く分布する夏の蝶である。

 街中で蝶を見ることも少ないから、とても珍しい蝶に見える。

 

 雨乞いが利いたのか、今朝は小雨になった。

 連日の焼け石も一息つくことであろう。

 

 さて、一息ついて思うことは、顧客目線の仕事を誠実に創造してゆ

かないとマネジメントの効果は期待できないということである。

 仕事は、他人との協力で成り立つということが、マネジメントの基礎

にあった。

 その他人こそが、顧客である。

 

 すると、お客様の協力だけではなく、軽蔑したくなる職場のスタッフ

や上司というのも、思うに任せないお客様ということになる。

 今更、いい顔ができるか、とも思うが、お客様をないがしろにしては

いけない。

 ああ、この板ばさみが厳しいが、折れなければなるまい。

 

 お客様のために働けないでは、マネジメントはできない。

 そこで、次々に新手を打って、それなりの成果をあげてゆくほかある

まい。

 その功績はみんなくれてやる。

 いや、サービスさせていただく。

 タイムベースマネジメントで、速度を上げてゆくとしよう。 

 

  

 

 

 

 

 

  束の間の  雨上がりに鳴き  今朝の蝉 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 クラシック音楽をかけて、それで満足していると、音が出ていなかっ

たことに気づくことがある。

 そういえば、というように、せみが鳴き始めた。

 ぱらぱらとしていたラジオ体操も今朝は中止だった。

 ふと、我に返る今朝の雨である。

 

 

 

  

 

就職試験のあり方をイノベーションせよ】 


 何十社もWebテストではねられ、やっと巡ってきた筆記試験で落とさ

れ、しがみつきたくなる面接試験や最終試験でも落とされ続けている

学生にとって、盆の気分は複雑であろう。

 

 買い手市場だからといって、企業採用側はいい気になってはならな

い。

 人斬り半蔵のように、呪われることであろう。

 採用の仕方の無能は、企業の無能をあらわしてもいる。

 雇用力もないくせに、処理できないほどの応募がくる応募方法をとっ

ていること自体がマーケティング無能力である。

 

 最初からハードルを高くすれば良いのだ。

 応募自体を難しくすれば良いではないか。

 難しいとは、努力しなければできない課題を課しているということで

ある。

 

 ところが、大学受験とさしてかわらない筆記試験(SPI)や動物占いと

さして変わらない適性試験でテストしているのだから、その人事判定

の無能ぶりは、山ほどのNOを不吉に積み上げる縁起の悪さである。

 就職活動の学生とはいえ、企業から見ればお客様である。

 そのお客様に対して、無駄な作業を強いて信用を失っているともい

える。

 

 大学の信用もちに落ちたものである。

 大学の成績なんて全く信用されず、高校入試のような問題でテストを

しなおされているのだから。

 

 企業にとって有益な課題を応募課題として課してはどうなのか。

 営業課題、商品開発課題、マーケティング調査課題、作品制作課題

など、いろいろ考えられるであろう。

 そうすれば、課題を乗り越えられる学生は当然に絞られてくるし、何

十社もエントリーするなどという中身の無いことはできなくもなる。

 学校も、それに通用する教育指導をしなければならなくなるだろう。

 

 あとは、運動能力テスト、スポーツ競技能力テスト、面接試験という

ところが必要であろう。

 兵役修了者は高く評価するべきである。

 すなわち、自衛隊勤務3年以上の者である。

 これで、産官学協働の人材育成と採用ができることになる。

 

 これ以上、無能で生産性の無い就職試験をやめるべきである。

 無能な人事は配置転換せよ。

 そうでなければ、企業のイノベーションなどできるはずがない。

 

 シュンペーターのイノベーションに学び、ドラッカーのマネジメントに学

び、エルカンターレ大川隆法の繁栄の法に学ぶべきである。

 正しい宗教の信仰なくしては、資本主義の再生はできないであろう。

 資本主義の生命は愛にほかならないからである。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 

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+ 焼け石の蝶・・・ 経済試練をくぐる前に、『社長学入門』を勉強せよ

2010年07月28日 07時21分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  焼け石に  雨降りたまえ  川をなせ   

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 雨乞いである。

 歩きながら、行水をしたくなる。

 確か、今年は冷夏だったのではなかったか。

 長いこと寒かったし、長いこと雨だった。

 

 山笠までは雨で、夏のごとなかったですもんねえ。

 そいにしても、いや~、暑かですなあ~。

 外のまぶしかこつ、目も開けられんですばい。

 世の中、8次元ぐらいになりましたかなあ。

 民主党政権ですけんねえ、炎熱地獄かもしれんですたい。

 そげんですねえ。

 

 そんな風に、世間話が通る世の中なら健全なのだが・・・。

 

 

 

  

 

 

 経済試練をくぐる前に、『社長学入門』を勉強せよ 】 


 「時代はこの国を『全体主義的社会主義』の流に引きずり込んでいく

だろう。政治体制そのものが、国の没落を目指すとき、社長は、自ら

の持つ『真剣』に、毎日手入れを怠らないことだ。」(2009年11月、

社長学入門の序)。

 

 中小企業の経営者たちよ、もはや、国には頼るまいぞ。

 自分たちで、異質を組み合わせて、新しいプロジェクト型企業を目指

すべきではないのか。

 その会社が伸びるか伸びないかは、メイン商品に発明があるかどう

かが第一の鍵となる。

 発明というべき新規性がなければ、売り上げは伸びないであろう。

 

 発明は物理的機能の創造であるが、起業的発明には、心理的機能

も発明に匹敵する。

 縁起を担ぐべきである。

 縁起をよくするためには、やはり、幸福の科学に学ぶほかあるまい。

 その縁起の法を知ると、驚くことであろう。

 

 まずは、神道の神々に縁起をいただくのが良い。

 しかし、そのためには、穢れを祓わなければならない。

 反省である。

 神に帰依する誠実である。

 誠実は道を開く力である。

 

 真理を学ばなければ、良い縁起のストーリーが描けない。

 だからこそ、幸福の科学に学ぶべきであるのだ。

 まずは、知力ベースマネジメント、大川隆法著 幸福の科学出版刊

『社長学入門』を手にすることだ。

 そこから、産業革命が起こるであろう。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 厳しき沙汰の夢・・・ 大相撲の大政奉還  相撲興行は、NHK事業あるいは自治体事業とせよ

2010年07月27日 08時00分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  この世より  厳しき沙汰よ  夏の夢 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 スポーツをするように、夏という季節は大好きである。

 暑くても、騒がしくても、汗が噴出しても、夏は大好きだ。

 さすがに寝苦しくて、夜中1時と3時に目が覚めた。

 そして4時過ぎにはリアルな夢を見ていた。

 小倉に転勤して欲しいというのだ。

 その前は解雇を言い渡された。

 まさに悪夢である。

 

 死ぬのはこわくないが、仕事を失うのはこわい。

 かといって、会社の役所化した経営には憤懣やるかたない。

 良く生き残っているものだ、とシーラカンス研究現場にいるかのよう

に思うこともある。

 

 悪夢は自分の弱点を突いている。

 ならば、その弱点を克服する活動をしなければならない。

 いずれ備えなければならないのが自営業へのチャレンジである。

 構想があるということは、何れやらねばならない時がくるというという

ことであろう。

 

 激動の時代は嫌でも次のチャレンジを求めてくるものだ。

 しかし、マネジメント思考が必要である。

 仕事というものは、他人の協力を得てするものだ。

 

 悪夢の考案は冷や汗、脂汗ものである。

 はやいところ、エイリアンと商談をしたいものである。

 ウンモ星人のおんぼろUFOでも、日帰りUFOツアーが面白い。

 月や火星やニビル星も日帰りコースに入るのではないか。

 

 3mもある蜂型宇宙人というのも、いくら臆病といってもちょっと怖い

が、しゃべれたら仲良くなれる。

 巨大蜂型宇宙人が運転するレトロUFOの旅なんて、素晴らしいでは

ないか。

 宇宙を垣間見るだけで、この世の憂さくらい消し飛んでしまうだろう。

 

 

 

 

 

相撲興行は、NHK事業あるいは自治体事業とせよ】 


 さて、大相撲名古屋場所が蚊帳の中でひっそりと終わったそうで

ある。

 権威が失われては、もはや大相撲ではない。

 穢れたのでは、土俵が成り立たない。 

 だからこそ、剃髪して謹慎せよと提言したのだ。

 

 暴力団との付き合いはいわば腐れ縁だったろう。

 地方巡業の営業は、暴力団任せというところがあったのではないか。

 たしかに、昔のやくざは仁義に厚く、神棚に手を合わせる敬虔さもあっ

たにちがいない。

 しかし、今のやくざにからっとした仁義はない。

 やはり、きっぱりと手をきるほかはないのだ。

 

 そこで、巡業商売の仕方だが、NHK放送局がある地域で興行を打ち、

その営業は、NHKにやらせるとよい。

 国技である以上、地方公務員にもノルマを課して、給料が出る程度

の営業をやらせるとよい。

 年六場所から、4場所制にしてはいかがだろうか。

 今なら、思い切った改造ができる。

 禍転じて福と成す切り返しの技を発揮するときではないか。

 

 地方巡業を増やして、相撲人気を取り返さなければならない。

 各地の神社で奉納相撲をするべきでもある。

 やくざからの大政奉還をきっちりとやってほしい。

 それがけじめであろう。

 

 相撲取りは神聖な国技であることを勉強して、髷を正すことだ。

 日本の神は寛容である。

 異文化も受け入れる度量がある。

 しかし、無作法や穢れは許さない。

 

 モンゴルは、いまや相撲の名門出身地となった。

 しかし、外国人のままであってはならない。

 髷を結うとは、日本の神殿に入るということである。

 それは名誉なことなのである。

 横綱ともなれば、そうした神聖を身に着けなければならない。

 モンゴル国民でありながら、日本の神聖を身に着けるのは名誉で

ある。

 強いというだけが横綱ではないのである。

 カリスマ的正統性と伝統的正統性が横綱である。

 

 こうした伝統文化は簡単にまねることのできない精神文化でもある。

 これを壊すわけには行かない。

 菅政権が崩壊するまでは、民主党政権が崩壊するまでは、大相撲

は表に出てこないことだ。

 菅総理の魂はチンピラ悪魔である。

 穢れた民主党政治家を土俵に入れてはなるまい。

 天照様の厳命でもある。

 

 相撲協会よ、これまでにたまった垢を掃除せよ。

 穢れを祓え。

 修行者たれ。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 真夏の夜の夢のあと・・・  維新の志には独立自営の覚悟を  幸福の科学への提言 

2010年07月26日 07時48分16秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 

  夏の夜の  夢の主らが  朝ぼらけ

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 夏の日の出頃の空はドラマチックである。

 シェークスピアの未来戯曲を練習していたのではないかとも思える。

 あのピラミッド型の雲は、UFOが隠れているのかもしれない。

 鳥獣型レプタリアンの雲が火の鳥のように竜を追いかけて食おうとし

ている。

 そんな様子を、寝ぼけ眼のすずめが眺めている。

 


 文明とは落書きのようなものなのか。

 描いては消し、また描いて気に入らなければまた消すのである。

 今回の文明も仕上げ段階に入ってきたが、絵の具が混じりすぎて汚

い色になってきた。

 

 「う~ん、また画布を張り替えようか・・・。」

 「日本なんて、とってもきれいな旭日のいろだったのにねぇ~。」

 「黄金色まで使って光彩を放とうという構図なんだけどね~。」

 

 泥沼からすっと立ち上がる蓮の花という絵を描いてみようではないか。

 清濁合わせるこの世だからこそ、栄養も豊富なのだ。

 この泥沼に根を張って、見事な華を咲かせようではないか。

 

 

  

 

 

 


 ベンチャーの覚悟と幸福の科学起業促進政策への提言 】 


 何事かをなさんとするとき、自立自営の覚悟がいる。

 維新の志士の脱藩は、その気概を示すものだが、若かったからでき

たともいえる。

 さて、現代の脱藩とは、と考えると、失業覚悟ということになるだろう。

 えいえいおー、とやるのは良いが、単発で終わるのでは知恵が無い。

 

 失業はいけない。

 起業でなければいけない。

 一歩先の起業のアイデアと人脈と資金脈の見通しが必要である。

 スポンサーがつくほどの共感がなければ、起業の商品価値としては

不足である。

 しかも、許認可行政の邪魔をかいくぐらなければならない。

 

 

 

 

 

 ことを起さんと思う者は、独立自営の覚悟と準備が必要である。

 その一つに、フランチャイズ事業というマニュアル型ビジネスがある。

 マニュアル提供者になるには、一端ベンチャーとして成功しなければ

ならない。

 その成功方式の暖簾分けを買うわけである。

 

 その延長線上に、『幸福の科学Web書店フランチャイズ』という構想

を提案したい。

 これは、光の書籍を発信するベンチャー型書店である。

 駄菓子屋のような書店とWeb通販書店を合わせたスタイルである。

 i-パッドなどを応用すれば、出版社ビジネスにも展開できる。

 そこに、商店主のベンチャー努力の魅力がある。

 すなわち、無名作家の作品をどんどん、電子書籍化して売り出すのだ。

 

 さらには地方放送局を運営することもできる。

 比較的安価な経費で、リアルタイム画像送信が可能になっている。

 動画も、ユーチューブよりはるかに優れた動画配信技術が実用化さ

れている。

 これをベースに、委託を受けて実家訪問生中継なんてサービスもで

きるわけである。

 

 そうした発展可能性のあるベーシックなビジネスモデルを、幸福の

科学出版に考えていただいて、維新の志士に提供するのである。

 まずは、主婦ベンチャーからはじめても良いではないか。

 ビジネスセミナーを重ね、ベンチャーへと研修する。

 同様に、公文式に相当する教育ビジネスモデル(寺子屋チェーン)と

いうことも考えて欲しい。

 

 こうしたフランチャイズ方式のビジネスモデルは、いわば、坂本竜馬

の海援隊に相当するだろう。

 伝道にも、世直しにも、教育や書籍を行き渡らせる必要がある。

 そうした使命は、本来、ボランティアではなく、職業として展開できて

こそ大きな力を発揮するのではないか。

 それが、ドラッカーのマネジメント思想ではないか。

 

 幸福の科学本体はいわば役所であろう。

 世界宗教としての本体であるから、まだ、大きな政府には遠いだろ

うが、大きな政府に陥らないように、民間活力を伸ばす政策をすすめる

工夫も大切である。

 幸福の科学の勢力としては、今はまだ、官主導の殖産興業の時期

ではないか。

 

 幸福の科学企業グループを形成するためには、経営者伝道と合わ

せて、起業促進政策が欠かせないと思うのである。

 これから必要な起業の波を、幸福の科学主導で起すのである。

 凡人でも起業してゆければ、是ほど大きな発展はない。

 その提言である。
    

 

       立憲女王国・神聖九州やまとの国

         梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 世の中の真ん中で・・・ キリスト教の左翼癖。  貧乏救済は経済の仕事である。

2010年07月25日 10時37分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  世の中の  真ん中におり  せみ時雨

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 いつの間にか寒冷前線が消えて、すっぽりと太平洋高気圧に覆わ

れている。

 今日も暑くなりそうである。

 6時前から、世の中の真ん中でもあるかのように景気良く、忙しく、

マゼミが鳴き競っている。

 せみ時雨の中にいると、なんだか安心するのである。

 

 部屋の中には、パソコンの残骸が増えてきた。

 自分で組み立てていた時代もあったが、日進月歩、完成品を買った

ほうがかえって安くて便利だ。

 趣味というほどの独創性の余地はない。

 サーバーを自前でと思ったこともあるが、借りたほうが安くて安全だ。

 パソコンは工業製品に他ならない。

 

 

 

 

 

貧乏救済は牧師の政治活動ではなく、経済の仕事である】 


 

 洗礼をしてくれたかつての恩師である牧師さんは、もうすぐ定年退職

ではあろうが、解放の革命家のつもりでサーバーのセキュリティー

をあれこれと組みなおしているようなことを書いていた。

 おろかなことだ。

 なぜ、キリスト教は左翼に加担しやすいのか。

 

 愛の思想が貧乏人や犯罪者に向けられるからであろう。

 しかし、貧乏人を救えるのは、愛である前に豊かになろうとする職

業努力であるはずだ。

 経済とは「経世済民」ではないか。

 政治は富国強兵政策をとり、個人は経済という繁栄の努力をし、そ

れでも貧乏で放置できない民は、個人の救済事業に任せるべきであ

る。

 

 慈善事業に救済されるのを潔しとしなければ、天命に任せて生きら

れるだけ生きればよいではないか。

 政治が、貧乏人個人の救済を制度としてやろうとするから、自由を圧

迫し、国全体を不況に追いやり、亡国へと転落させることにもなるのだ。

 

 国の仕事も、生活保護給付である前に、産業が栄えるように自由を

保障することであるはずだ。

 個人の救済は役人にではなく、個人の愛に任せるべきである。

 牧師が貧乏人を助けたければ、自らお金を稼いで救えば良い。

 政治批判をするなら、高い税金や、たくさんの産業規制を批判せよ。

 

 解放は政治批判や補助金要求ではなく、企業努力、職業努力

であるべきだ。

 そもそも、差別とは言いがかりに過ぎない。

 役人のように、ありもしない「救済」の仕事をでっち上げているのだ。

 

 政教分離というならば、解放活動もやめよ。

 訴訟で神社に言いがかりをつけるようなら、祭政一致を認めてからに

せよ。

 そもそも、キリスト教徒でありながら、神も仏も無い政治をよしとする

こと自体が間違っている。

 

 「カエサルのものはカエサルへ」という呪縛があるのだろう。

 しかし、政教分離を言っているわけではない。

 今、ローマと争うべきときではないといっているのではないか。

 あるいは、自分の役割は、たかだか、イスラエルの王として君臨する

ことではなく、人類に愛と信仰の種を蒔くために来たのだと言っている

はずである。

 なぜ、民族的な私利私欲にとらわれるのかと。

 

 解放運動のようなことを牧師がやっていること自体、キリスト教

が反日植民地化の道具であることを意味している。

 これ以上、キリストを侮辱するべきではない。

 

 つまり、サーバーのセキュリティーが問題なのではない。

 牧師よ、あなたの思想が間違っているのだ。

 「イエスキリストの霊言」に耳を傾けるがよい。

 霊性を信じず、反省ができないのでは、既に、宗教家ではないのだ

から。

 

 左翼牧師たちよ、北朝鮮の教会に転勤するが良い。

 左翼国家の母国をよくよく味わうがよいだろう。

 解放という思想信条の本性をよくよく確認することだ。 
 

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 虫の息とはせみ時雨・・・ 情報選択ブランド・私募債ネット上場信用格付け機関『幸福の科学』を。

2010年07月24日 20時19分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  せみ時雨   虫の息とは   言うものの  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 冷房の無い自宅の猛暑はさすがに昼寝に限る。

 夢うつつに、エドガーケーシーとジーンディクソンのため息のような、

絶望的未来予言を霊言に読んだ。

 ジーンディクソンは慰めてくれるのかと思ったら、ケーシーよりももっ

と絶望的だった。

 

 まあ、今のままなら、その通りだろうと思う。

 レプタリアン系統でなくとも、理論的にはそういうことだと思う。

 天上界の苛立ちが感じられる。

 日本人に対する失望感と軽蔑はあろうが、責任として受け止めるべ

き内容であると思う。

 

 これほどの危機が迫っておりながら、それに気づかないほどに、現

代の危機はステルス化されているということでもある。

 たしかに、中国の自滅装置が働き始めており、連続線上に中国の

覇権が実現するわけには行くまい。

 病気の我慢比べという感じかもしれない。

 しかし、日本人の努力として中国の脅威が消えるのでなければ、潔

しとしないことである。

 

 それにしても、菅が悪魔の手下(チンピラ)であることは高級霊界の

一致した判定である。

 その小悪魔を見破れないとは、マスコミがよほどのバカか、同族とい

うことであろう。

 どちらにしても、マスコミが企業である以上、経営的に成り立たない

状況を早く作らないといけない。

 マスコミとは広報システムの独占である。

 その独占を許してきたのは、テクノロジーの未熟である。

 

 しかし、今は、ミニコミが普及した。

 残る課題は、優良なミニコミ情報を選別する情報網のブランドを造る

ことである。

 その最先端五つ星が幸福の科学にほかならない。

 

 幸福の科学出版の書籍、リバティー推薦図書が書籍のブランドであ

るように、ブログやWebテレビなども、幸福の科学が安心情報のブラン

ドとなるであろう。

 情報選択のブランドは、簡単にはできないものである。

 これまで、渡部昇一、武村健一が情報ブランドの指標であったが、

今は、幸福の科学が最高位のブランドとなっている。

 

 書店も、幸福の科学ブランドの書籍を中心に販売したら、七福神の

応援をもらえることであろう。

 Web書店と合わせて、アナログの幸福の科学ブランド書店を経営し

たいものだ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 新しい企業が生まれるための株式制度 】 


   ベンチャーにとって最大のネックは資金調達にある。

 銀行は役に立たない。

 株式制度は、ベンチャーには冷たい。

 

 株式制度改革としては、Web上場の株式市場を作るべきである。

 最初は私募債の形で、信用ある審査機関の情報調査をつけてネッ

ト公開すればよいのだ。

 幸福の科学に、信用機関を設けて、格付けをすればよい。

 財務状況と事業内容、社長の信念や人柄などを幸福の科学などの

格付け情報として公表することで、投資家の信用をサポートすればよ

い。

 

 次に、株式売買については、株式保有5年以上でないと、議決権を

行使できないとすれば、安易な買収から企業を守ることもできる。

 坂本竜馬の霊言にも、株式制度が機能不全になっていることが問

題提起されている。

 

 その手近な方法が、私募債のネット上場案である。

 幸福の科学も、そうした資金調達部門にも人材を投入してはいかが

だろうか。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

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+ 亡き誕生日のせみ時雨・・・ マスコミの終焉を告げる電子書籍時代  選挙人資格制度の導入を!

2010年07月24日 09時47分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  せみ時雨  亡き誕生日なり  父のこと

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 7月24日は、亡き父の誕生日である。

 誕生日のレクイエムか・・・。

 せめて、ユリの花でブログを飾るとしよう。

 

 

 

 

 お盆の頃ともなると、幽霊話にも花が咲く。

 お盆くらい、幽霊会員への迎え火でも下げたらいかがだろうか。

 最近、久留米支部を発見した。

 自前の支部がこんなにも建立されるのは、エルカンターレの力があ

ればこそであろう。

 

 数年前、噂の宇都宮正心館や未来館を訪ねたことがあったが、涙が

あふれたものだ。

 感慨無量という気持ちだった。

 東京に行くときは、寸暇を惜しんで東京正心館に立ち寄る。

 瞑目している時間の至福を深呼吸して帰るのである。

 

 最近は上京の機会もない。

 今度は、バンコクにあるらしい支部を尋ねてみようかと思う。

 ドリアンと、マンゴスティンと、マンゴーを味わいたい。

 願わくば、もっともっと、円高になりますように!

 

 語学やらないとな~。

 ああ、オールタイムジャパン、愛国者であることよ。

 

 

 

 

 

 

 電子書籍時代の幸福の科学出版革命を! 】 


  エドガー・ケーシーの未来リーディングを今頃読んだ。

 本が手に入らなかったこともあるが、つくづくと、書店が本来の役割

を果たしていないということを痛感する。

 

 かつてはずいぶんと書店開拓をし、多くの協力を得たものだった。

 店頭の目立つ場所に平積みしてキャンペーンを打ったものである。

 「失われた20年」ということなのか、天神からも書店が少なくなって、

残ったじゅんくどう書店では、3Fの奥の宗教書コーナー書棚の一角を

占めているだけである。

 そんな卑屈な場所に行くだけでも不愉快である。

 

 一般の書籍から隔離し、新刊書としても紹介せず、救世の法を人々

に知らしめるべき書店の使命を果たさないとはどいういうことか。

 大半の書店には、幸福の科学出版の書籍は置かれていない。

 どうでもよい、ゴミのような本を並べている。

 いわば、マスゴミというべきメディアと同罪である。

 

 さて、七大天使サリエル様であるところのエドガー・ケーシーの霊言

は、地球人類への死刑宣告を予言するような内容であった。

 まあ、そういうことだろうと思う。

 現状は、地球人類を処分すべき方向にある、というのは間違ってい

ないのではないか。

 

 天上界の計画というのは、地上に降りたら5%程度のものであろう。

 そういう意味では絶望するべきことではない。

 希望とはたいがい、実現の確率は5%程度のものだ。

 かつて、司法試験の合格率は3%前後であった。

 そこに希望があった。

 やり方の問題である。

 しかし、そろそろ、急上昇するティッピンポイントを予定しなければ間

に合わなくなる。

 

 その動きは既に現れている。

 Web動画配信によるWebテレビの動きと、アイパッドなどによる電子

書籍出版の実用化の動きである。

 マスメディアは朝日新聞はじめとする新聞、テレビ朝日系を中心とす

るテレビメディア、講談社をはじめとする出版メディアなど、マスメディア

の旧勢力が一致して唯物論を広げ、幸福の科学運動を妨げてきた。

 

 しかし、Webテレビにせよ、電子書籍にせよ、テレビ局や出版事業

が独占事業体ではなくなることを意味している。

 すなわち、マスコミは企業として従来の市場独占の支配力を失うこと

になる。

 これが革命に匹敵するパラダイムシフトの一角である。

 

 

 

 

【 選挙人資格制度の導入を! 】


 メディアの独裁権力が失われたら、選挙が変わる。

 危機を知っても左翼政権を温存するというなら、選挙民主主義自体

が間違っているのである。

 

 本来、経済力と教養と愛国心をもっていることが参加民主主義が成

り立つ前提であった。

 貴族政治は現代的ではないが、一定要件を定めて選挙人を選別す

る制度が必要である。

 選挙人資格試験制度を設ければよい。

 兵役の義務もその要件に加えればよい。

 兵役を受けない者には、選挙人資格、公務員採用資格を認めない。

 

 

 

 

書店に引導を渡すべし


 さて、幸福の科学出版は、書店に対して引導を渡すべきときに来て

いるのではないか。

 ネット通販の仕組みも改良が必要である。

 いちいち信販カード番号を入力させるのは顧客目線のやり方ではあ

るまい。

 

 ヤフオク方式で申し込みを受け付け、郵便振込みにさせればよいの

ではないか。

 郵貯間振込みは手数料が無料なので、都合が良いのだ。

 なにも、書店に遠慮することは無い。

 書店は、その役割を果たしていない。

 

 ネット販売書店を会員から募集しても良いのではないか。

 幸福の科学運動と人々の絆は、書籍・リバティー・アユハ以外には

ないのだから。

 支部は、伝道拠点ではあろうが、絆ではない。

 支部は、礼拝所であり、秘儀の場所であればよいのではないか。

 

 学生部や婦人部、第二人生部は、いつの時代も行動戦力である。

 時々街宣をだして、書籍宣伝と行商をすればよいのではないか。

 マーケティングとは、そうした泥臭い仕事である。

 

 支部には縁遠い幽霊会員としては、そういことを考える。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

 

 

 

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+ カメムシ・・・ 左翼民主党政権後の独立政権を準備せよ  戦力強化で副基軸通貨「円」を守れ

2010年07月23日 07時51分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   カメムシや  エイリアンにも  居るような

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 運転免許の更新をした。

 更新の通知書を大切に保管していたはずなのに、その秘密の場所

が分からなくなった。

 まさか、母船に戻ってどこかの引き出しに入れたのだろうか・・・。

 もっとも、UFOの運転免許をなくしたわけではなかったからよかった

けれど・・・。

 

 交通警察に訪ねたところ、免許証を持ってゆけば大丈夫ですよ、と

いわれたので、ちょっと悔しい気分ながら自転車で出かけた。

 優良講習は30分、実質1時間で終わった。

 しかも、あの遠くのセンターではなく、自転車でゆける街中の会場である。

 ゴールデンエイジとはこのことか!

 

 ああ、それにしても、自転車は原則車道の左側通行なのだ!

 反対車線を走らないで欲しい。

 何度怒鳴りあげても逆恨みするしか能の無いバカどもに、一体どん

な待機説法があるというのか。

 「馬鹿は食わなきゃ治らない」。

 

 レプタリアンに食ってもらったほうがいいのではないかと思える日本

人が山ほどいる。

 そうでもなければ、なんで左翼民主党政権が選ばれるものか!

 悟りが浅いのかもしれないが、小沢や菅やら福島やら食ってもいい

よ、と言いたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ、円高なのか・・・、円を支える軍事力を準備せよ


 ドル円で86円台をつけている。

 ずいぶんと円が信頼されている。

 ドルを支える副基軸通貨のような期待があるのだろう。

 ユーロ円は112円近辺で、ユーロは危機を脱しているかのようなポ

ジションである。

 

 確かに、日本が滅亡しないとすれば、無借金国日本の信頼は絶大

であろう。

 国債による財政赤字は国民が第二税金のようにして知らぬが仏で

支えているのであって、日銀が肩代わりすれば済む問題である。

 通貨発行ビジネスを独占している以上、必要な調整であろう。

 

 しかし、アダムスミスの霊言にあるように、通貨の信頼を支えている

のは軍事力である。 

 世界の通貨不安を支えているのが円であるとすれば、この円を支え

る軍事力を最優先に充実する必要がある。

 

 左翼民主党政権下では売国活動をさせないように監視するのが精

一杯の有害無益政策に耐えるほかはないが、自衛隊、保守勢力が組

織して日米の軍事同盟を修復し、インド、ロシア、英国との同盟を推進

し、軍隊整備の法案を準備し、その旨をアピールするとよい。

 左翼民主党政権後は、日本は独立国家として円を守り、世界経済を

守る努力を惜しまないと宣言すると良い。

 

 現政権よりも、次期政権準備政府のほうが、世界から信頼されるこ

とであろう。

 次期政権作りを急がねばなるまい。


 
 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

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+ 猛暑のどか太陽・・・  体育教育の復興を!

2010年07月21日 20時15分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   猛暑かな  どか太陽を  降らせたり

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 7月21日、まあ、良き日である。

 早めに職場に行き、余裕で掃除をしてローソンのにぎりめしと野菜

ジュースの朝食をとり、にぎりめしを多少かみ締めながら朝礼をした。

 夏は早出に限る。

 

 まあ、それにしても長雨から一転してどか太陽の猛暑日が続く。

 熱中症にご用心。

 熱中症にはシュメールビールが良いと思うが、一般的にはスポーツ

ドリンクで十分の水分とミネラルを補給するのが良いとされる。

 水だけを補給しても塩分補給がなければ発汗が止まるから要注意で

ある。

 しらけた時代には多少熱中症くらいでバランスが取れるのかもしれ

ないが、汗をかかないのはよくないようである。

 

 さて、小学校は夏休みになった。

 夏休みになると、早速プールに行っていた。

 そのかえりに、カキ氷を食べるのが楽しみだった。

 苺ミルクが一番だった。

 

 この糞暑い中で、冬支度をするとしよう。

 夏は冬のためにあるのだから。

 ドラッカーとマズローとエルカンターレを読み漁るのだ。

 ああそのためにクマゼミが鳴き、入道雲が上がり、盆が来る。

 ありがたいことである。 

 

 

 

 

 

 

体育教育の復興を!


 教育改革は国家再興の要である。

 最も必要なことは、宗教教育と体育教育の復興である。

 すなわち、知育・徳育・体育という三本柱を立てるということである。

 

 ところが、現代教育は知育だけになった。

 知育の一角で体育が風前の灯となり、しかも小学校の体育には日

教組の性教育が入り込んでいる。

 体育専門の教師がいなくなり、体育嫌いの教師が体育も担当して

適当にやらせる。

 運動会では勝ち負けをつけてはいけないというところがまだあるら

しい。

 体育がバカにされ、いわば遊び時間くらいに扱われているのである。

 

 たしかに、かつての体育教師には教養がなく、粗暴で、勉強をしない

人という印象が強かった。

 しかし、体育は知育とは両輪の関係というべき重要な柱である。

 なぜなら、人間は肉体をもって活動するのであり、肉体と精神の調

和が活動能力を左右するからである。

 

 体育の時期は、小学校で最もその重要度が高い。

 なぜなら、スキャモンの発達曲線を見ても、子供の運動神経は4歳く

らいから急速に伸び始め、12歳にはほぼ完成するからである。

 この時期を逃しては手遅れとなる。

 だから、幼稚園のころからさまざまな運動をさせて、運動神経を養う

必要がある。

 

 特に、小学生の時代はさまざまな運動を覚えやすいゴールデンエイ

ジだといわれる。

 この時代に運動を十分にしていないと、運動神経の鈍い、転び方さ

え分からない運動音痴になってしまうのである。

 三次元の宇宙服というべき肉体の操作ができないでは、この世は

いかにも生きにくい。

 

 

 

 

 

 体育の重要さは、生涯スポーツという健康運動の習慣を身につける

ためにも重要である。

 さらには、スポーツ教育を通して、観察力、判断力、行動力、協調力、

フェアプレイの精神、スポーツマンシップ、武士道精神などの競争社会

の能力とモラル、そして人徳を育てる必要もある。

 

 現代教育からは、こうした重要な教育機会が奪われ、歪に育てられ

ているということなのだ。

 こうした教育を実践するためにも、公教育の外で、私塾として補う必

要があるだろう。

 

 護身術を含めた体育塾はいじめ防止対策もかねて求められている

のではないか。

 運動神経がよく、かつ筋力がつくと、自然、自信がつき、血の巡りもよ

くなって、受験勉強には抜群の集中力もつく。

 

 もっとも、受験科目、就職試験科目として、ぜひ、スポーツないし運

動テストを入れて欲しいものである。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 


 

 

 

 

 

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+ ホテイアオイの精霊舟を浮かべる・・・ 社会主義の問題点Ⅱ~ スポーツのたとえ

2010年07月20日 08時19分43秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  精霊shourou の  ホテイアオイに  花乗せて

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 ヘラブナを釣りに行った池には、ホテイアオイが群生していた。

 メナム川にもホテイアオイが漂流していた。

 父が作った小さな庭の池にもホテイアオイを浮かべ、その周りをメダ

カたちが泳いでいた。

 

 しかし、その薄紫色の花を見たのは初めてだった。

 まるで、精霊舟を浮かべているようである。

 

 

 去年の今頃、 父は脳梗塞で動けなくなった。

 「もう、なごうなかばい」と言っていたが、何を弱気なというくらいにし

か思っていなかった。

 今年は、父の初盆である。

 長崎では、初盆の家は故人の霊を精霊舟に乗せて、爆竹を大量

弾かせながら、町を流してゆく。

 実に威勢がよいが、最近はその舟も小さくなってきた。

 

 しかし、父を精霊舟に乗せて行こうという気持ちにはなれない。

 クリスチャンということもあるが、仏教であっても、浄土真宗のご利

思想をよしとはしない。

 西方浄土という旗を立てて、精霊舟を飾るのであるが、潔しとしない。

 

 それが、長崎の精霊舟の伝統でもあろうが、父の霊を迎え、精霊舟

乗せて景気良く見栄を張って練り歩くその伝統を自分が担おうとは

思わない。 

 

 そもそも、長崎という性格が嫌いなのである。

 チャンポンも卓袱料理も生簀料理も大好きである。

 丸山の芸者と遊んだことは無いが、長崎の女はお目めパッチリで美

人が多い。

 しかし、長崎を好きだという気持ちにはなれない。 

 ウンモ星人は受け入れてもよいが、長崎星人はどうも虫が好かない

のである。

 

 理由はよくは分からない。

 過去世で、キリシタンとして迫害されたかもしれない。

 殉教者の一角かもしれない。 

 もっとも、ものの見える人の話によると、自分は永平寺で一所懸命

掃除をしていた修行僧だったという。

 掃除はたしかに、心の掃除でもある。

 

 父の精霊舟は、島原の川に流したいと思う。

 その舟を作ろうと思う。

 父の兄弟が次々と亡くなった事でもある。

 それが、この盆のひそかな祭りである。

 

 

 

 

 


 社会主義の問題点Ⅱ~ スポーツのたとえ】 


  先進諸国で社会主義の国は日本だけだというが、果たしてそうなの

か。

 ヨーロッパ諸国もまた、社会主義化してはいないか。

 その典型が、高い税金と高福祉制度である。

 これまでは金融で儲かってきたのだろうが、これからはそうは行かな

い。

 タックスフリーで世界中の企業に住所地を売り、秘匿主義でマネーロ

ンダリング的資金を集め、金融商品で高利回りの運用をやって儲かっ

たのがこれまでの仕掛けであろう。

 いわば拝金主義のシステムで高福祉の資金を補ってきた。

 

 しかし、金融商品のマジックはサブプライムローンの破綻で見破ら

れた。

 国民は高い税率と福祉で労働精神を見失いつつある。

 すなわち、労働の対価性を無視した、官僚機構による社会主義的

な富の再配分制度である。

 

 その結果、国家の経済はきわめて脆弱であることを露呈したのが今

回のユーロ危機ではなかったか。

 唯一社会主義と一線を画しているところは、キリスト教の信仰が伝統

として確立しているところであろう。

 政治の世界でも、実質的には信仰がその基礎にあるといってよい。

 

 ところが、その信仰も最近は薄れてきているという。

 ヨーロッパ全体が、社会主義に堕しつつある結果、経済の砂漠化と

いうべき貧困化がひろがり、ユーロマジックはさらに借金を膨らませた。

 

 

 

 

 社会主義というのは、国民経済生活の国家管理システムである。

 官僚主導の権力と市場経済への重大な干渉と制限によって成り

立つ。

 自由を否定し、官僚支配で一元管理するという考え方である。

 まさしく、国民のブロイラー化である。

 

 自由とは修行である。

 修行であるから、試行錯誤であり、鍛錬があり、尊敬されなければ

食べ物がいただけないという托鉢の試練がある。

 しかし、だからこそ悟りの喜びがある。

 助け合う喜びがある。

 

 社会主義とは、サッカーにたとえれば、審判が試合進行の交通整理

やファールなどの警察的秩序維持の役割をするだけではなく、積極的

に選手のプレイに干渉して命令したり、得点の再配分をしたりする仕

組みのようなものである。

 折角得点しても、相手の得点にされたり、強い選手の行動を規制し

たりされたのでは、試合の面白さは無いし、やっている方もばかばかし

くてやる気を失うであろう。

 それが、社会主義なのである。

 フィールドの神聖などは認めない。

 フィールドの神は、審判たる官僚なのである。

 

 社会主義の悪魔性は、唯物論による仏神の否定(人間も物と同じ)

と、官僚独裁制度のための思想表現の否定ないし大幅な管理制限

(市場原理による公平性の否定)というところにある。

 すなわち、サッカーの面白さが失われ、誰もやらなくなるという文化

的衰退を意味している。

 

 だから、国民は生活や企業経営の国家依存を求めないことだ。

 社会主義とは、国民の安易な保護依存心という甘えに餌を蒔いて

囲い込むのだ。

 

 人生は安心保障されたのでは意味が無い。

 人生は、是、修行なのである。

 そうでなければ、やりがいも、学びも、発展する喜びもないではな

いか。

 

 社会主義という、国家任せの人生観を恐れ、恥じるべきである。

 同様に、ご利益信仰のような神様任せの人生観も恥じるべきであ

る。

 自助努力、そこに生きがいがある。

 

 その良きコーチ、良き監督が宗教指導者である。

 自助努力の実力を挙げるのが宗教である。

 未来を見通す力、嘘を見抜く力、時に耐える忍耐、努力して止まな

い情熱を教えるのが宗教なのだ。

 仏神への尊敬と修行の誓いが信仰である。

 

 宗教をいかがわしいものであるかのように思い、軽口を叩いている

者たちよ、その無知と罪深さを知るべきである。

 仏神を否定し、軽蔑する傲慢を恥じるべきである。

 心の神秘に目覚めるべきである。

 人間の霊性に目覚めるということは、永遠の命であることに気づくと

いうことなのだ。

 

 スポーツの文化性もまた、スポーツの神聖にある。

 修行としてのスポーツ観に、教育としてのスポーツの意義がある。

 スポーツもまた、神を賛美する芸術でありたいものである。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

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+ 仙人、へら鮒つりをする・・・ 不信仰が社会主義の恐怖と自由主義の堕落を招く

2010年07月19日 08時43分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  アメンボウ  夏越の水の  輪をくぐり 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温30℃、ずいぶんと暑くなった。

 クマゼミが大いに鳴いている。

 今日は海の日で休みらしい。

 海に行かない人は、仕事に行こう。

 

 こんなに暑いと、読書もままならない。

 こんなときは、逆転の発想で、仕事に行くほうが生産的だ。

 なにしろ、職場には冷房がある。

 

 それにしても、初めての箆鮒釣りは楽しかった。

 優勝こそ逃したものの、びりではなかった。

 スジがいいのではないか。

 

 釣っている姿が仙人のようだと言われたが、釣りは仙人好みかも知

れぬ。

 

  

 

 

 

不信仰が社会主義の恐怖と自由主義の堕落を招く】 


 大川隆法著 幸福の科学出版刊『未来創造の経済学』を読みながら、

もう一度、自由主義の原点から社会主義の罠を確認しておかなけれ

ばならないと思う。

 

  自由とは、人生修行という人生観に不可欠の前提である。

 自由を奪い、神仏を否定する社会主義への流れは断じて断ち切ら

なければならない。

 もちろん、自由とは修行の自由であって、選択の正しさを意味する

ものではない。

 だから修行なのである。

 

 経済とは、富の生産流通の努力と交通整理に関することである。

 富の生産は生産意欲から生まれる。

 富の流通は生産意欲を支えるエネルギーとして求められる。

 流通が滞れば生産が滞り、生産が抑制されたら流通も貧血気味にな

り、倒れることもある。

 経済はまさに、社会の生体活動である。

 

 この生体活動のメカニズムを官僚の理性によって調整統御すると言

う考えが社会主義である。

 官僚の指示に従って生産し、命令に従って流通させる。

 国民主体の経済ではなく、官僚の指揮命令による、いわば奴隷的

経済活動になる。

 

 一方自由主義経済の考え方は、人の理性を信頼していない。

 経済は人々のモラルと自助努力によってバランスをとるものであって、

官僚の調整は、最小限の警察的交通整理程度にとどめられるべきだ

という考えが基本的な発想である。

 職業教育、モラル教育なくしては成り立たないともいえる。

 

 

 

 

 富の配分を自由に任せず、租税で徴収して再配分するという考えが

社会主義であり、できるだけ租税を控え、自助努力にゆだねるのが公

平であると考えるのが自由主義である。

 

 社会主義の考えは、人による人の支配という官僚依存型であり、公

を期しがたいところに問題がある。

 社会主義国家では自由を奪われ、貧困と恐怖政治に陥ることが経

験的に知られたところである。

 官僚支配の考え方は、その前提に神仏の追放という罪がある。

 人の理性による支配とは、理性に対する傲慢であり、仏神に対する

冒涜であり、罰当たりなのである。

 

 稼ぐ者から奪い、貧乏人に再配分するというのは、いわばねずみ小

僧であり、泥棒にほかならない。

 奪われたものも、与えられたものも、労働を無視した再配分であるか

ら、労働意欲を高めるものとはならない。

 そこに社会主義の落とし穴がある。

 

 一方自由主義にも落とし穴がある。

 自助努力が基本だが、その前提に人々の為に働くというモラルが求

められている。

 神仏を忘れた商売は、私利私欲に走り、弱肉強食の競争によって市

場を支配しようとするものだ。

 だからこそ、信仰心が大切なのである。

 正しい信仰心の裏づけがあって初めて、自由は愛としての価値を生

み出すものである。

 逆に、信仰がなければ、自由もまた、公正を欠きやすい。

 

 

 

 

 社会主義は、神も仏も無い唯物論政治であり、人による支配を生む

 だからこそ、恐怖政治を生み、生産意欲を失わせ、国家を疲弊させる。

 

 しかし、自由主義が「神からの自由」に堕落すれば、やはり神も仏も

無い唯物論的弱肉強食の支配と堕落をもたらす。

 モラルなくして社会の健全な発展は無い。

 モラルとは思いやりであり、愛である。

 モラルの源泉が神仏に学ぶ信仰心である。

 

 信仰心を取り戻すこと、これが、経済繁栄に欠かせないボトルネック

にほかなるまい。

 幸福の科学に学ぶことが、恐怖と貧困を克服する鍵である。

 この世とあの世を貫く無限の未来への霊的人生観であり、宇宙大の

世界観であり、気宇壮大の愛である。

 

 書店の使命は、大川隆法著 幸福の科学出版刊を世に普及するこ

とにあると知らねばなるまい。

 その使命に気づいて欲しいと思う。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

 

 

 

 

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+ 箆鮒釣りの楽しみ・・・ 新しいフィッシングスポーツの考案  スポーツマンシップ教育改革論

2010年07月19日 07時00分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 うきの下  箆鮒訪ね  雨後の池

   梅士 Baishi

 

 

 

 誘われて、初めて箆鮒釣りをした。

 管理池の浮き桟橋に腰を下ろし、やおら竿を下ろした。

 えさは、グルテン(麩の原料)とバラケ餌の混ぜ物だっ

た。

 今日は大雨の後なので食いが悪いかもしれません、とガ

イドされていたので、期待もせず、のんびりと風景の良い

場所にポチョンと糸をたれた。

 

 すると、ぐ~っと浮きが沈んだのである。

 とりあえず合わせてみたら釣れていた。

 へ~、こんなんで釣れるんだ~。

 もっとも、無理やり引き上げようとしたところ、ポチョ

ンと落ちた。

 釣れると面白い。 

 

 

 

 

 次々と、周りも忙しくなってきた。

 そのたびに歓声が上がり、写真班が走る。

 食べるつもりの無い魚を釣るのも初めてだが、重量を競

うとなると、釣るだけで楽しめるものである。

 魚には申し訳ないが、リリースされるのだから、修行と

思えばその後出世するかもしれない。

 

 幸福の科学を学ぶようになってから、殺生を好まなくな

った。

 それで、釣り道具を買ったまま、もう10年以上釣りに

は行っていない。

 それほど繊細になっているわけではないが、昔ほど釣り

に夢中にはなれなくなった。

 

 父も生前は良くつりに出かけていたものだが、体が言う

ことをきかなくなるにつれ、行かなくなった。

 堤防釣りにでもつれてゆきたかったが、果たさないまま

この世を去った。

 子供の頃は、船酔しながらも手漕ぎ舟やチャッカーボー

トで父と釣りに行ったものである。

 もうすぐ、亡き父の虚数の誕生日であることよ・・・。

  

 

 

 

趣味を仕事にする考案~ フィッシングスポーツ新種目を作れ!】 


 釣りの業界を志す若者たちがいる。

 釣りが大好きで、バスフィッシングから海釣りまで、プ

ロ級の腕を磨いているのである。

 つまり、釣りが大好きである。

 そうした趣味を仕事にするのがこれからの仕事の楽しみ

方ではないか。

 

 しかし、釣り業界は実に小さい。

 釣りはアウトドアスポーツである。

 すなわち、スポーツ業界の一角にあるのだ。

 小さいのは工夫が足りないからである。

 

 ではどうするか。

 スポーツの市場を大きくするためには、やはり面白い新

種目を開発することではないか。

 スポーツとは運動競技である。

 競争とは楽しむものなのだ。

 

 こういう箆鮒釣りも、家族で楽しめる。

 楽しむための競技ルールを作ればよい。

 タイムトライアルルール、重量ルール、数量ルールなど

楽しそうだ。

 

 

 

 

 海釣りも新種目ができそうだ。

 限界島一周ポイントフィッシング競技も面白いのではな

いか。

 かならず、時計周り8ポイントで釣りをして、制限時間

までの魚種と重量でポイントを競うのである。

 離島の観光イベントとしても活用できるのではないか。

 そのうち、オリンピック種目にも採用されるだろう。

 

  

 

 

 

スポーツマンシップ教育による教育改革を! 】


 仕事とは、競走を楽しむものだ。

 スポーツはそれを象徴的に見せてくれる。

 楽しむという精神があれば弱肉強食のような競争はしな

いものだ。

 正々堂々、フェアプレイの精神と爽やかなスポーツ人格

であるスポーツマンシップで仕事に感動できるのではない

か。

 感動のお客様は共感である。

 

 だから、学校体育では、さまざまなスポーツの楽しみ、

スポーツゲームの考案を楽しみながら、そうしたスポーツ

マンシップを教育しなければならない。

 文武両道教育の原点に戻るべきである。

 高校受験、大学受験、就職試験も、体育科目を必修とす

るべきである。

 

 究極のスポーツマンシップとは武士道精神にほかならな

い。

 卑怯な戦い方をするのは恥である。

 教員には武士を採用するべきだ。

 体育教師を育て、増やす必要がある。

 そうすれば、いじめも激減することであろう。

 

 ちなみに、公務員採用については兵役を、さらに教員採

用について職業のキャリアを条件とするべきであろう。

 

 正々堂々最善を尽くして職業競技に臨みたいものである。 

 

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ チョウトンボの池・・・ ベンチャー企業の活路~ 産学連携の使い方

2010年07月18日 13時13分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  雨上がり  池のトンボが  虹を舞い


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 雨が上がった池の上で、珍しいトンボが虹をかけていた。

 美しいブルーをしている。

 チョウトンボというらしい。

 池には、いろんな珍しいトンボが生きている。

 

 

  

 

 

 

 

ベンチャー企業の活路~ 産学連携の使い方】 


 若者の新しいアイデアをという期待で商品開発課題を学校に出すこ

がある。

 しかし、アイデアというのは天才的な人意外は、若い人にはなかな

かでないものだ。

 アイデアは、知識と経験と愛と心の開拓がなければ天から降りるこ

とが難しいからである。

 創造力には、熱意と年季がかかるのである。

 

 デザインも基本的には同じだろう。

 若い人の感性というが、新規性のあるデザインは創造だからである。

 神も仏も無い唯物論の人生観には創造する力は芽生えない。

 あるのは、真似事、盗作である。

 

 産学連携のメリットは、職業教育として学生生徒の手足を安く使うこ

とができるというメリットである。

 活力のある仕事の展開ができる。

 おまけとして、学校の教職員の専門力を使うことができるということ

である。

 

 

 

 

 ベンチャーにとって、人件費を節約して実験的事業や、人力をたくさ

ん使う仕事をこなすことが可能になる。

 学校から見れば、企画力のあるベンチャー企業は職業教育の良き

パートナーになる。

 人材育成の力を養うこともできれば、アイデアを客観的に観察するこ

ともできる。

 

 ベンチャー企業や中小企業は、もっと積極的に学校に戦力を求める

べきである。

 必要な経費は、学校と折半しても良いのだ。

 場合によっては学校が投資するかもしれない。

 

 ちなみに、安易に補助金に依存するべきではない。

 補助金に依存し、役所詣でをして指導を受けることを恥だと思わなけ

ればならない。

 毎日のように役所に相談に出かけ、いろんな会合に顔を出していた

社長がいたが、あえなく倒産してしまった。

 官に頼まず、という自由独立の精神が大切である。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

 

 

 

 

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