雀らの チュンチュンと言い 午前五時
中村 梅士 Baishi
夏至は来月21日だが、朝が早くなった。
午前五時には雀たちがチュンチュンと起床する。
今年は三月からの大工事の影響で、目白や鶯は早々に
離れていった。
工事もやっと終わって、雀たちが戻ってきたのである。
今年の春は、八重桜を楽しむ機会も少なかった。
いつの間にか花が散り、夏になった。
マツバウンランと同じころ最盛期を迎えたのがアザミ
だが、これも出会いが少なかった。
のびのびと山を歩きたいものだ。
大きな大会が終わると、引退と共に、アスリートのプ
ロ転向という話題が出る。
陸上100mのトップアスリートとして人気が高かっ
たウサイン・ボルト選手は引退宣言をしたそうである。
引退と言えば、フィギュアスケートの浅田真央選手も
惜しまれての引退だった。
トップアスリートであれば、伝えるスポーツのプロと
してスポーツメディアの中心となるべきである。
日本の期待の星、ケンブリッジ・飛鳥はプロ転向を宣
言、体操の金メダリスト内村航平選手もプロ転向した。
プロといえば聞こえはいいが、いわば、自営業に転向
するということである。
何もかも、自分でしなければならない。
スポーツ選手にも、これを支える事務所が必要である。
ああ、税務署書類の不可解で煩わしいことよ。
映画『君のまなざし』はまだ映画館に行っていない。
博多では上映から一週間になり、明日からは上映が減る。
中州太陽では4回の上映を来週までは維持するが、キャ
ナルcityでは、朝と晩の二回、いわば客の少ない時
間帯だけに減らされる。
青春映画だから、学生に見てもらいたい映画である。
もちろん、支部や精舎の職員は一丸となって、毎日さ
まざまな学校を訪問したり、街頭PR活動をしたり努力
を重ねていることだろう。
書店ではブックフェアを開催してもいるのだろう。
霊性の啓蒙は幸福の科学の使命だからである。
人間にとって、霊性に目覚めることは、心ある人間に
目覚めると言うことである。
多くの人たちが天変地異や戦乱で命を落とすであろう
時代にあって、霊界知識をもつことは救いとなる。
死んだこともわからないでは救いようがない。
さらに、映画では善悪の相克が、霊界や転生の縁にも
絡まってくる真相を知ることは、魂の危機管理には欠か
せない。
朝鮮人を殺しまくったと言う罪の意識で、今度は日本
を滅ぼそうとしている黒田長政の転生は、恨み心に加担
しての責任転嫁にほかならない。
霊的真実を語ることは教育を害するものであるとして
排除するのが日本の教育観であり、宗教観である。
しかし、植民国家日本と共産中国だけの事情である。
差別されている台湾でさえも、大学での布教活動は当
たり前のこと、大学で布教活動してはいけないと咎めた
日本人講師が逆に非常識だと軽蔑されたと言う。
趣味の世界のことを公共の場、公教育の場に持ち込む
なというなら、文化活動は公共の場、公教育の場に持ち
込んではならないであろう。
選択の自由にかかることは学校で扱うべきではないこ
とになるだろう。
文化とは個人の選択にかかる精神的創造活動である。
その代表が宗教に他ならない。
宗教排除の思想は、それがかつてのGHQの命令だっ
たからに他ならない。
特にマスコミと教職は、植民地政策の手先であり続け
ているのである。
非国民的であり、愚かなことである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party