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🐭⁵  新緑、雨を呼ぶ・・・ 命栄える初夏  入梅の季節  医療費33兆円  医療改革論

2008年05月30日 20時22分51秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 新緑や   海に祈りて  雨を待ち

   中村 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 現像中の印画紙のように、新緑は次第に緑を深めている。

 初夏の山は、雨を求めている。

 ああ、風神よ、雷神よ、藤紫の雨を降らせたまえ。

 

 一雨ごとに、山は緑を深め、せせらぎ、初夏に薫る。

 ふと、蛙が古池に飛び込み、せみの声が岩に染み入る。

 そんな、芭蕉の夏がやってくるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 今夜は雨になると言う。

 九州南部は入梅したという。

 初夏の太陽が、雨雲を膨らませている。

 

 そろそろ枇杷が色づき始め、期待をふくらませている。

 枇杷のみずみずしいおいしさは、メジロの思い出と、初夏

恵みの雨とで生み出されているのだろう。

 満開だった桜は、つややかなさくらんぼうを赤らめている。

 

 6月になると、お盆まで、祝日がない。

 お盆までの一勝負、雨にも負けず、風にもなけないで、仕

事に専念する月である。

 

 

 

 

 

 

 医療費は33兆円にものぼるという。

 医者任せの医療である。

 お手盛りの医療費請求が、莫大な医療費を積み上げる。

 特に、老人医療は、医者の稼ぎ場所になっている。

 

 国家予算が80兆円だというのに、その40%が医療費だと

いうのだから、異常である。

 医療保険の公平分担は必要であろうが、その前に、詳細な

請求書とその妥当性を検証できるようにして、無駄な医療費

稼ぎを抑制する必要がある。

 

 予防医療、健康指導を介護保険や健康保険の対象にして、

医療費を抑制するべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 医者が足りないというのも合点がゆかない。

 必要な医療機関は、公設民営の方式で適正配分するべきで

あろう。

 都市部には、緊急医療専門の病院があるべきである。

 次に、難手術を専門とする病院を設けるべきである。

 

 また、医師の経歴、医療記録も公開する必要がある。

 医療に関する情報があまりにも隠蔽されすぎている。

 医療もまた、学校同様、モラルなき無法地帯となってはい

ないか。

 行政改革と同様のリストラが進められなければならない。

 

              

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 麦秋の雨・・・ ねじれ国会と言う二頭政治を選んだ国民の責任や如何

2008年05月30日 13時59分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  麦秋の わらじを履きて 雨は行き

 
    馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 麦は実りの春、麦畑はもう、黄金色に実っている。

 どうやらもう、初夏の景色であるらしい。

 春過ぎて 夏来るらし 麦の秋

 と詠むべきなのだろうか。

 麦秋の黄金の道を走る風は、麦雨を連れてきそうな雲行きである。

 

 麦秋の畑とは対照的に、

 田には水が張られ、

 田植えが始まっている。

 そろそろ、蛙が鳴き、蛍が舞う季節である。

 

 

 

 

 

二院制の問題点】 

 

 「二院性腸ねん転」ともいうべきねじれ国会の弊害は、「日本国憲

法」という敗戦証明書の有効性を疑わせる政治的病変をもたらして

いる。

 二院制の国会は今、時代錯誤の民主党の党利党略によって翻弄

されているのである。

 いわゆる「ねじれ国会」である。

 

 これは、現行の二院制の欠陥を示しているのである。

 すなわち、政権をもたない野党が参議院の過半数の議席を取った

ときは、法律案を含むほとんどの議案について、参議院多数派である

野党が強力な拒否権を持つことになり、結果、二頭政治の弊害をも

たらすことが証明されたのである。

 

 もともと、先の参議院選挙で民主党を勝たせた国民多数派の選択

は、憲法改正の拒否と行政改革の中断を選択したことを意味した。

 国会の弱体化は、官僚主導の政治を復活させる。

 

 

 

 

 

 

政府は、国民の政治責任を明らかにせよ

 

 実に、おろかな国民である。

 それも、マスコミ主導の選挙であるから、マスコミの責任である。

 行政改革を否定しながら、増税反対とはどういうことだろうか。

 もともと、財政赤字の原因は、高額な公務員給与と、公務員権限で

ある予算の浪費にある。

 

 ばら撒き型利権政治を約束した民主党を支持し、行政改革政権に

は反対するという国民の意向を受けて、消費税18%というやむをえ

ないつじつまを提示したら、ふざけるな、と言うのである。

 

 しかし、さらに、二頭政治の弊害までもたらすことまでは考えていな

かったのではないか。

 

 ミャンマーやチャイナの独裁政治よりはましだとはいえ、日本も地に

落ちたものである。

 

 だから、政府は、国民が選択したことがどういうことかをわかりやす

く説明すべきなのだ。

 その責任は国民にあるのだから。

 それが、民主主義である。

 

                               梅士 Baishi                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 春ボタンのしあわせ・・・ 努力・幸福論

2008年05月28日 20時34分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

              

 

 

   春ぼたん 天の恵みし 緋を開き

 
    馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 色とりどりに、成長著しい春であることよ。

 見事な春ボタンや芍薬であってさえも、埋もれてしまいそうなくらい

に、たくさんの草花が成長の喜びを表現している。

 その生命に恵まれた成長力とその花を、迷わず、恐れず、素直に

花開いている。

 

 迷いも、恐れも、他人と比較した不平不満であり、不幸感覚にほか

ならないであろう。

 

 人間に与えられた創造力を、何ゆえに不幸の拡大生産に振り向け

るのだろうか。

 自分に与えられた唯一の個性を、何ゆえに他人と比較しようとする

のか。

 

 それぞれの幸福をもたらす努力の分野が、個性的に違うだけのこ

とではないのか。

 一歩先の他人は、目標であり、希望であるものを、何ゆえに、それ

がなければいいのにと、嫉妬するのだろうか。

 

 花もまた、さまざまなことを、人に教えてくれるものである。

 

 

 

 

 

努力論

 

 花のように、人もまた、輝きだそうとする神性、仏性を本質として

いるであろうに、一体、何に迷っているのであろうか。

 努力するほかはないのに、その時間に耐えないまま、不足をいっ

ているのだろうか。

 

 その努力こそが楽しくて仕方がないのに、その若さを、その老体を

もてあましている。

 努力こそが生きがいであり、努力こそが幸福であるのに、その努力

をお金で買おうとでも思っているのか。

 

 神性・仏性とは、努力を至福とする成長してやまない魂の由来である。

 

 幸福な家庭は、努力してやまない家庭にある。

 幸福な人生は、努力してやまない生き方の中にある。

 幸福な人間関係とは、ともに努力してやまない仲間である。

 

 ということは、貧しいものこそは、無限の幸福を展望しているものに

他ならない。

 劣っていると見えることは、たくさんの幸福を指し示されている恵ま

れた境遇である。

 

 何をおそれ、迷うことがあるだろうか。

 恵まれた人生を、素直に生きようではないか。

 

 この机上に積まれた本の堆積もまた、幸福の風景であり、有り余る

ほどの希望であることよ。

 

                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 小作の蓮華草・・・ スポーツは神前競技であってこそ品格が生まれる。

2008年05月25日 19時28分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 れんげそう   短き春の   田を借りて


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 群生する春の野草の中でも、れんげそうの紫は清廉で美しい。

 名前も知らない花が咲きあふれる春の野山は魅力的だが、その中で、

名前を知っているれんげそうに出会うと、ほっと、心が和む。

 

 れんげの花とは、まだ、めだかが元気に泳いでいたころからの知り

合いである。

 だから、春に出会うと、ほっとするのだろう。

 

 かつて蓮華草は、田植え前に、土に滋養を与える植物として、春の

んぼに植えられた。

 今は、化学肥料に取って代わられたためか、まばらな風景になっ

ている。

 ラベンダーとは違う、日本らしい、柔らかな紫の風景である。

 

 春風のように、どんどんと吹きすぎてゆく春の花たちであることよ。

 もっと、野草の名前や由来を知りたいとおもう。

 名前を知らない花にも、その美しさには心打たれる。

 しかし、名前を知らないままでは、名前を知らない人のように、親し

くはなれないものである。

 

 

 

 

伝統スポーツの国際化】 

 

 大相撲春場所で、ブルガリアの琴欧州が久しぶりに元気で、モン

ゴルの両横綱を破って、優勝までしてしまった。

 くしくも、ブルガリアヨーグルトにブルーベリーを入れて、一パックぺ

ろりと食べたところだった。

 満面の笑みを浮かべて、ブルガリアに錦を飾ったうれしそうな大関

を見ていると、こちらも、顔がほころんでテレビに見入っていた。

 伝統の国技だが、国際化するのも悪くはないと思う。

 

 しかし、国技といえども、国際化するということは、伝統が基準だと

ばかりはいっていられない。

 外国人力士ばかりではなく、その母国の人々も見ているからである。

 何よりも、外国から力士を招くと言うことは、外国の神を招いての神

前相撲だと言うべきだからである。

 

 だから、その外国の神への敬意を忘れてはならないのである。

 母国の人々が、どんな気持ちで応援しているかということも、思い

やらなければならない。

 日本の神の前で認められ、大関、横綱と言う英雄として、日本の国民

に称えられるのである。

 そのことを、喜んでくれているのだ。

 

 スポーツが勝敗を超えて、文化となるためには、対戦する人の上に、

神がいなければならないと思う。

 そこに、精一杯努力して勝負に臨む意義がある。

 神の下に向上する喜びがある。

 

 

 

 

 神聖な競技と言うことは、海外にもわかることである。

 

 かつて、朝青竜がモンゴルでサッカーをして謹慎にいたった事件でも、

ただ、日本の伝統を押し付けるだけではいけなかった。

 

 

 もっとも、その後の暴力事件を見ると、日本力士の間でも、神前の

国技であるという品格を見失っているように思う。

 単純に暴力ということは妥当ではなかろうが、けいこもまた、神前

で行われるという意識を失っているのではないのか。

 オリンピックにして、しかりである。

 

 現代日本に品格が問われるのは、仏神への畏敬の念を見失って

いるからに他ならない。

 人間中心主義の獣くささが、品格を損なっているのである。

 

 神前に披露する日本の国技相撲の場所には、ぜひ、世界の国王、

元首、要人を招いて、国の伝統を楽しむ国際交流の場としていただき

たいものである。

 それにふさわしく、相撲は、その品格を磨いていただきたい。 

 

                                 梅士 Baishi

 

 

  

 

 

 

 

  プロスポーツの公設民営化による増設・普及政策を!

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/19ba566aa7d68bb3be2ff9a2d63938c5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 週末の花・・・ 大きな政府政策を警戒せよ。  ネット犯罪に重罰法規を。

2008年05月24日 20時22分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 週末の   羽をやすめたり   花の上 
 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 色とりどりの花が咲き乱れる春。

 もうすぐ、あやめや菖蒲が咲きそろう。

 庭にはゆりが大輪の花を咲かす日も近い。

 

 この週末は、雨のようだが・・・

 さあ、週末最後の仕事をして、菖蒲園の花に羽を休めるとしよう。

 

 

 

  

 

 

国民に媚を売る利権政治をするな】 


 人気のない福田内閣のあせりか、民主党路線で国民の利権に訴

えようと悪あがきをしているようにも見える。

 消費者庁を設置すると言う。

 省庁を減らそうと言うのが行政改革であるのに、官僚の巣箱をまた

一つ増やそうと言うのか。

 

 今、一番力を入れるべきは、行政リストラである。

 無駄な出費をしてきたのだから、大学に対する補助金も含めて打

ち切ってゆかなければならない。

 毅然として行政改革を断行するという姿勢こそ、福田内閣最後の勝

負でなければならない。

 

 消費者庁の発想は、福祉である。

 大きな政府の発想に他ならない。

 小さな政府の発想は、新分野の開発やネット環境の健全化に向け

た規制などにこそ向けられるべきことである。

 自衛隊についても、隊員を増やすのではなく、ロボット化をすすめ

る研究にこそ投資すべきであるのだ。

 もっと、未来の見える政策を打ち出してほしい。

 

 

 

 

 

ネット犯罪に重罰を

 

 人を自殺にまで追い込むほどのネット犯罪。

 表現の自由の問題ではない。

 表現責任の問題である。

 表現は国家運営の力になるが、凶器にもなる。

  

 人間関係の人生にもっとも大切なのは信用である。

 この信用を、讒言によって、誹謗中傷によって侵害する罪は、従来

の「名誉毀損」の概念では捉えられない犯罪である。

 過去、讒言によって命を失った武将がどれほどいたか。

 

 

 

 

 

 ネット犯罪規正法を新設し、誹謗中傷罪等、死刑を含む重罪として

規制すべきである。

 ネット世界に法治主義の網をかぶせなければならない。

 表現責任の重さを思い知らせなければならない。

 幸い、ネット犯罪には証拠となるデータがある。

 誰が発したものかが突き止められさえすればよい。

 

 だから、ネット利用者登録制度を強制すべきなのである。

 韓国政府のように。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 老兵の湯 小浜温泉・・・ 利権国家となるな、理想国家をこそめざせ

2008年05月23日 19時10分06秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 

 シベリアの    老兵   春の湯に沈み


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 五月連休は、老いた両親と小浜温泉に行ったのだったが、

余韻を残すところにも、旅の楽しみがある。

 雲仙小浜温泉は、魚がおいしくて、橘湾に沈む夕陽が美しい海

岸温泉である。

 

 老いたるシベリア抑留兵は、満身創痍の老体を、しばし、温泉に

休めた。

 シベリアにも、雪解けの春というのはあるのだろうか。

 

 膝は痛み、歩くことも座ることもままならなくなった。

 直腸がんで人工肛門になって久しい。

 戦争、シベリア抑留、採炭夫・・・ 

 生涯が、死と隣り合わせであった。

 

 その老兵の人生は、太平洋戦争の戦前・戦中・戦後成長期と平

成デフレの激動の日本を刻んできたのだ。

 父母の世代は、国の命運を担って戦ってきた世代であった。

 権利の世代ではなく、責任の世代であった。

 

 

 

 

 

 

 

 すべての権利を、責任と読み替えよ!

 堕落した現代日本人の取るべき行動が見えるはずである。

 

 

養育と感謝の国家責任制度を

 

 子供も、大人も、高齢者への感謝といたわりの礼儀を知らなけ

ればならない。

 

 福祉という用語は左翼の権利意識がぷんぷんとして好かない

が、敬老の精神と、教育の精神は、国家の根本精神でなければ

ならないと思う。

 

 老兵が安心して人生の総決算ができるように、思いやり、いた

わり、努力し、工夫するべきである。

 彼らは、天国に還る責任がある。

 

 子供たちが、国のおかげで大学までゆけるように、奨学生制度

を充実すべきである。

 彼らは、学ぶ責任と国家の未来を担う責任がある。

 そのような大学制度に変革すべきでもある。

 

 この日本の使命を探究し、深く自覚しなければならないのである。

 利権国家日本であってはならない。

 めざすは、理想国家日本である。

 

                            梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ もみじ若葉・・・ 競争の哲学

2008年05月21日 07時58分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 空の下   もみじ若葉が   手をあげて


       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 小学校一年生がパステルカラーのランドセルを背負って初々しく

登校している。

 今頃は、学校にも慣れて、「ハイ」「ハイ」「ハ~イ」と、手を上げて先

生を奪い合っているのではないか。

 

 新緑の山にも、もみじ若葉が青空に手を上げて、新鮮で美しい。

 すがすがしく、屈託なく生きたいものである。

 

 この世は競争社会であるが、競争のメリットは、発展することを楽し

むことができるところにある。

 競争を通して頑張れるところにある。

 自分の得意を探すことができる。

 友達をつくることができる。

 人生の師にめぐり会うこともできる。

 

 競争を、他人に勝つことという基準で見ることは、不幸なことである。

 勝敗は楽しみである。

 楽しみながら、自分を成長させることが、競争の意義である。

 そういうことを、小学校の体育でも教えてもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

競争の哲学

 人間、いかに生きるべきかという人生哲学を解く鍵は、

 『人間は、一人では生きていない』と言うところにある。

 『他人あっての自分である』

 『だから、他人のために生きなければならない』

 

 では、競争とは、他人のために生きる人生に矛盾するのか。

 

 たしかに、競争は、勝敗を決するルールの下にゲームの相手との

優劣を決する。

 競争優位に立つことはうれしい。名誉である。

 なぜ、うれしいのか。

 よりすぐれた実力が認められるからである。

 ところが、競争相手に対する優位が人生の価値基準になると、

その末路はどうなるのか。

 スポーツ選手の末路は不幸ということにもなるだろう。

 引退後の選手の人生に幸福はあるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生は一回限りの単純な勝敗では終わらない。

 優位であろうとすることは、排他的である。

 排他的な人生に、他人との幸福な関係は生まれない。

 

 競争の楽しみは優越するところにもあるかもしれないが、そのとき

だけのお楽しみ、いわば、方便である。

 競争の真の目的は、努力して向上するところにこそある。

 自分の弱さとの競争にこそある。

 その努力に、人々は感動し、賞賛を惜しまない。

 その努力は、自分のさまざまな弱さを種目として、一生続くのである。

 その成果が人々の喜びとなるとき、人生の喜びとして徳を積み上げ

てゆくことになる。

 

 

 

 

 

 競争とは何かを教えること、これが道徳であり、哲学ともなるであろう。

 

 競争を否定する左翼的教育を駆逐しなければならない。

 競争の否定は堕落だからである。

 もちろん、弱肉強食の競争は戒めなければならない。

 排他的、支配的であることは、人間関係の人生の不幸だからである。

 

 競争とは、 切磋琢磨でなければならない。

 競争とは、自分の弱さとの戦いだからである。

 ライバルは、一歩先の目標を提供してくれる師である。

 

 競争は、楽しみであり、感動である。

 競争は、無限の向上心であり、無限への挑戦である。

 企業の競争もまた、企業関係の哲学をもって、感動を生むビジネス

を展開してほしいものである。

 そこに、これからの経営学の研究課題もあるのではないか。

 

                              梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ハマヒルガオ・・・ 一国二制度の日本

2008年05月20日 22時06分51秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 さくら貝   ハマヒルガオの   浜に寄せ


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 足元をスッとツバメが切り抜けた。

 ジェット機か、いや、スーパーバードだ!

 スーパーマンのオープニングだったが、ツバメもそのようである。

 

 50m泳ぐのに、30秒台で練習していたのに、50秒を切れな

くなった。

 ああ、運動不足、筋肉が落ちてしまった。

 一ヶ月に一回程度では、それもやむをえない。

 マンボウのように、のんびり泳ぐとしよう。

 

 くたびれて、砂浜に出た。

 桜色のハマヒルガオが群れ咲いている。

 海岸沿いの道を歩くのが楽しい季節である。

 松林では、ハルゼミがジージーと鳴いている。

 これから少しづつ、太陽が暑くなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

新しい税制

 

 税金は、総じて収入の10%が基準とならなければならない。

 一律に10%である。

 この範囲で、やりくりするのである。

 

 そうすると、原則、人件費は、税金から支給するべきではない。

 公務員は、サービス業として、製造業として、生産して所得を

生み出さなければならない。

 公共サービスの有料化、企業化によって、市場原理に基づ

いて給料を稼いでもらうほうが、税徴収されるよりも国民は納

得できる。

 

 「二酸化炭素排出負担金」を新設してはどうか。

 これは、税金ではない。

 環境責任である。

 

 税金というのは、国民の地位に基づく強制徴収金である。

 市場原理の例外である。

 例外は最小限度でなければならない。

 その限度は所得の10%である。

 

 一国二制度のチャイナを批判してみても、日本もまた、官僚

社会主義と民間市場主義の一国二制度なのである。

 公僕である公務員給与が、国際的に見ても高給すぎるので

ある。

 半額にするべきである。

 しからざれば、半分以下に人員削減することである。

 この矛盾を克服しなければ、近代国家とはいえないであろう。

 

 税率10%を超える国家は、自由主義国家ではない。

 社会主義国家と自由主義国家を分ける分水嶺と心得たい。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 春の苑・・・ 「潔く生きる」 「燃え尽きるまでやる」幸福人生

2008年05月18日 19時08分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  人もまた   穏やかに咲き   春の苑 


   馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 

 花一輪も美しいが、群れ咲く色とりどりの花々はさらに美しい。

 人もまた、本来、そのようなものなのではないのか。

 

 隣の花に嫉妬する花もあるまい。

 足の引っ張り合いをして咲く花もあるまい。

 むしろ、一斉に花咲かせようと心を通わせているようである。

 春の喜びを表現するのが、花の喜びでもあるように。

 

 人の心が美しいからこそ、花の美しさに共鳴するのである。

 美を楽しむことは、魂の美しさを磨くことになるだろう。

 幸福という感覚もまた、至福の美しさを持っている。

 

 人はもともと、幸福を知っている。

 だからこそ、幸福を求めるのである。

 花を楽しむように、他人の幸福を見て心楽しみたいものだ。

 そうすることで、心が洗われるのである。

 また、がんばろうと思えるのだ。

 

 他人の幸福とは、努力している人の輝きである。

 努力が報われた人の喜びである。

  

 

 

 

 あの世は調和された世界なのだという。

 なにしろ、飢えて死ぬこともない。

 生活に困るという不安がない。

 本来の心のままに、穏やかに、調和して生活することができる。

 

 ところが、この世には、資産や収入がなければ穏やかに生活する

ことができないという不安が付きまとう。

 さらには、他人と比較して劣等だと評価される不安もあるだろう。

 そうした不安が、この世の不幸感覚である。

 

 

 

 

 しかし、考えても見よ。

 優越感のために、あの世から出てきたのか。

 食べるために、試練のこの世に出てきたのか。

 

 この世の試練の中にあって、魂の美徳を発揮しようとして出てきた

のではないのか。

 試練に耐えるほんものの幸福をみがきあげようとして、出てきたの

ではないのか。

 

 この世に出てきた課題に対して、精一杯に努力して倒れるなら、

それは本望なのではないか。

 そう考えれば、この世の不安は、案ずるほどのことではない。

 

 「潔く生きる」という心意気があれば、

 「燃え尽きるまでやる」というアスリートの気概があるならば、

 何を恐れることがあるだろうか。

 

 

 

 

 試練とは、意のままにならないことである。

 どうすれば克服できるか、それこそが問題である。

 

 人の心も行動もまた、意のままにはならない試練である。

 この試練に対して、強制や裁き心で会してはならない。

 強制も裁き心も、あの世の生活にはなかったことである。

 

 心を合わせ、力を合わせて協力して仕事を行うこと、

 これが、この世の最大の課題であろう。

 裁き心や恨み心に陥らないことが、最大の試練である。

 

 

 結局、人は魂を鍛え、心を磨くためにこの世に来ている。

 試練の中にあって、素直な学習者であり、忍耐強い教育者であり、

敬虔な信仰者でありたいものである。

 

                               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花盛り・・・ チャイナ研究の時 孔健著『ネクスト・エンペラー』

2008年05月17日 20時31分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 梅のころ 遠見し春の 花盛り


   梅士 Baishi

 

 

 

 

 冬こもり 春さり来れば

 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ

 咲かざりし 花も咲けれど

 山を茂み 入りても取らず 

 草深み 取りても見ず・・・

                      額田王

 

 

 

 草の深みに恐れながらも、一歩踏み込んで、

 その不思議な花を覗き込んでしまう。

 

 心にも留まらないその草が、不思議な造形と神秘の色づかいの春

の粋を花咲かせているのである。

 

 春に歌えば、あの世の秋よりも、この世の春がすばらしい。

 今こそ、青山の春の只中にある。

 

 

 

  ツルニチニチソウ・・・ http://www.geocities.jp/mc7045/sub50.htm

 

 

 

田川の祭り

 さて、今日明日は、田川の伝統の神幸祭があるという。

 泊り込んで楽しみたいものだ。

 神とともに、歴史が刻まれてきたのである。

 

 

 5月17(土)~18(日) 「風治八幡宮 川渡り神幸祭」

http://kawawatari.com/

 

 

 

   コバンソウ・・・ http://www.geocities.jp/mc7045/sub207.htm

 

 

 

チャイナ研究のとき


 国というのは、一人の人間のように考えてはならないようである。

 敵国チャイナという観念は、割り切ってしまってはかえって対処を

間違えてしまう。

 反省しなければならないことが多い。

 

 『ネクスト エンペラー 中国・新三国志』 孔健著 幸福の科学出

版(1500円)は、これまでにない必読の書だと思う。

 

 しかる後に、

 『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケルダナム著

 『日本が中国になる日』 DRC中国研究会

という、問題提起を理解したいと思う。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 母の日レストラン・・・ 家庭崩壊の大事

2008年05月14日 07時45分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 母の日に 子宝連れし 母娘かな


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 小学生のころ、母の日のために、赤いカーネーションを学校から

配られたことがあった。 

 白いカーネーションは、亡き母に贈るものである。

  赤いカーネーションでよかったと思った記憶がある。 

 

 それにしても、母子家庭がずいぶんと増えた。

 家庭を営むのも、権利であって、責任ではなくなったので

あろう。 

 結婚というのがずいぶんと軽くなったことだ。 

 

 フランス料理の席に母娘連れの姿があった。

 そういえば、母の日かと合点した。

 

 娘が母をいたわっているのだろうと思った。

 ところが、自分よりも背丈の伸びた娘を、お姫様を扱うかの

ように、その母が、娘の身なりを整えていた。

 娘は何もしようとはしなかった。

 

 それも母の楽しみなのではあろうが、娘はどのように育つ

のだろうか。

 それほど、若くはない娘のようだったけれども・・・

 

 

 

 

 

 

 ミャンマーのサイクロン、チャイナ国四川省の大地震で、

数万人の犠牲者が出ている。

 しかし、現代日本の家庭の崩壊はさらに深刻である。

 家庭崩壊の禍は、末代までたたって、国家崩壊へと連鎖す

るからである。 

 

 女のありようを、再教育しなければならないのではないか。

                           梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 箱崎宮のこいのぼり・・・ 日本は毅然とできる大国である

2008年05月13日 07時07分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 こいのぼり くじらのごとく 雲を吹き

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  江沢民の無礼きわまる訪日はいつのことであったか。

  その無礼者を、チャイナ元首として、この箱崎宮の庭に引っ張り

出したかったことである。

 箱崎宮には『敵国降伏』の額が掲げられ、母の日に、勇壮に鯉

のぼりがあがっていた。

 

 それにしても、今回、十年ぶりというチャイナ元首の訪日は、断っ

てもよかったと思う。

 日本に何の国益ももたらさない訪日である。

 パンダを貸与するとNHKが喜んで報道したが、何のことはない、

レンタル料は一億円を超える。

 パンダレンタル料一億円の貢物を差し出そうというのか。

 

 田中真紀子が、朝貢の使者でもあるかのように、

 チベットをジェノサイド(大量虐殺)し続けるチャイナの元首に花束を

渡した。

 次は台湾、そして、日本が侵略されることが宣言されているといのに。

 現にそうした構想が公にされており、核ミサイルも日本に向けて数十

機が実践装備され、照準を合わせられているというのに。

 

 だから、協力せよとでも言うのか。  

 どの面下げて訪日できるのか。

 核ミサイルを突きつけられたまま、握手をする福田総理の神経も

また理解しがたいところである。

 もちろん、民主党なら、もっと熱烈歓迎したであろうけれども。

 

 日本よ、毅然とせよ。

 国際的正義の筋を通せ。

 北京政府のご機嫌を損ねたからといって、びくともするものではない。

 日本は、大国なのである。

 

 大国にふさわしい政府をつくろうではないか。

 ねじれ国会のまま漂流することは、大国であるがゆえに危険である。

 政党再編成以外にはないではないか。

 

 新憲法を制定し、

 敵国チャイナににらみを利かし、

 公務員社会主義を解体し、

 正々堂々と、世界のリーダー国日本の役割を果たそうとする政党を

成してもらいたい。

 

 仏国土日本、理想国家日本として、世界から尊敬される見識と貢献

する日本でなければならない。

 総理は、それを世界に向けて発信できる人物でなければならないの

ある。

 

                               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ アザミ野の春・・・ 信仰とは何か。 信仰なき人、国家の危険。

2008年05月11日 21時41分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  
 
若草を   凛と張りたる   あざみかな


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 野山は、若草にほう、

  しなやかな季節になった。

 それぞれの草が、

 小さな個性の花を咲かせている。

 ひと時の無数の花たちを、

 小さな虫たちが一期一会に飛び回っている。

 神の作られた大調和の風景である。

 

 

 

 

 生命とは調和であり、

 存在もまた調和である。 

 しかし、神は同時に発展を望まれた。

 発展とは新たな生命を生み出し、

 新たな存在を生み出すことである。

 

 その新たなる生命、存在もまた

 調和でなければならない。

 したがって、発展とは、

 新たなる調和を生み出すことであるといえる。 

 そうであるためには、

 創造は、人々の願いであり、

 神の喜びでなければならない。

 

 人々の願いとは、支持者の願いにとどまってはならない。

 人類の願いにかなうことでなければならない。

 人類の願いとは、神はそれを喜ばれるだろうかというテストである。

 そのために、宗教があり、信仰が尊ばれるのである。

 

 果たしてそのように、政府は考え、政治家は志し、企業は努力

しているだろうか。 

 そのことを、新生する春に、おおいに反省し、望まれる発展に取

り組まなければならないことである。

 

 信仰なき人間は、信頼に値しない。

 信仰なきリーダーは、信用できない。

 信仰を尊ばない政府は、信用できない。

 信仰なき国家は、危険な国である。

 信仰なき企業もまた、信用できない企業なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 学校がたくさんあるように、宗教も神の数に応じて多様であって

よい。

 神とは、まずは、人類の教育者というべき偉大な魂である。

 人である。

 その意味で、神は八百万である。

 ただ、神にもランキングがあり、さらに、根源なる存在もあると

いうことである。

 その根源なる知恵を汲んで、人々にもたらす多くの神々がある

ということである。 

 すなわち、学校も、宗教も、普遍的真理を探究し、教育するために

あるのである。

 ゆえに、宗教には正しさが求められる。 

 しかし、正しさとは、われのみ正しいということではない。

 排他的であってはならない。

 そもそも、幸福とは、他人を幸福にすることによってもたらされる

ものだからである。 

 だから、宗教相互があい争うということはありえないことである。

 イスラム教徒も、そのことを知らなければならない。

 ユダヤ教徒は大いに反省し、恥じ入らなければならない。

 キリスト教徒も、選民思想を恐れなければならない。

 それは、邪教的思想である。

 

 間違った偽宗教はこの日本において、はびこっている。

 われのみ正しいという教義は間違っている。

 手段を選ばないという教義も間違っている。

 粛清せよという教義も間違っている。

 先祖を供養しないから不幸なのだという教義も間違っている。 

 自分の不幸を、他人や先祖や、他の宗教・民族のせいにするこ

とは、恥ずべきことである。

 

 神は良識の原点にある。

 信仰を得るためには、努力によって良識を磨き、謙虚かつ素直

であることだ。

 神の叡智にくらべれば、人の知恵は、太陽と人の差以上の物で

あろう。

 そこに、信仰の謙虚と神秘がある。

 

 『王といえども、主権国民といえども、民主主義と

いえども、神と法の下にあり』。

 

 

 信仰なき国家とは、恥ずべき国家であり、大調和を理解しない

危険な国家であり、文明なき国家である。 

 見よ、混乱する危険国家、チャイナを。

 見よ、迷走するビジョンなき国家、日本を。

                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ れんげの花・・・ ミャンマーに天災サイクロン。責任民主主義の教育責任

2008年05月09日 09時07分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 蓮華草 小さき仏を 乗せて咲き


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 

 げんげの群生は、遠景の明るい紫野にも感動するが、近くに見

ても、仏の後光に輝いているかのように美しい。

 その花に、千仏のごとく座して瞑想したいものである。

 

 

 


 



 れんげ花 千紫に光る その花の

 仏を慕う 袈裟衣かな
   

    馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 

 いづれ、この花畑を越えて、あの世に旅立つことになる。

 見送る身を思うと哀しいが、

 自分が旅立つことは喜びである。

 

 その楽しみに悔いを残さないように、

 残り少ないレコードの溝に

 針を振るわせるとしよう。

 

 

 

 

 

 


 送る身の 悲しき定め
 花の野に


 旅立つときの
 楽しさもあり



 
  馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 

 

 

責任民主主義

 

 ミャンマーで、サイクロンが発生、数万人の犠牲者がでたという。

 軍事政権の悪想念が招いた天災でもあるかのようである。

 しかし、その災いは、国民を襲った。

 国民は犠牲者である前に、国家のあり方に対する責任者であ

ることよ。

 それが、民主主義である。

 

 日本の建前とする国民主権主義、民主主義もまたそうではないか。

 国民が国政に対して責任を負っているのである。

 それなのに、利権で政治を選ぼうとする。

 民主党は、利権で国民を動かそうとする。

 それが、利権政治というのだ。

 

 利権政治の批判は、国民に向けられるべきことである。

 

 義務教育は、国民教育でなければならない。

 責任民主主義の前提として、国政問題を理解できるほどの教養

を学ばせなければならない。

 健康に文化的に、主権国民の責任を果たせるように、心身を鍛

えなければならない。

 それが、国家の教育責任である。

 

 にもかかわらず、まともな憲法教育、刑法教育、民法教育、倫理

道徳教育ができる体勢にない。

 自己中心に育てられているのだ。

 いじめを前提に、無法の学校社会に順応しようとしているのだ。

 

 教育の建て直し、

 これが、日本の最優先の課題である。

 

                               梅士 Baishi

 

 

 

 れんげ草

⇒ http://www9.plala.or.jp/mosimosi/flower/y/rengeso.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 希望の山・・・ 仕事の選び方(利権就職の不道徳)

2008年05月09日 07時54分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 新緑の 希望の山を ふくらませ


   馬糞 Bafun

 

 

 

   

 

 

 

 希望とはかくのごとくか、新緑の山は希望の山のように明るく、

活力にみなぎって生長している。

 青年たちもまた、そのようであってほしいものだ。

 

 植物たちは言い訳をしない。

 ただ、生長しようと努力する。

 選択することができないことが、彼らをたくましく、潔くしている。

 努力の前に選択肢が多すぎるということは、困難なことである。

 

 選択の基準は、そのチャレンジにファイトがわいてくるか、失敗

しても悔いがないと思えるほどのファイトができるかということで

はないか。

 仕事の選択もまた、やりがいこそが選択の基準なのだ。

 仕事の本質は人助けであり、貧困の救済であり、世の中を明る

くすることである。

 自分のファイトを人助けとして、貧困の救済として、世の中を新

しく明るくする挑戦として実感できる仕事であれば、それが適職で

ある。

 

 だから、経営者たちよ、求人には仕事のやりがいについて、

誠実に語るべきである。

 

 政治と同様、仕事もまた、利権で選択してはならないのだと思う。

 

                              梅士 Baishi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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