すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 暮海の鳥一羽・・・ 未だ独立国家ならず  日本国憲法無効宣言!  腐敗した社会主義日本を正すべし

2005年12月29日 21時02分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  暮れ急ぐ  那国の海を  一羽hitoha飛び           


        馬糞 Bafun

 

 

  

   

 酉の年は天変地異の一年だった。 

 年の終わりになって思うのは、日本がいまだに独立で

きないでいるのは、なぜなのだろうかということだ。

 

 

【 「日本国憲法」の無効を宣言する 

 独立放棄をうたった「日本国憲法」前文を日本の憲法

だというのが常識らしいのだ。

 

 憲法とは、独立国家の基本法である。

 独立とは、自国の領土、国民の生命・財産・安全を自

国の手で守る、即ち軍隊をもって、交戦するということ

である。

 これを放棄している「日本国憲法」は憲法ではないこ

とになる。

 故に、無効である。

 

  いつまで、こうした無効憲法に縛られているのか。

 まさに、悪霊にとり憑かれているかのようである。

 日本国憲法の無効は、憲法の不在を意味しない。

 憲法の法源は、聖徳太子の十七条憲法にもあり、ヨー

ロッパの人権思想の中にもある。

 

 憲法の無効宣言は、当然の法理を認めるだけのことで

ある。

 しかし、無血革命に匹敵する革新力を持つであろう。

 

 日本国憲法改正、というまやかしでは、悪夢は覚めない。

 正気に戻ることはできない。

 改正の限界論という呪縛がついて回るからである。

 

 無効宣言⇒ 不文憲法⇒ 成文憲法の新規制定

 

 これ以外にはない。

 

 

 

卑屈からの開放政策

 国を蔑まれても、商売に支障がないようにするのが最

優先だというのが、戦後の常識であった。

 それを売国奴というのであるが、禁句ということにな

った。

 

 いまだに、申し訳ありませんでしたと謝罪して金を出

している。

 歴史をでっち上げ、金とアイデアを盗み取り続ける敵

国チャイナとコリアにへりくだり続けているのである。

 「頭を下げるのも商売だ。政治は商売であり、商売と

は金儲けである。金持ち喧嘩せずというではないか」。

 

 社会主義型高額税金制度に支えられた官僚社会主義国

家日本。

 宵越しの銭はもたねぇとばかりに公務員のすき放題に

金を使わせる予算と予算単年制・・・。


 社会主義は経済破綻すると分かっているはずなのに、

日本は紛れもない社会主義が支配しているのである。

 官尊民卑の常識が染み付いている。

 

 民間人は10%を超える税制と公務員の扶養義務によ

って支配されている。

 

 やはり、日本独立運動を起こさなければならないので

はないだろうか。

 その相手は、社会主義の牙城でもある朝日新聞・電通

をはじめとするマスコミと、増えすぎた公務員である。

 

 

 立憲女王国・神聖・九州やまとの国はかく宣言する。

 

1. 日本国独立憲法の制定

2. 公務員を三分の一までリストラする法律の制定

3. 新聞・テレビの全国チェーン化禁止(道州制)

4. インターネット発信の登録制と有害メール、有

  サイト発信者の厳罰主義

5. 菊の紋章、国旗の不正使用禁止(「右翼」宣伝

  ーなどの粛清)

6. 猥褻物頒布罪の厳罰主義と例示列挙による具体

7. 予算単年制の廃止

  


 ミンシュ党は、獅子身中の虫である。

 旧社会党、部落擁護派、親チャイナ・コリア派という、

反日勢力で構成されているからである。

政権政党にふさわしくなるということはあるまい。

 

 

 黄金色に暮れてゆく止まり木もない大海原に、鳥は飛

び立っていった・・・。


             

J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 万葉の那の海・・・ ナショナリズムとは国家独立の精神である

2005年12月28日 15時14分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    海人Ama族の  行き来し浜の  寒波かな


        馬糞 Bafun

 

  

 

 

寒風吹き晒す浜は寒いが、海の波風を見て飽きること

がない。

 この海を、万葉の時代の海人(あまぞく)たちが、巧

みに船を操ってやまとの繁栄を担っていたのだ。

 この砂浜を、万葉の貴人たちが歩き、眺めて通ったこ

とであろう。

 

 伊都国を望む九州那の国の海は万葉の海でもある。

 

 

ちはやぶる  金(カネ)の岬を過ぎぬとも   われは忘れじ  志賀の皇神(スメカミ)

 

 

 志賀の海人の  火気(ケブリ)焼きたて  焼く塩の

  辛き恋をも  わすれはするかも



 

 荒雄らが  行きしにひより  志賀の海人の 
  大浦田沼は  さぶしくもあるか


 

 

万葉にのこる海人族の拠点、志賀島の面影を映す歌で

ある。

 神の湊、鐘崎、津屋崎、志賀島あたりは、海人族が統

べる、都にも知られた海路の要衝地であった。

 いわば、朝廷に直結した水軍の都であったともいえる

のではないか。

 大和朝廷の本拠が九州大和の国にあったことを考える

と、親衛隊といってもよいであろう。

 

 志賀の荒雄は、五島三井楽から対馬を目指す荒海の航

海をかってでた人物であるが、遭難してついに帰らなか

った。

 その哀歌が連作として10首ある。

 山上憶良の歌との推定もあるが、荒雄の出自が志賀島

の大浦田沼である。

 沖津島神社がある山間の大字大浦というところであろ

うと推測されている。

 

 今の志賀島は博多から見ればひなびた漁業の島という

くらいの印象であるが、海人族の長、阿曇(アズミ)氏が

海神、志賀の皇神(スメカミ)を祭る志賀海(シカウミ)神

社を擁する那国の聖地であった。

 それを思うと、感慨深いものがある。


 都は東の地に移ったが、九州は日本国の原点であり、

潜在意識であることを忘れてはならない。

 潜在意識は、自己変革するときに顕在化されるもので

ある。

 

 現代は、毎年毎年が、やまと存亡の危機である。

 潜在する意識が目覚め、やまとの使命を果たさなけれ

ばならない変革のときである。

 そのときが荒海の寒波のごとく打ち寄せていることに

気づかなければならない。

 偽計を弄する中華・中韓思想が、獅子身中異邦の虫と

してうごめいている。

 右翼宣伝カーも在日朝鮮人の仕掛けだというではない

か。

 皇室を愚弄し、やまと民族の伝統を汚して民族意識を

崩壊するのが狙いだという。

 菊の紋章を不気味な宣伝カーに掲げることをなぜ、放

置するのか。

 

 文鮮明という悪魔が率いる統一教会もまた、大和民族

の精神的崩壊を意図して組織された政治的謀略として始

まった。

 花やハンカチなどを使って各種救済募金活動をしてい

ることでも有名であるが、外患というべき詐欺集団であ

る。

 かつて、アフリカ難民支援募金に協力してくださいと、

ハンカチを持って訪問してきた青年がいた。

 問いただそうとすると逃げてしまった。

 「右翼」宣伝カーに至っては、菊の紋章を使い、国旗

を使って威嚇しているのであるが、日本の伝統と象徴を

侮辱する行為を、なぜ警察は放置するのか。

 なぜ司法はこれを許すのか。

 日本が独立国家でないにせよ、大和民族の誇りを傷つ

けられているのである。


日本に一蓮托生の忠誠を誓わない異邦人であるならば、

客人としての礼節を守る責任がある。

 それもできないなら、日本を退去させるのが司法官吏

の職責であろう。

 

 こうした言論を、「ナショナリズムを煽る危険な言動」

であると言うが、 危険なナショナリズムとは、言われ

なく外国人を迫害し、隣接する国家の独立を侵害する中

華思想の類を言うのである。


 本来、国家の独立意識、愛国心は、ナショナリズムに

他ならない。

 それを危険だというなら、まさに、独立放棄の危険思

想の現れというべきであろう。

 皇室を侮辱され、日本国家の象徴を汚されることに怒

らないほうが、外患誘致の危険な考えというべきである。

 信じる力はやまと民族の美徳であり、発展の根源にあ

る。

 しかし、常に検証し、健康管理することを怠ってはな

らないのである。

 めざめよ、九州やまとの国民(クニタミ)よ!


 

J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

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+ クリスマスイブの神社・・・ キリスト教徒の思い出

2005年12月25日 17時12分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 灯篭の  イヴの神社に  手を合わせ

   馬糞 Bafun

 

  

 


 世間がクリスマス・イヴだと思っているその日、福間

のプールで一泳ぎして、海岸から宮地嶽神社の参道を貫

いた。

しめなわが新しくなっていた。

 青々とした太縄が新春を薫らせていた。

 めでたい!

 

 おしむらくは、神式のクリスマスをやっていなかった

ことだ。

 クリスマスにあわせて、冬至の祭りをやってはいかが

か。

 大国主命はたしかサンタに負けない大袋をもっていら

っしゃる。

 そこから、冬至餅を取り出して、さあさあさあと餅ま

きのプレゼントをするのである。 


 爺婆にとっては、巷のクリスマスなんて縁遠い話であ

る。

 公平に爺婆向けのクリスマスをやってくれたら良いの

に・・・。

 禰宜さんのイノベーションに期待する。

 

 

教会のクリスチャンだった頃

子供時代、学生時代は教会に通うクリスチャンだった。

 クリスマスは一年で一番の楽しみだった。

 賛美歌のクリスマスソングは名曲ぞろいである。

 暗くなるとろうそくを掲げて信者の家々を回り、賛美

歌を歌うのである。

 これをキャロリングという。


 缶詰の空き缶をくりぬいてロウソク入れを作り、それ

をもって、ロウソクの灯の賛美歌を歌う。

 家々では、沢山のお菓子をいただいた。

 お菓子をもって教会に帰ると、蜀火賛美礼拝がある。

 礼拝は日曜の朝と相場が決まっているが、クリスマス

には夜に礼拝があるのだ。

 

 

 しかし、信仰について自問自答するようになると、キ

リスト教の教義に納得が行かない部分が許せなくなった。

 神と人間の関係、死と生きる意味の関係。

 なぜ、共産主義と結びつくのかという疑問。

 明快な回答はなかった。


 神は愛なりという教えはすばらしかったが、神の実在

性については説得力がなかった。

 

 死んでどうなるのか・・・ という合理的説明もない。

 死んだら天国に行き、そこで、永遠に楽しく暮らすの

だという。

 悪いことをした人間も天国に行くというのか。

 お世話になったかつての開拓伝道の牧師に数十年ぶり

に再会してお酒を酌み交わしたことがあった。

 しかし、転生輪廻を否定する頑なさに愕然とした。

 キリスト教はもはや新しい時代の入れ物ではありえな

い。

 聖書にあるように、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入

れなければならないということである。

 

 アジアの時代であるならば、新しい仏教が新しい教え

を説いていることであろう。

 それはもちろん、犯罪や政治的野望に関わっている宗

教団体であろうはずはないのであるが。


 しっかりとした宗教教育がないと、邪教に引っかかる。

 伝統仏教もキリスト教も風化してしまったが、東西の

世界宗教を統合してさらに新しい文明を説くようなスケ

ールの大きな教えが説かれてリーダーを指導するように

なれば、「文明の衝突」の時代であっても、新しい繁栄

へと導くことができるはずである。

 

宗教なき繁栄などはありえない。

 「王といえども神と法の下にあり」というマグナカル

タは現代に生きている。


「民主主義といえども、神と法の下にあり」と言い換え

てもよい。

 神なき人の政治は独裁か衆愚政治に陥るものである。

 われわれは謙虚に知恵を磨き、心を研ぎ澄まして新し

い文明の光を見出さなければならない時期に来ているの

である。

 

                           J.D.Subunroco. 

                           

 

 

 

 

 

 

 

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+ 都鳥の手ぶら旅・・・ 唯物思想の邪見

2005年12月25日 13時32分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

都鳥  仮の世なれば  身一つに


      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

「鳥にはすべてが与えられているのに・・・

 それでも足りないというなら、
動物たちにできない貢

献をするためでなければおかしいと思う」

        

 酉年の最後に、都鳥(ユリカモメ)は思う・・・

 


 「自由と平等」は、フランス革命の旗印であった。

 身分制の呪縛から開放する、天使の旗印に思えた。

 ところが、今は、地獄の道しるべに並べられている。

 所詮、努力もしないで、楽になろうというデモ行進と

流血の旗印だったのか。

 その旗印に囲まれて、20世紀文明は臨終のときを迎

えた。

 

 

【自由と平等・・・人間中心主義の危険思想】 

 自由というブランドに入り込んだのは、人間中心主義、

即ち、神からの自由という邪見である。

 神がいないことの証明として提出されたのが、ダーウィ

ンの進化論である。

 「私たちは偶然に生まれ、偶然に進化してきたのだ」と。

 

 サルの化石を手にして、これが人類の起源だなどとい

う猿知恵を意味深げに説明する類人猿科学者もいる。

 その人もアメーバーのような単細胞から進化したのだ

そうだ。

 その単細胞生命は偶然に地上に発生したのだそうだ。


 つまり、人間は偶然に発生し進化したという。
 

科学の原点は偶然にある。

 その結論として、だから神はいない、という自由論に

行く着く。


 何のことはない。

 信じるしかない「神」という存在を、信じるしかない

「偶然」という思想の牢獄に閉じ込めようというのであ

る。

 

 この、偶然論科学とは、人間の五感の世界観によって

神という存在を否定する考え方に他ならない。

 

 科学には二つの方向性がある。

 一つは、神の創造世界を探求するという信仰の科学で

ある。

 もう一つは、神を否定する唯物論科学である。

 その説明のつかないところを偶然論で説明する特色が

ある。

 

 その代表がダーウィンである。

 「神は死んだ」と、その勝利宣言をしたのが、ニーチ

ェである。

 これに同調して「ツァラストラはかく語りき」を作曲

したのがリヒャルト・シュトラウスである。


 この世を去った非科学の世界で、地獄の看板を張って

いる人類の罪人というべき面々である。

 

 神も仏もないという世界観の科学的証明は不可能であ

る。

 即ち、信じるしかない世界観に他ならない。

 神を否定するのであるから、悪魔的思想であり、悪魔

信仰である。

 

 「神も仏もない」という世界観とはそれほどに信じる

価値があるものなのか。

 

 同質の人間が偶然生まれたこと自体不思議であり、そ

れも偶然なのだろうが、そうであるならば、そもそも、

秩序、正義、思いやりなどということは、功利的な計算

の結果でこそあれ、思想的根拠はないことになる。

 

 そもそも、人間関係は無関係であり、偶然居合わせた

という偶然の関係に他ならないことになるからである。 

 即ち、唯物論科学、偶然の思想による人間関係論は、

力の支配論であり、競争は弱肉強食論である。

 したがって、いじめというのも本来は悪いことではな

い。


 倫理という秩序論も、不利益が自分に及ぶからやめな

さいということであって、それでもかまわないというな

ら悪ではないことになる。

 敵を向こうに回して暴れたい人にとっては、大量殺人

さえもサバイバルの倫理なのである。

 

 まさに、危険思想というほかはない。

 まさに、悪魔思想ではないか。

 

 唯物論といい、人間中心主義を標榜する自由・平等思

想といい、 信仰をあざ笑う「常識」こそは、獅子身中

の虫であることを看破なければならない。

 


 J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 木枯らし 花の命を宿す・・・ 公務員社会主義を警戒せよ

2005年12月21日 08時15分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 木枯らしに  梅や桜を  宿しつつ

   馬糞 Bafun

 

  

 

 

戦後60年、日本地域に住む大和民族のけじめはつい

たのか。

それとも、来年は、戦後61年なのか。 

 けじめとは日本国の再建、即ち、独立宣言と憲法制定

である。

 

 まずは、九州やまとの国の独立構想を練るとしよう。

 国家再建は九州の使命である。

 

 


  渡り鳥  もみじの足に  雪は降り

   馬糞 Bafun

 

 

 

 では、九州とは何か。

 やまとの国と号する根拠は何か。

 

 九州とは、日本の出発点である。

 天皇家の故郷であり、宗家である。

 大和の国の始まりに他ならない。

 壇ノ浦に滅びた平家であったが、九州やまとの武門で

あり、九州がその拠点であったことと、無関係ではない。


 日本国家の原点が九州なのである。

 

 

その九州で、改革ののろしを上げなければならない。

 獅子身中の虫、ゴクツブシの虫は、改革の狼煙によっ

て駆除されるであろう。

 

 たとえば、市役所の株式会社化である。

 税金は本来、自由主義原理に反する故にやむをえない

最小限の手段である。

 

 税率は高額所得者に対しても10%を超えるべきでは

ない。

 しからざれば、社会の発展を阻害することになる。

 不公平となる。

 平等の本質は公平性にある。

 

 邪見というべき平等思想によって競争原理を見失うと

き、発展は止まり、堕落が始まる。

 それが今日の地方自治に色濃く現れている。

 最も警戒すべきは、公務員社会主義である。

 

 競争とは発展運動である。

 競争による発展は格差を生むが、それが、新しい発想

と発展を生む磁場となる。

 格差は底辺にとって逆境であるが、逆境こそはチャン

スの宝庫だからである。

 

 改革の狼煙をあげて、ゴクツブシの巣窟と化した「地

方自治」役所から獅子心中の虫を駆除しなければなら

ない。

 

 税制を原点に戻し、公務員リストラ法を制定し、ゴク

ツブシを駆除する改革運動を起こさなければならない。

 

 公務員よ、価値を生まず、税金を食いつぶして給料を

当然のようにもらっていることの恥を知れ!

 努力せず利得することは恐るべき後生の罪である。


 公的資産を活用せず、予算を権限に変えて公費を浪費

していることの罪深さを恐れよ!

 

 恥を知り、罪を自覚することによってのみ、その罪は

緩和されるであろう。

                

 

 

  落ち葉敷く 小春の猫の 尾を踏みぬ

     馬糞 Bafun

 

 

 

近代日本は、明治維新の強力な官僚体制によって、欧

米列強の支配を阻止し、欧米によるアジア侵略の足を止

めた。

 しかし、太平洋戦争に敗北したことで、日本精神を見

失い、その後、官民上げて経済発展を遂げたが、その次

のビジョンが日本精神の喪失とともに失われたままだっ

た。

 

 ビジョンを見失った官僚体制は、途端に生産性のない

公務員社会主義の癌組織となって、国家を衰弱させてい

る。

 

 その流れが20年続いているのである。

 もう一度、革命を起こさなければならない。

 公務員社会主義の解体である。


 

J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

 

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+ 渡り鳥一鳴す・・・  死別とは何か  死は肉体と霊体の分離

2005年12月15日 07時50分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

        

  一鳴す  渡りの鳥や  冬曇り

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

風雲急を告げるかのような冬空の夕暮れを、

 一羽の鳥が一路を目指していた。

 

昨夜、 訃報の電話があった。

 妻と若い息子たちと、試練の会社を此岸において、そ

父が亡くなった。

 泣きじゃくる息子から、今しがたの死亡時間を告げる

電話があった。


 その悲しさをともにして泣けない自分の声をもてあま

した。

 しかし、息子よ、父はそこにいる。

 その涙をたくさん父に注げ。

 そのそばで、母はさらに深い悲しみの中にいる。

 支えてやれ。

 別れは、愛を、深く気づかせるものである。

 

 両親との死別、伴侶との死別を思うと、その悲しみ

耐えられるだろうかと不安になる。

 日常の絆は、その平凡に関わらず、日常に降り積もっ

た雪のように、別れることの悲しみを深くする。

 

 人は死んで一日くらいで霊子線が切れて肉体を抜け

る。

 肉体の死は、霊的存在の覚醒を意味する。

 そして、およそ一ヶ月ほどはこの世にあって、家族や

親しい人々との別れを惜しむのであろう。

 死は永遠の別れではない。

 そうはわかっていても、日常の人との死別は辛く悲し

い。

 

 直純、悲しみは愛の深さだ。

  たくましく成長せよ! 

                           J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

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+ 潮騒の五線譜・・・ 人口55億人時代の孤独地獄

2005年12月10日 08時20分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 五線譜に  寄す潮騒や  かまめ揺れ

        馬糞 Bafun

 

  

 

潮騒はバッハのごとく心を癒す。

 津屋崎の浜に寄せる波が五線譜のようであった。

 その五線譜に大きな海鳥たちが浮かんで、音楽のよう

であった。

 

 昔、東京砂漠という歌がはやった。

 都会の孤独が好んで詩や歌や文章になった。

 その孤独の砂漠が、今は日常の風景になってしまっ

たのだろうか。

 

 広大無辺の宇宙であるが、物事に無関心でいると世界

が消える。

 世界の総人口は、推計値で54億8千万人。

 日本の人口は1億2700万人というが、心の世界で

は、他人に無関心でいる者たちが、誰もいない世界をさ

まよい、あるいは寒くて暗い洞窟にうずくまったままの

孤独地獄が広がっているという。


 

 まちを歩いていても、人々は挨拶をしなくなった。

 自分の都合を優先にして他人の迷惑を顧みない。

 歩道を塞ぐあの自転車の止め方は何だ。

 他人には無関心でありながら、他人の不幸には関心が

ある。

 他人の不幸はメディアをとおして金になる。

 

 最近、子供たちが凶悪な犯罪者の犠牲になった事件が

続発している。

 憂さを晴らしたくて、弱い者をいじめることが学校を

中心にはやっているのだ。

 教育のテーマは「みんな仲良くだめ人間になろう」で

ある。

 感謝と自助努力をすすめるのが宗教であったが、これ

は人間中心主義に反する不道徳として禁止されている。

 

 日本の道徳はどうなってしまったのだろうか。

 孤独になるような豊かさは本当ではない。

 お互いに温かな関心を寄せて助け合う社会こそは、創

造的で豊かなな社会である。


 ずっと昔、みんなが顔見知りで挨拶をして助け合って

いた故き日本を温ねて、新しい日本を知る転禍成福の時

機を得たいものだ。

 

豊かさとは何か、21世紀初頭に考えるべき主旋律の

課題である。

                                              

J.D.Subunroco.

 

 

 

 

  

 

 

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+  冬曇り・・・  木星探査 

2005年12月08日 07時34分04秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 木星を  夢見し朝の  冬曇り

   馬糞 Bafun        

 

 

 

 

 

花鳥風木星

木曜の朝、冬曇りであった。

 惑星の朝も、かくやありなん・・・。

 

 木星は、太陽系最大の惑星である。

 体積は地球の約1300倍、質量は317倍、太陽の

0.1%に過ぎないが、他の8つの惑星の量合計の2.5倍の

質量である。

 

 引力は地球の1万倍もある。

 もう少し大きければ、太陽になれたかもしれないと言

われる。

 星の組成も太陽とほぼ同じであるらしい。

 

 木星の磁場にはガリレオが発見した4大惑星イオ、エ

ウロパ、ガニメデ、カリストを含め、16個の衛星が確

認されている。

 公転周期は11.862年、自転周期は約10時間で

ある。


 高速回転をしている巨大な独楽星木星、数百億年後に

は太陽の後継者として恒星に羽化登仙する星なのかも

しれない。

 

 かつて、火星の大接近が話題となっていた頃、仲間と

観火星会楽しんだことがある。 

 木星では俳句な生活はできそうにもないが、次は、観

木星会とうのはよいかもしれない。

 

 NPO歌人《花鳥風木星の会》主催、『観木星と木管音

楽の夕べ』いうのはいかが・・・。

 


 「ああ、木星が光っていますね」

 「結構光が強いですね」

 「えっ?どこですか・・・ あ、ほんとだ、かなり大

きい・・・」


 金星かと思ったがもっと大きくなって、肉眼ではっき

り縞模様がえるのだ。

 木星の大接近なのか。

 まさか肉眼で木星の縞模様まではっきり見えるとは思

わなかった。

 感動的な観木星の夕べだった・・・

 ずいぶんとリアルな夢だった・・・

 

 『風流』の心には、日本人が世界に伝えるべき文化の

根本精がある。


                          J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

 

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+ 黄金色の落ち葉・・・ チャイナビジネスに騙されて  21世紀は要望大陸チャイナの時代なのか

2005年12月02日 13時36分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 たぬき山  大判小判の  枯葉舞い

   馬糞 Bafun

 

  

 

 

 山奥で、子狸たきがにぎわっているかもしれない。

 なにしろ、黄金色に輝く落ち葉がざっくざくなのだ。

 わ~い お金持ちだ~

 

 チャイナにも秋があるのだろうか。

 

 チャイナの貨幣は狸の枯葉ではなかろうか。

 化かされた、だまされたという失敗をよく耳にする。

 チャイナビジネスに夢中だったある社長も、「だまさ

れて帰ってくるのが関の山」とボソッと洩らした。


 大陸の狸たちは徒党を組んで大掛かりに化かすらしい。

 何しろ、日ごろからお互いに化かしあっているらしい

のだ。 

 大陸の大判小判に目がくらんでいる商人たちは、実は

チャイナの林で黄葉を巻き上げて浮かれている若旦那に

見える。


 枯葉を大々的に手に入れようと、本物の金をつぎ込ん

で、一大投資ブームになり、にわか金持ちの狸がいっぱ

い集まって都市建設をはじめ、さらに人や金が集まって、

果たしてそれで、本当の経済が生まれるものだろうか。

 

 安い労働力といっても、労働の質が悪ければ信用を失

う。

 しかも、チャイナは日本さえも侵略してアメリカに優

越する覇権国を目指している。

 投資をするということは、ビジネスだけのことでは収

まらない。

 その国を支援するということを意味している。

 

 日本の大企業を含む多くの日本企業が、覇権国チャイ

ナを支援しているのである。

 国益に反する支援を、さらに自治体や国が後押しして

いる。

 信じ難い、自滅国家ではないか。

 

 経済のモラルが問われているが、国益を守ることも大

切な経済モラルである。

 日本のおかれている状況は厳しい。

 何しろ、危険な敵国に周囲を囲まれているからである。

 チャイナ、ロシア、コリア、北コリアがそれである。

 その敵国を、日本の企業が支援する構造なのである。

 

 敵国に対しては、利害関係を持たないことが何よりで

ある。

 お互いにメリットがなければ、けんかにもならないか

らである。

 チャイナ、ロシア、コリアに依存しない商売を組み立

てなければならない。

 

 頼まれない限り、商売を求めてはならない。

 恩着せがましく、頼みに応えてやればよい。

 それ以上であってはならない。

 特に、ロシアには、やさしくしてやればよいのである。

 最も危険なのはチャイナだからである。

 

 ロシア狸が差し出す大判で、計算して気持ちよくだま

されてやることだ。

 その枯葉も、歴史的記念品として、それなりの値がつ

くにちがいない。

 

 秋の枯葉は、欲得抜きで楽しみたいものである。

 

                          

J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 小学校の秋・・・ 文部科学省の癌を摘除せよ

2005年12月02日 09時42分28秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 午前八時  小学校は  秋になり

     馬糞 Bafun

 

 

 

                     

 

 文武両道の個人教育を志せ!

 

子供たちは日本の未来である。

 日本の未来は家庭に育ち、学校で育ち、企業で育つ。

 われわれは、日々、未来を育てている。

 未来に責任を持っている。


 九州の未来責任や如何。

 

 

 教育は、国家百年の計。

 ところが、最も官僚的で、時代に逆行して国家を弱体

ならしめた「ゆとり教育」官僚はなんら責任を取ってい

ない。

 

 『ゆとり教育』とは、教育の空洞化を進める悪政に他

ならない。

 日教組は「労働条件改善」を主張して「ゆとり」をご

り押しする。

 未来を育てるためではない。

 

 文部科学省は廃止してよい。

 それに変わって、経済同友会などに委託して日本の教

育ガイドライン調整権限を移譲することを提案する。

 

 内閣府の権限を強化して、省庁の統括権限を与えるべ

きかもしれない。


 あるいは、地方分権するべきであろう。

 

 九州は、佐賀、大分、鹿児島、山口など教育先進の伝

統と実績を持っている。

 「博士号」や「修士号」にではなく、信念をもった愛

国の教育者にこそ教育を委ねるべきであるのだ。

 

 吉田松陰、広瀬淡窓、福沢諭吉、西郷隆盛・・・

 大學もまた、個性豊かな「トットちゃんの学校」でよ

いのである。

 

 文部科学省は最も改革に逆行する劣悪な癌組織の疑い

が濃厚である。



 大学改革にしてしかり。

 あくまでも大學は研究機関だという建前を崩さない。

 研究はとっくに企業主体となっているというのに。

 その間、大學教育は空洞化し、学生はバイト生かNEET

のごとく堕落している。

 

 教育機関としての大學、人材育成機関としての大學を

なぜ拒否するのか。

 時代は高速に激変しているのに、文部科学省の認可制

度は変わらない。

 学校法人は、ボウフラのわくよどんだ水溜りの如し!


 文部科学省は国家の未来を妨げる癌細胞に病変してい

るということである。

 

 時代を読もうとする教育を目指せば、学校法人化は妨

げとなる。

 学生は学割さえ受けられないという差別を受ける。

 

 教育もまた自由競争による進化を促さなければならな

い。

 日本の未来は退化しているのだから。

 

 官僚の身分を守るのか、

 子供たちの未来を守るのか、

 その二者択一が迫られている。

             

        

J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

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