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すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 五月の大晦日・・・ 六月の戦い  新発想の極意  幸福実現党の魅力

2010年05月31日 07時31分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   人もまた  花咲くものぞ  五月花  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 今日は太陽暦五月の大晦日である。

 今朝の気温は16.5℃、比較的肌寒い気候が続いている。

 

 激動の五月、勝負の五月と目して動いてきたが、普天間の米軍基

地問題が、ぎりぎり鳩の一声で分別がついたようである。

 北朝鮮問題はなお、不穏な動きであり、張本人のチャイナは知らぬ

ぞんぜぬを通す構えである。

 

 しかし、低温の中、五月動乱は保存され、六月動乱に持ち越された。

 鳩のもう一声で特別警戒態勢を宣告し、自衛隊特別予算を組み、侵

略戦争に備えることを宣言して欲しいものである。

 持ち越しの六月動乱対策として、私の体内も臨戦態勢に変化してき

つつある。

 維新革命の血がめぐり始めている。

 久留米を拠点として、新しい動きをとるべく、活動強化したいと思う。

 

 維新革命は政治だけのことではない。

 教育も、産業も、マスコミも、革命しなければならない。

 新発想が実現されなければならない。

 しかし、完全主義ではなく、最善主義である。

 

 完全主義は自他を裁こうとするものである。

 最善主義は、不都合に対しても謙虚に最善の道を見つけようと努力

するものである。

 裁いてはならない。

 裁きではなく、理解から最善主義へ、これが、人間関係の兵法とも

なるであろう。

 

 さて、六月の課題は何か。

 決戦に備える仕込みにあるのではないか。

 情報取材・企画・広報・兵站の仕込みである。

 静かに緊張が増してゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 発想の極意 


 「そんなことできるわけないじゃん」

 「大風呂敷広げるところあるもんねぇ」

 「まあ、現実問題としては・・・」

 

 これが大体の反応である。

 新発想のおかれている立場である。

 発展を阻害しているものは、経験的認識からみて実現できるかどう

か、という常識感覚である。

 空想とは実現できるかどうかではなく、実現できたら面白いよねとい

う発想である。

 そこから、じゃあ、やってみようというチャレンジが生まれる。

 

 空想には根拠が無いわけではない。

 マクロ的な流れの中で、かくありたい、という願いが根底にあるの

だ。

 

 現代の若者に求められていることも、いや、若者らしさとは、そうし

た夢であり、大胆な、奇想天外な発想とチャレンジ精神である。

 

 

 幸福実現党というのは、実に若々しい。

 発想が斬新で夢にあふれている。

 未来を作る唯一の政党であろう。

 

 

 いつの間にか、Z旗が揚がった5月27日を過ぎてしまったが、新し

い発想で、各員一層、奮励努力せよという天のZ旗が上がっている

のを見る。

 かくあるべし。 

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 高原のすみれ草・・・ 不幸を選択する大衆の性分  幸福実現党の時代が来た!

2010年05月30日 19時07分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   枯れ草に  くるまれて咲き  山スミレ


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 モラルに反するのが世の中のざわめき、思うに任せないのが人間関

係、営業もマネジメントもそうした人の抵抗を泳ぎ渡る政治学のような

ものであろう。

 ここにいう政治とは、人間関係のバランスをとりながら、一定の目的

に力を誘導するコントロールワークである。

 泥沼と格闘しながら蓮の花を咲かせる夢仕事というべきか。

 

 それにしても、多くの人々は不幸を選択しようとするものである。

 リスクに反対し、責任を回避する。

 そして、不幸を環境や他人のせいにする。

 

 不幸を選択する多数をコントロールして発展的選択をさせるためには、

リスクではなく、利益を語らなければならないのだろう。

 利益のイメージが優勢になると、納得するのかもしれない。

 人々は不幸に安住しようとするが、新しいリスクをとらなくても手に入

る「現状維持」を選択した結果、不幸になるという図式である。

 もちろん、そこには発展が無い。

 トップが強制しなければ人々は動かない。

 

 トップでなければ、独立するしかない。

 政治的には、それが維新革命である。

 経営的にはベンチャー創業である。

 

 遊びから始めればよいのだと思う。

 実験がいつの間にか事業になる。

 実験して成功が証明されれば、人々はその利権に群がるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 幸福実現党が再び活発に動き始めた。

 

 しかし、選挙民におもねるべきではないと思う。

 なにしろ、選挙民が亡国の政府を選択したのであり、その責任を取っ

ていないからである。

 責任追及しても良いくらいである。

 

 選挙運動は、毅然として、維新革命のように騒然と凛々しくやったほ

うがよいのではないか。

 選挙民をお客様にしてはならないのだ。

 同志にしなければならない。

 共に、国を護り、世界を変えるという志を訴えなければならない。

 

 女性を使ってかわいくやるのも愛嬌だろうが、「前回自民党に投票し、

あるいは幸福実現党に投票してくれたみまさま、ごくろうさまです」、と

ねぎらったほうが良い。

 亡国の選択をした選挙民をねぎらうことはない。

 「国が亡びれば、わたしたちかわいい女の子も生きて行けません」、

と訴えればよいと思う。

 

 嫌われ者の選挙活動に愛想はいらない。

 本音でやればよい。

 情報を提供するのが一番かもしれない。

 マスコミが報道しない真実を情報提供するのが良い。

 世論の麻痺した危機感を喚起するべきである。

 

 不幸を選択するのは性分である。

 変わらない。

 その性分を利用しようとすれば利権政治になる。

 利権の中身が金ではなく、安全やヒントや救済であれば問題はない。

 人々はその利権に触手を伸ばしてくる。

 危険情報は大きな利権である。

 それならば、政治の役割と一致する。

 

 幸福実現党の活路は、天意への自由にある。

 亡国のときこそは、人々の利権と真実の告知が一致するであろう。

 維新革命はその時を得ていると思う。

 女性の時代を確立するチャンスでもあろう。

 

 今果敢に活動しているのは、女である。

 今が死に時と心得れば男も出てくるであろうが、それまでは、幸福の

科学・天照軍団の出番である。

 立憲女王国・九州やまとの国としても、大いに喜ばしいことである。

 

 力士たちよ、幸福の科学にきて、天照軍団を助けよ!

 大和の神々はこぞって幸福の科学にその唯一の活路をもとめてい

るのだから。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 日を花に受け・・・ 毒草キンポウゲ  馬糞俳諧千回突破  スポーツの根本精神

2010年05月30日 17時46分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   爛漫に  日を花に受け  金鳳花  

   梅士 Baishi

 

 

 

 金杯を輝かせ、春光をなみなみと注いでいるのが金鳳

花である。 

 毒草とはいえ、まあ、めでたい花ではないか。

 金鳳花の学名は、ラナンキュラス・ジャポニカ。

 ラナンキュラスとは蛙という意味だそうである。

 たしかに蛙がたくさん住んでいるような水辺の草原に

きらきらと咲いている。

 

 ウマノアシガタやキツネノボタンとの異同がいまひと

つ良く分からないが、ウマノアシガタは、葉の形状を現

し、キツネノボタンは花弁の怪しい光をよく表している。


 もっとも、キツネノボタンはめしべ部分がボタンのよ

うに盛り上がっている別種のようではある。

 まあ、金鳳花という名前の方がめでたいのではないか。

 

 そのめでたさにあやかって、わが「立憲女王国・神聖

九州やまとの国」はいつのまにか、千回を越えていた。

 馬糞 Bafun俳諧として始めたものであるが、糞も積もれ

ば山となるごとく、花咲き乱れる春の山のようで、これ

もまあ、めでたいことである。

  

 

 

 

 草原に  ウマノアシガタ  踊りたる

    梅士 Baishi

 

 

 

 今日はよく晴れた日曜日である。

 雑煮を食べて、出かけるとしよう。

 長ネギ、ほうれん草、みずな、ちんげん菜、アッ、南

関揚げを入れ忘れた!

 ちょっと中断・・・

 

 

 野生の金鳳花をウマノアシガタともいう。

 雲仙観光でもよく働いていた馬だが、今はいない。

 日本在来種の馬を、もっと観光やスポーツに使うべき

なのだ。

 馬糞は肥料にも、燃料にも、馬糞紙にもなる。

 

 馬術というと、西欧の馬高の高い馬を使うが、日本に

は生涯スポーツとして、日本在来種の馬を楽しめばよい

のではないか。

 なにも、西欧型のスポーツを真似ることはない。

 モンゴルの馬も馬高の低い馬なのではないか。

 

 ウマノアシガタの草原を見ていると、あの世の馬が楽

しげに踊った足跡のようにも見えてくる。 

 

 

 

 

【 スポーツの定義】 

 スポーツという言葉は、近代英国に生まれた騎士道精

神を教育する運動競技という歴史的用語である。

 それが、クーベルタンを感動させ、フランスの戦後復

興教育の柱にしようと決意させ、近代オリンピックの創

始につながった。


 英国生まれのスポーツ文化は、英国の植民地経由で世

界に広がり、近代オリンピックを通して国際スポーツへ

と進化していった。

 日本でも、青年の心身を鍛える学校体育として定着し

たと言える。

 文武両道とは、武を教育の柱として、武人としての教

養を読み書きそろばんという文の教育で補うという教育

思想である。


 ところが、その後スポーツは堕落してゆく。

 学校体育は受験戦争に関わりない科目として形骸化さ

れ、教育の柱ではなくなった。

 しかも、部活中心に大会での勝利至上主義に駆り立て

られ、リスペクトの精神が支配と服従という体罰的指導

に変質してしまったのである。


 他方、近代オリンピックに牽引された国際スポーツも

勝利至上主義に変質してしまった。

 ドーピング問題に代表されるように、勝つためには手

段を選ばないという、悪魔に魂を売る選手や国家がメダ

ル獲得に血道を上げる悪徳レースに堕落しているのであ

る。


  競争において、信仰なくしては、公平公正な競争の精神

を共有文化とすることは難しいことである。

 神の前での競技であってこそ、礼節と美意識を持って

戦うことができる。

 こうしてみると、スポーツの堕落は、近代オリンピッ

クに神の前の競技というオリンピック精神を憲章としな

かったところに発するのであろう。


 であるならば、日本から神聖なスポーツ文化を発信す

るべきではないのか。

 もはや、堕落した近代オリンピックにすがるべきでは

あるまい。

 新しい時代の国際スポーツマンシップ競技大会が日本

から起こればよいのだ。


 それぞれの信仰に基づいて、正々堂々と戦う国際スポ

ーツ大会である。

 出場資格は、無神論国家ではないこと、選手が信仰を

持っていることである。

 神を無視する国や選手をスポーツマンとは認めない。

 これを明示したい。


 神の定義は難しいが、創造主としての根本神または、

人々の魂を育てる指導神と定義したい。

 軍神もまた、正義の観念を持って人々の魂を守る指導

神である。

 信仰なきスポーツに礼節が成り立つはずがないではな

いか。

 スポーツマンシップを見失ってはならない。 

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

   

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 常盤ハゼの春・・・ 異質への理解と愛。  話し合いというフィクション。  癌細胞切除の外交術。

2010年05月29日 00時20分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 常ならむ  春に咲いたり  常盤ハゼ

   梅士 Baishi

 

  

 

 珍しい花だと思ったが、常盤ハゼという花らしい。

 どこにも年中咲いているといゴマノハグサ科サギゴ

ケ属の一年草である。

 その意味では季節感のない花だが、春に咲けば春を感

じさせる花である。

 

 こうした個性が四季を成している。

 散る花もあれば常盤の花もある。

 花もなければ葉を染める。

 神の創造の豊かで奥深いことよ。

 

 多様な異質は人の心にあふれて入りきれない。

 それを悪意だと勘違いをする。 

 悪意ではなかったのだ。

 自分の視野に入りきれないほどに大きな神の創造的世

界がある。


 神の創造物であっても、個性相互は異質といべきであ

ろう。

 異質な個性を、狭い常識で非難してはならない。 

 異質を愛することは、多様で広大な神の世界を理解す

る心構えともいえる。


 異質とは、独立した個性である。

 ルールとは、同質化ではなく、相互理解である。

 ルールには、寛容の精神がなければならない。

 

 鳩の懲りない営巣も悪意からではない。

 どうにもならない性分なのだろう。

 その性分に合わせた対策が大切だ。

 仕置きでは治らない異質なのである。

 

 異質への配慮、異質への理解こそは、マネジメントの

入門であり、教育の入門ではないか。

 異質を愛することが、無我・空の人生観ではないか。

 

 ゴマノハグサ科サギゴケ族の、その宇宙人のようなト

キワハゼに、この世の軋轢の意外な解法を発見する。

 神の創造された世界は、人間への教育と愛にあふれて

いるようである。

 

 汝の隣人を愛せよというキリストの教えは、異質なる

存在を受け入れよという寛容の精神であろう。

 それを愛と言うのだ。

 隣人ほど腹の立つ存在はないのだから、愛とは試練で

もある。 

 

 

 

 話し合いという民主主義の墓穴 

 話し合いで解決するというのが民主主義の金科玉条で

ある

 しかし、話し合いで解決できないものはないという信

条は危険な罠である

 約束は守ると言う信頼関係が前提だからである。

 

 政治には、民主主義が妥当しうる領域と、物理的な仕

掛けを講じなければならない領域とがある。

 話し合いという民主主義のフィクションに幻惑されて

はならない問題があるということである。

 北朝鮮に対する、六カ国協議も国連安全保障理事会へ

の提訴も、警告的意思表示ではあっても、話し合いで解

決できる問題ではない。

 

 北朝鮮の危険な行動は、既に民主主義の妥当領域には

無い。

 がん細胞として対処するか、不都合なポリープとして

切除するかというような性質の問題である。

 中国が栄養補給を止めて、癌細胞を兵糧攻めするとい

うことは期待できない。

 中国自体が癌細胞というべきだからである。

 

 国連は話し合いの場ではない。

 いわば、掲示板程度のものである。

 掲示板が問題解決策を決定することはない。

 

 北京政府も北朝鮮支配グループも共存するべき異質で

はなく、癌細胞であるとすれば、どのように切除するか

という手術政策の問題である。


 支配グループとその軍隊支配組織を切除すればよい。

 切除部位の特定とレーザーメスの道具選択、施術手順

が問題である。

 「友愛」はその麻酔効果を持たないであろう。

 

 外科手術政治における麻酔はあるのだろうか。

 野獣に対する麻酔弾というべきものがあるだろうか。

 失神させる方法である。

 失神爆弾があれば、それが麻酔弾になる。

 それとも、ヤマタノオロチ征伐のように、金縛りにで

もするか。 

 

 いずれにしても日本は外科手術のメスを取らなければ

ならない。

 できるだけ痛みを伴わない手術にしたいものである。 

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 

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+ 山藤の宿・・・ 雲仙観光再生のヒント。  放送裁判制度と虚偽放送の罪の新設を。 民主主義の正体。

2010年05月28日 07時46分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    山藤の  栄し宿の  山榮え

   梅士 Baishi 

 

 

  

 雲仙に行くと必ず立ち寄る宿がある。

 雲仙観光ホテルである。

 宿といっては失礼かもしれないが、大正ロマンを感じ

させる木造の作りと品のあるメイドレストランが気に入

っている。


 その宿の入り口の藤棚が満開の紫にあふれていた。

 しかし、長く垂れ下がる藤ではない。

 山藤だった。

 新緑の五月の山を飾る野生の藤である。

 それもまたいい趣向だと感心した。

 

 雲仙観光が寂れているのは残念なことである。

 欧米人が憩える温泉文化発祥の地として整備し、広報

するとよいに。

 駐車場、遊歩道、ワインカフェ、馬車交通、防犯・警

備体制、高速インターネットフリー環境、高速高画質電

子会議システムを備えた会議室などの工夫が必要である。

 

 車道は温泉町から迂回させて、入り口からは徒歩か馬

車で移動すとよい。

 小型航空機空港も必要だろう。

 リアルタイムのインターネット放送も必要だ。

 国際観光温泉として生まれ変わって欲しいものである。

 

 

 さて、今朝の気温は14℃半。

 北の勢力が優勢で、株価と共に冷え込んでいる。

 もしかして、気象兵器?

 今にも北極から氷がなくなって、白熊が絶滅寸前であ

ると宣伝したNHKだが、北極の氷は増えているという。

 衛星写真にも、広大な氷が広がっている。

 

 NHKのこのインチキ放送は、もはや犯罪であろう。

 事後審査としての放送裁判があってしかるべきである。

 虚偽報道の罪は外患誘致の罪相当に新設すべきである。

  

 

 

 

民主主義の正体 


 「朝鮮民主主義人民共和国」が戦争の危機を招く挑発

行動を繰り返している。

 これが、民主主義の姿でもある。

 自由を否定する一党独裁の恐怖政治も、民主主義の姿

なのである。

 

 民主主義を絶対のように賛美してはなるまい。

 民主主義を叫びながら、日本を滅亡に追い込もうとし

ている勢力が健在なのである。

 その代表が、社民党であり、民主党であり、共産党な

どの政治勢力あり、その背後に公務員労組、日教組な

どの公務員団体がある。

 反日勢力が税金で飼われているのである。

  

 神を追放した民主主義の正体は、政治の堕落であり、

漂流であり、国家滅亡への迷い道である。

 神に代わって政治を支配したのがマスコミである。


 誰とも知れないチンピラマスコミを神のごとくにあが

め、おそれる政治システムが現代民主主義といってよい

のではないか。

 これが、政教分離の意図でもある。

 

 『幸福実現党』という無邪気な名前の政党が、天使と

一緒に訴えているその言葉を、無視してはなるまい。

 政教分離ということは、教えを見失った政治という意

味である。

 もう一度、天意に従う素直な政治を志すべきである。

 

 民主主義の「民」とは、仏神を敬い尊び、その教えを

実現しようと努力する民を意味しなければなるまい。

 そうでなければ、「民」を名乗るナチ党や共産党や社

民党や民主党やらが支配する恐怖政治、亡国政治に陥る

ことになるのだ。

 

 

 民主主義という常識に入り込んだ傲慢を反省せよ。

 政教分離という神への反逆を反省せよ。

 信仰とは、神への謙虚であり、修行の誓いである。

 

 朝鮮民主主義人民共和国のように、日本民主主義人民

共和国としてはならない。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 野に香を立て・・・ 戦争に備えよ  地方自治を廃止せよ  革命政権を樹立せよ

2010年05月27日 11時34分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

    ウンランの  霞み香るか  花遍路

   梅士 Baishi

 

 

 

 気温16℃、五月末には少し肌寒い。

 「半袖で飛び出したら寒くてびっくりした~」

 日ごろのおしゃれが震え上がる寒さである。

 

 震え上がるようなことの多い五月である。

 ヨーロッパ情勢はクレバスにはまりそうな危うさが漂

って、ユーロは109円にまで下げている。

 危ないのはギリシャなどの雑魚ではなく、フランス、

ドイツ、イギリスであろう。


 1ユーロ90円を切る頃にヨーロッパバーゲンツア

に出かけるとしよう。

 買い物はギターと革製品かな・・・。

 おお、それからブランディーと最高級ワインかな。

 それほど先のことではあるまい。

  

 

  

 

戦争に備えよ

 朝鮮半島情勢が一触即発の緊迫状態にある。

 どうせ、戦争など出来やしないだろうとたかをくくっ

た挑発だが、これは北朝鮮がテレビ宣言しているように、

宣戦布告である。

 

 韓国はこの宣戦布告に対して、同等以上の報復をした

上で、宣戦告を受けて立つが、良いのか、と詰め寄る

べきであろう。

 即答がなければ、先手必勝、核施設を集中攻撃して撃

滅するほかないであろう。

 米軍との連携も欠かせない。

 

 先手必勝の戦争になる。

 北朝鮮の背後で操っているのは中国である。

 中国が宣戦布告を挑発しているということになる。

 「北朝鮮の責任をどうとるのか」と詰め寄ればよい。

 中国にも冷や汗をかかせないと頭に乗っている。


 中国に対しては、輸入禁止の経済制裁が最も効果的で

ある。

 日本の食糧は、南米やアフリカ、オーストラリアに開

拓するべきである。

 

 「中国だけが核兵器を増やしている」と指摘した岡田

発言に対して、「中国は激怒している」と伝えるマスコ

ミの愚かしさよ。

 日本に対して核ミサイルを照準し、核兵器を増やして

いることに対して、日本は激怒していると伝えるべきで

ある。

 

 半島戦争になれば、日本に対するミサイル攻撃が予想

される。

 これに対して、韓国軍と連携して、ミサイル基地を集

中攻撃する必要がある。

 一気に半島統一の動きになる。

 いよいよ、博多が危ない。

 

 金正日一家がボートピープルで大挙してきたらどうす

るのか。

 コンビニのおにぎりが襲われるくらいでは済まないの

である。

 武装難民である可能性が高い。

 海上で抑えなければ大変なことになる。

 

 戦争が現実的になってきた。

 福岡市役所の木っ端どもよ、中国人観光客に大歓迎の

旗を振って出迎えるのが木っ端の仕事ではないはずだ。

 海岸警備の見張り小屋につめる訓練を開始せよ。

 

 NHK福岡放送局は自衛隊放送部隊に席を明け渡し、

防人番組を放送せよ。

 釣り情報や海軍ツアー番組をながせば結構楽しいので

はないか。

 

 国政現場にあっては、社民党を国外追放せよ。

 共産党を追放せよ。

 もはや、国防体制は緊急課題である。

 地方自治の廃止が沖縄問題を一気に解決する。

 革命政権が求められているのである。

 

 この五月は、決断のときである。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi        

  


 

 

 

 

 

 

 

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+ 父の遺酒・・・ NHKを討て  韓国艦船撃沈  中国を非難すべき好機

2010年05月25日 07時34分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   春雨や  形骸になり  父の酒


   梅士 Baishi

 

 

 

 

  父秘蔵のブランデーが底をついた。

 形見の酒は惜しみつつもそう長くは持たないものであ

る。

 瓶だけの形骸となっては、まさに、骸のごとしである。

 

 気温22℃、地球が温暖化してきたのか、冬ではなく

なった。

 それでか、NHKがそろそろ解禁ということでか、温暖

化ということを言い始めた。

 都市部の温暖化がイコール地球温暖化にすりかえられ

ているのである。

 

 亡国のNHKを、この獅子身中の虫を、なんとしても解

体駆除しなければならない。

 視聴料徴収制度を廃止しなければならない。

 放送権を一端返してもらわなければならない。

 鳩さんも、一つくらいいいことをして政界を去るべき

だろう。

 NHKと討ち死にしてくれないか。

  

 

 

                   ジャガイモの花

 

北朝鮮、中国を討て 

 中国は今、上海万博で金縛りである。

 今が、その非民主主義体質を、北朝鮮を傀儡としてい

る卑劣を、周辺国家を侵略した横暴を、国内での非人道

的恐怖政治を非難する好機である。


 韓国艦船が北朝鮮の攻撃の下、一撃で撃沈された。

 今が、国際非難を集中すべき好機である。 

  中国にレプタリアンが入り込んでいるとしたら、こと

急がなければならない。

 アメリカ以上に好戦的な国になってゆくであろう。


 レナウンのように、尻尾を振って、生き胆を食われて

終わることであろう。

 愚か者となってはならない。 

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

   

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ どしゃ降り・・・ 外国人永住権者に地方自治選挙権を認める判決を下した大学入試センターの暴挙

2010年05月24日 07時33分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    どしゃ降りに  口あけており  鯉のぼり

   梅士 Baishi

 

 

 

 

 日曜の午後、ざあざあと本降りになった。

 雨とはこんな風に降るものだと、久々の感触を楽しみ

ながらコーヒーをすすった。

 大掃除を終えて、一段落、過去のものを捨てるとさっ

ぱりとする。

 

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『日米安保クライシス』

は60年安保をめぐる天国と地獄の対照を、岸信介元総

理と自縛霊となっている丸山真男の霊言で見せてくれて

いる。 

 

 それにしても、丸山真男という元政治学者というのは、

天才肌だというが、救いようのないバカであった。

 そんな地獄堕ちの自縛霊を呼んで霊言させるというの

も辛い話であるが、霊存在の実証、地獄の実証実験とし

て、よい勉強にはなった。

 地獄から這い出られたら、天才肌の猿くらいからやり

直したほう良いのではないか。

 

 彼らの理屈はすり替え理論というべきものである。

 本音は単純で、貧乏や敗戦の恨みを正当化するのが目

的だ。

 社会主義、共産主義というのは、理想主義から出てい

るように見せているが、恨みや嫉妬を正当化しようとい

う反政府主義の屁理屈である。


 それが政権をとると、国民によるという部分が失われ、

恐怖政治に豹変する。

 強権政治は、国民のための政治ということで正当化す

る。

 理屈は後付で、いわば騙しのテクニックである。

 

 民主主義は「革命」とおだてて反政府活動に大義があ

るかのようにすり替えるのである。

 天皇制は戦争を強いた極悪非道の制度と断罪され、実

に短絡的、恣意的に合理化され、「理論」化されるので

ある

 

 丸山の天才性とは、悪魔的という意味に解釈するべき

であろう。

 言葉のあいまいにつけこむすり替えが上手ということ

である。 

 

 

 

  

大学入試センターによる外国人参政権合憲判決! 


 大学入試センター試験で、永住外国人の地方参政権を

めぐる平成7年2月28日の最高裁判決は、参政権を認

めたものだという解釈で出題された。

 これに対して、チャンネル桜や、「台湾は日本の生命

線」を掲げて活動する「がんばれ日本」グループが抗議

行動を続けている。 

 

 しかし、問題の判決はあきらかに、選挙権を認めない

という主文判決である。

 永住韓国人に対する地方参政権を認めているのは、園

逸夫当時最高裁判事による傍論であって、判決を構成

しない。

 しかも、本人の口から、政治的配慮(リップサービス)

であって、選挙権を付与するという考えまでは持ってい

なかったと弁解されている。


⇒ http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100219/plc1002190020000-n1.htm

 

 

 それが、入試センターでは、判決主文にすりかえられ

ていたのである。

 しかも、未だに非を認めていないという。

 大学入試に関しては、入試センターが最高裁判決を変

更してもよいらしいのである。

 

 このように、日本の左翼プロパガンダは、水虫のよう

に深く教育に巣食っているのである。

 外国人参政権を認めている憲法学者には、芦辺信樹と

佐藤幸治の名前が挙がっている。

 くそっ、両方とも本買って勉強した「先生」ではない

か!

 司法試験の定番テキストだったからなあ・・・。

 

 ちなみに、頑固な水虫は、ミツカン酢で駆除できる。

 

 選挙権の根拠は、国民主権にある。

 国民主権は、日本国籍を有する国民固有の権利である。

 国籍とは所属であって、永住権レベルでは、その国家

的所属は韓国なのだから、日本の主権には責任根拠が無

い。

 だから、選挙権や公務員となる資格も認められないの

である。


 参政権を広く解釈すれば、外国人にもお願い政治活動

くらいは表現の自由の範囲といってよいかもしれないが、

迷惑な内政干渉レベルなれば、退去してもらってよい

のである。

 

 地方自治の公務員資格や選挙権を認めようという議論

の狙いは、国の対馬領有にある。

 地方自治に入り込めば、事実上の政治支配ができる。

 対馬は韓国固有の領土であるという考えは、単なる主

張ではない。

 すでに、対馬の土地買収として進められている作戦で

ある。

 

 公務員による売国奴活動を許してはなるまい。

 検討の余地は無い問題である。
 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi        

   

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 朝露燃える・・・ 就職活動とは営業活動である  営業の精神とは与えることである

2010年05月23日 09時49分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   朝露の  はじけむばかり  日は昇り

  梅士 Baishi 

 

  

 

 今日こそは休日であるが、雨である。

 菖蒲の時期であろうか。

 雨の日に出かけてみるというのも一興ではある。

 

 一息ついて、また一週間を激走する。

 インタバルトレーニングのように、また走る。

 泳ぎに行くとしよう。

 

 枇杷の実がずいぶんと大きくなってきた。

 葡萄は花が咲いている。

 そういえば、柿の花が咲くころなのだろうか。

 山にも出かけたいものだ。

 

  

 

 

 

就職活動をする学生たちへ~ 就職活動とは営業活動である】 


 就職活動とは営業である。

 営業とは、与えることである。

 営業とは、貢献であり、サービス提供である。

 くださいくださいというのが営業ではない。

 

 就職活動をしている学生たちは、内定欲しいです、内定

ください、ないてぃお頼みも~します~という活動をして

いる。

 

 何も与えていないことはないだろう。

 フレッシュな雰囲気、真剣な気持ち、未来への期待、そ

うしたものを与えているかもしれない。

 しかし、与えようとして与えてはいない。

 

 「与えよ、さらば与えられん」という仕事の精神を見

失ってはならない。

 営業とは、イイシラセをもたらすことであり、激励す

ることであり、時に共に戦うことである。

 しからば、人生を生きるということもまた、営業とい

うべきではないか。

 

 自己中心に選択してはならない。

 私利私欲で売り込んではならない。

 愛なくして、何の発展があろうか。

 愛なくして、愛が生まれようはずがないではないか。

 

 良い種を蒔くように、よいものを与えるべきである。

 私利私欲からは、良いものは生まれないものである。

 

 だから、良いものを生み出す努力をしなければならな

い。

 良いものを生み出せるように、自らを鍛錬しなければ

ならない。

 故に、生涯是勉学なのである。

 人生是修行なのである。

 

 採用する企業側もまた、人生意気に感じるという採用

をして欲しいと願うものである。

 安易なマークシートテストや学歴で選別してほしくは

ないものだ。

 それが、企業の教育責任の入り口なのではないか。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

             梅士 Baishi        

  

 

 

 

 

 

※改訂版「鎮魂歌~ クリシュナ幻想」
⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/f5daa8f7f424e68d6faf7bfcf4ad5450

 

 

 

 

 

 

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+ マツバウンランの紫雲・・・ 疑心暗鬼を撃退せよ  先行投資のマネジメントは信仰にある

2010年05月22日 08時30分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   春霞  ウンランの野に  安みたる      

   梅士 Baishi

 

 

 

  高天原の春霞のように淡い紫の花を群生して霞ませ

いる花がマツバウンランである。

 北米からの帰化植物だというが、すっかり和の趣で咲

いている。

 帰化というよりも、和に親しんだという意味で、親和

植物、あるいは新しく日本の植物になったという意味で、

新和植物と言いたい。

 

 どうも俳句にしにくい長い名前をどうにかしたいもの

である。

 松葉に似ている、海蘭に似ているという名前なのであ

る。

 名前とはそうしたものかもしれないが、ウンランなら

ば雲蘭と表記したいものだ。


 海蘭は少し違うのではないか。

 あるいは、霞のような蘭もどきということで、霞ウン

ランのほうがよい。

 霞ウンランあるいは、カタカナのウンランといえば、

マツバウンランの別名としたいものである。

 妥当なイメージではないだろうか。 

 

 

 

 

疑心暗鬼という悪魔】 


 偉そうなことを言って、あの人は一体何をしているの

か、果して仕事をしているのか。

 疑心暗鬼が組織をうろつき始めると、しらけた空気か

ら険悪な空気にもなる。

 疑心暗鬼こそは、悪魔の心である。

 信じられない、というマインドこそは悪魔の心情であ

る。

 

 鬼といい、悪魔といい、単なる空想、妄想で言葉はで

きないであろう。

 言葉の重みを知るべきである。

 霊という言葉もまた同様、実在する思考エネルギーと

いうべきである。

 

 疑心暗鬼を撃退するには、素直さが一番大切である。

 疑心暗鬼を呼び寄せるのは反感であり、不信感だから

である。 

 素直になるためには、先行投資で信じるほかはあるま

い。

 最善を尽くしているにちがいないと信じることだ。

 そう信じて、サポートすることである。

 

 マネジメントの正念場であり、度量であろう。

 だからこそ、人間関係には信仰と祈りが大切なのだと

思う。

 人間関係には選択があるが、選択した以上は、信じる

ことが大切である。

 

 ことをなすにあたって、疑心暗鬼を撃退せよ。

 信じる力を最大にせよ。

 信じる力もまた、愛である。 


 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ あざみの花畑・・・ 「事業仕分け」をよい制度として子供に教えるNHK  これでも公共放送か

2010年05月21日 22時20分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

    

  朝露の  数ほども咲き  花畑


    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 今朝の気温は18℃。

 少しひんやりとした朝である。

 高原はもっとひんやりとしているのだろうが、「お花畑」が美しい季節

が始まったのではないか。 

 

 下界の草原は、うっそうと茂る前に、天国のような「お花畑」の季節

がある。

 旅の朝を歩いていると、朝露が宝石のように光っている。

 その朝露の数ほどにたくさんのアザミが咲き群れているのを見つけた。

 英国の草原もこのようなのだろうか。

 

 その中に、白アザミを発見した。

 群生の中にも、その一花だけだった。

 珍しいのではないか。

 草地を分け入った努力のあとの、ちょっと自慢できる発見であった。

 

 美しい世界には私利私欲がない。

 人間もまた、いかに私利私欲を離れることができるか、これが修行の

課題である。

 欲という言葉自体に私利私欲の奪う気持ちという意味がある。

 生命活動に必要な基本装置であろうが、心臓の鼓動のように、必要

十分の範囲で自動運転したいものである。

 しからざれば、物欲から仏欲へ。

 仏を求める気持ちを強く持ちたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

民主党社会主義政権をかついで「事業仕分け」を賞賛するNHK】 


 NHKこどもニュースに解説された「事業仕分け」は、行政刷新のため

の素晴らしい政策として絶賛されていた。

 「国民が払う税金。ムダのないようきちんとチェックしてほしいですね。」

 

 実は、民主党に逆らえば、途中からでも予算をちょん切るぞという制

裁政治で、たくさんの建設会社や関連会社を倒産に追い込む恐ろしい

政策である。

 もう一つは、民主党が選挙を有利にするための無駄なばら撒き政策

の予算を作るための強盗のような予算横取り作戦である。

 

 税金の無駄というなら、公務員の解雇、議員定数の半減、予算単年

制の廃止、地方自治の廃止、ばら撒き政策の自粛、特定分野への補

助金政策の中止のほうが、ずっと優先順位は高い。

 さらに、国家の収益を高めるための投資政策として、交通革命の一環

としての高速道路完全無料化、リニアモーターカーの導入、宇宙産業

の促進、防衛予算の増強など、公共工事関連の予算がもっと必要であ

る。

 

 公共工事というと税金の無駄遣いだというイメージを作ってきたのが

NHKである。

 NHK自体が無駄な税金を取り立てている。

 

 こうしたことを子供たちにも判りやすく教えるべきであろう。

 しかも、学生の無知に付け込んで、「事業仕分け」を税金の無駄を阻

止する制度として研究させようという課題授業をする左翼教授がいる。

 まあ、なんともあつかましいことである。

 社会に通用しないような大学教授や講師を認めるべきではあるまい。

 常識あってこその常識破りでなければならない。

 教育者の仕分けなくしては、この国は立ち行かなくなることであろう。

 

 マスコミの仕分け、教員教授の仕分け、そして国民にあっては政党政

治家の仕分けを正しくきっちりと進めてほしいものである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 挽歌を浮かべ・・・ 本社の官僚体質  口蹄疫マスゴミの反日反社会性  獅子身中の虫を駆除せよ

2010年05月20日 08時25分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   池の端に  挽歌を浮かべ  春の鷺  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 諏訪池に佇んでいた鳥は、アオザギのようだった。

 池の端に寄せる漣に挽歌を浮かべているかのような風情であった。

 

 

 玉藻よす 漣渡す 諏訪池の 安みし国の 大神の 橋の渡しの 

 池の端に 春曇りたる アオサギの 僧のごとくに 佇みて 参りし人の

 道標 見送る先の 彼岸にも 春を盛りと 咲く花の 明きあたりを 

 祈り渡らせ

   馬草 Magusa

 

     

 

 

 

 


 

検閲体質の本社役人を駆除すべし】 


 役人というのは公務員だけではない。

 「本社」意識とは、まさに役人意識で現場を押さえ込もうとするブレーキ

システムである。

 国民には任せないというのと同様、現場のスタッフは信用できないとし

て検閲を日々の仕事にしている輩である。

 本来ならば、現場のやる気をサポートするシステムが本社機能である

はずが、無能な役人に成り下がっている。

 

 そうした時代遅れの官僚化した企業がたくさん残っている。

 そうした企業を廃棄するためにも、企業倒産時代が求められているの

かもしれない。

 社会主義民主党政権の日本破壊工作をこれ以上継続させるわけに

は行かないが、ここで打ち切らせることができれば、一定の役割はあっ

たということになるのではないか。

 

 しかし、一定の役割評価さえできないのが、マスゴミである。

 宮崎の口蹄疫が問題となったにも関わらず報道せず、政府の無策を

放任し、どうにも隠せなくなったところで今問題が起こったかのごとくに

報道している反社会性とあつかましさは我慢の限界を越えている。

 しかも、知事の責任でもあるかのように責任転嫁する醜悪さはもはや

悪魔的といわざるを得ない。

 

 自分たちが担ぎ上げ、支持している民主党社会主義政権の責任追及

は棚に上げて身代わりの犯人探しをしているのである。

 まさに壊滅的段階になるまで、政府は手を打たず、マスコミは隠し続

けたのである。

 処分される牛・豚は既に11万頭に達したという。

 本来処分されるべきはNHKをはじめとするマスゴミと民主党社会主義

政権であろう。

 

 こうした禍は、政治・社会が腐敗した時代に現れるものである。

 その禍根こそは、チャイナとマスゴミであり、その傀儡というべき民主

党社会主義政権にほかならない。

 その背後にあるのは、公務員労組であり、日教組である。

 

 そうした社会主義独裁の病原が口蹄疫のように企業に広がる前に

処分しなければなるまい。

 本社を持つ中小企業は特に危険である。

 

 獅子身中の虫を駆除すべし。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 大の字に咲き野良の花・・・ 五月病と五月晴れ   美人とは何か  メイクの心

2010年05月19日 06時52分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   五月晴れ  大の字に咲き  野良の花


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 気温22℃、今朝は雨である。

 黒百合は体全体が黄色く透明になって、この世を去ろうとしている。

 なんとも神秘の花である。

 これに対して鬼百合は天にも届きそうな勢いで背丈を伸ばし、今にも

はじけそうである。

 

 五月病という人もあれば、鯉のぼりのように元気に泳ぎまわっている

人もいる。

 心の持ちようで、こうも違うものか。

 五月病の正体は、ほかの人の元気に負けそうで、病気に逃げている

のではないか。

 

 たしかに、同年同期で優劣を比較されて劣るのは嫌だろう。

 しかし、誰が比較しているのか。

 他人ではなく、自分がそうしているだけである。

 

 人間は関係であり、縁であり、役割である。

 優劣の比較ではなく、関係の適否である。

 より多くを与える人、一所懸命に努力する人が愛され、信頼される。

 自分が劣っていると感じるのではく、他人に与える愛の思いと努力を

こそ問うべきである。

 人の善意を優劣で比較する人はあるまい。

 それは失礼であり、横着というものだからである。

 

 

 

 

 

 

 与えることに智慧をしぼり、思いを絞るべきである。

 営業は、与えるために、ほかから奪ってくるというような発想がある。

 何軒訪問し、何件獲得して来いと言われる。

 違うのではないか。

 人間関係とは与え合う関係である。

 営業もまた与える努力で道を開く仕事ではないか。

 

 女性のメイクも同じである。

 「美人」になるためのメイクではいけない。

 「美人」といのは優越感であり奪う意識である。

 そうではなく、天女のごとくやさしく、爽やかに整えればよいのだ。

 

 女性の美しさとは美しさを発見し愛する心の表れである。

 美しさとは偽装すべきものではない。

 輝きだす心である。 

 与える思いである。

 

 

 

 

 

 

 悩み、恐れ、不安な人は、豊かさを与えることに努力せよ。

 与える愛の前に、悩み、恐れ、不安、憂鬱は所在無く消え去るほかは

無いのである。

 

 女性たちよ、今日から美人であることをやめよ。

 美人でないこともやめよ。

 女は女神たるべきである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 諫早の菖蒲・・・ 小説家・野呂邦暢   学生たちよ、国家独立の為に立ち上がれ

2010年05月18日 07時21分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

     めがね橋  余生をながめ  菖蒲池


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 諫早は長崎の入り口に位置する長崎街道要衝の宿場町である。

 今は諫早湾開拓問題でもめているが、鰻料理とめがね橋で知られる.

 

  しかし、自分にとっては、小説家・野呂邦暢(代表作「草のつるぎ」「諫早菖

蒲日記」など)の街というイメージが強い。 

 かつて諫早の田舎風の静かな図書館が気に入って通っていたことがあっ

た。

 そのときに読んだのが、『地峡の町にて』という野呂作品であった。

 その本の装丁がそっくり諫早のイメージになっている。

 

 諫早のめがね橋は、昭和32年(1957年)の本明川の洪水のとき、多くの

木などをせき止めて諫早大洪水の原因となったといわれる。

 洪水で流されないほど頑強な作りであったが、それが禍して、今は諫早公

の池に余生を送ることを余儀なくされている。

 

 そのめがね橋の池に菖蒲が咲いていた。

 そんな季節だろうかと疑ったが、諫早のめがね橋には良く似合う花である。

 

 

 

 

 

 

 

日本学生たちよ、国家独立の為に立ち上がれ!】 


 60年、70年の安保反対闘争は、社会主義の嵐であった。

 なぜ、そんなことになったのか、戦後ベビーブーマーたちの反乱のよう

でもあった。

 岸信介は国賊のように罵られてもいた。

 ところが、正義であることを疑わなかった学生運動こそは、社会主義

の妖術に踊らされた悪魔的な熱狂であった。

 

 しかし、現代はどうか。

 政府自らが日米の安全保障システムを壊そうとしているのである。

 学生運動のカルマというべきか。

 結果、日本滅亡の秒読みが始まってしまった。

 

 学生たちよ、それでも黙ってみているのか。

 維新の志士とはならないのか。

 民主党・社会主義政権打倒、安保堅持、普天間基地存続、地方自

治廃止、「日本国憲法廃棄」、独立憲法宣言、消費税廃止・・・。

 そうしたことを叫ばないのか。

 街頭に立たないのか。

 デモ行進をしないのか。

 

 学生よ、天命に目を覚ませ!

 天の声を聞け!

 国作りの青春を送れ!

 今が、その時である。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 立浪草寄せる春・・・ 福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』  独立自尊の精神とは何か 

2010年05月17日 07時45分13秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

   春の辺に  立浪草の  波打ちて


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 気温20℃、穏やかな朝である。

 今朝の花は立浪草である。

 雲仙小浜の野べに咲いているのを見つけた。

 しそ科の植物である。

 たしかに、葉の形がシソである。

 たくさんある花ではないが、食べてみよう。

 

 立浪草を初めて見たのは筥崎宮庭園だった。

 観賞用のガーデン植物かと思っていたが、野草であった。

 本当に白波が立っているように打ち寄せて咲いている。

 この日本の春には象徴的な花である。

 

 

 

 

 

 獅子身中の虫、新聞社、テレビ局、その他マスコミ関係者、大学教職

員、日教組を筆頭とする愚かな公立学校教職員、公務員労組・・・、この

社会主義勢力の愚劣な輩が、亡国の政権、民主党政権にチェンジさせ

たのである。

 

 社会主義こそはまさしく机上の空論であった。

 社会主義が標榜する平和も安全も幸福も、国丸ごと沈没させるアヘン

のようなものであった。

 その中毒者が未だに社民党や共産党で議席を持っていること自体、お

そるべきアヘン中毒の蔓延を示唆している。

 かつての恩師というべき牧師もまた、アヘンの夢から覚めないまま、

地獄で解放運動をするのであろう。

 生真面目一本では、洗脳から自力回復することはできないものらしい。

 

 人間、適当に馬鹿なほうがよい。

 人生、笑いが取れる程度にぼけていたほうがよい。

 緊張と弛緩のバランスが大切なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』~ 独立自尊の精神とは何か】 


 

 福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』(大川隆法著 幸福の科学出版刊)

は示唆に富む如来の直説金口であった。

 

 彼の教育理念は『独立自尊』である。

 慶應義塾大学には既にその建学の精神が失われ、諭吉自身、もはや

手を離れた大学であり、指導もしていないという。

 慶応大学ばかりではない。

 独立自尊の精神が現代教育から見失われているというべきである。

 

 教育の崩壊は、家庭においても危機的な状況だといってよいだろう。

 子供の自尊心が大いに傷ついているケースがあまりにも多い。

 子供は自力では生きられない弱い立場である。

 ところが、親の暴言に傷つき、学校ぐるみのいじめ犯罪に傷つく。

 子供に対しては、その人格への尊重を見失ってはならない。

 自尊心は育てるべきものであって、それを傷つけてはなるまい。

 

 もう一つは、逆に独立心が育っていないという問題である。

 保健室登校というのも、独立心を見失ったわがままの放置である。

 過保護ではいけないのだ。

 

 自尊心とは独立精神に宿るものである。

 子供は独立できていないが、独立への努力が自尊心の在り処となる。

 独立自尊の努力を、家庭も学校も愛情を持って尊重し、育てなければ

ならない。

 それが、「学問のすすめ」の教育精神ではないか。

 

 亡国の淵に立たされている子供たち、青年たちへの諭吉の助言は現

代でも『学問のすすめ』である。

 独立自尊のための学問であるが、そのためには信仰が大切だと補足

している。

 結局、独立自尊とは自由人権と似たようなものだ。

 それは形である。

 その根本にある画龍点晴こそは、信仰心であり、世の中の役に立つと

いう志である。

 信仰とは、天意を受けて、世の中の役に立とうという志である。

 それを、福沢諭吉は「学問」という観点から実学を説いたのである。

 

 学生、元学生、大学関係者は全員、購読するべき一書であると思う。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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