白梅を も少しですねと あいさつし
梅士 Baishi
今朝はうす曇り、穏やかな一日になりそうだ。
中国大陸にかかっている雲は中華スモッグだろうか。
チャイナがもっと穏やかな国になってくれればよいが、不穏である。
そのチャイナにラブコールを送り続けているテレビ東京の御用アナ
リストには辟易とする。
西日本新聞は、尖閣の領土問題や竹島の領土問題で、中国や韓
国の素晴らしい人たちとの仲が遠のいていい迷惑だと書きたててい
る。
政治と経済は別物だ、国と国民は別問題だと。
別物なら、日本国民をやめろよ。
つまり、非国民なんでしょうから。
【 日本人の宗教観は八百万の神々 】
国際社会は、宗教的個性をもった国や国民との異文化交流である。
その中にあって、「無宗教です」というのでは軽蔑される。
無宗教で結婚式をし、葬式をし、初詣もしないというなら軽蔑される
べき「無宗教」と言わざるを得ないが、希薄ながらも節目節目に日本
伝来の宗教文化を自然に取り得れているなら、「日本人ですから、日
本神道と仏教です」というのが日本人らしい宗教だろう。
その点、自分は明確である。
かつては、信仰告白をしたキリスト教徒であり、今は幸福の科学の
正会員である。
もっとも、組織からは何のおさそいも、お知らせも案内もない。
そうした信仰告白ほどの信仰がなくても、日本人は、自然に神社神
道と仏教に親しんでいるのである。
結婚式をキリスト教式でやった人は、そういえばよい。
希薄でははあっても、無宗教ではないのだから。
キリスト教といっても、その信仰には疑問を感じる。
母親もクリスチャンだが、いろんな人の名前を挙げて、どうか御救
いくださいと神頼みに祈る。
神社で祈るのと大差はないであろう。
神社では、「罪深い私ですが」というくだりがない分、深刻ではない
が、礼節では負けてはいないであろう。
幸福の科学では、祈願というものもあり、奇跡も起きているようであ
るが、信仰としては、神への責任のほうが信仰の中核というべきでは
ないか。
読むべき本も多く、多くの学びがあり、人類を背負って立つかのよ
うな責任を感じて無力な自分を叱咤激励するような信仰である。
ともあれ、日本人の宗教観は、キリスト教徒やイスラム教徒でもな
い限り、排他的な一神教ではなく、神々に心を開いている。
これが世界にも稀なる調和的な宗教観というべきであろう。
幸福の科学も神々の序列はあるとしても、排他的ではない。
つまりは、そうした寛大で礼節をわきまえた日本人の宗教観は世界
に誇るべきものだと思う。
無宗教なのは、日教組の公務員教職員と公務員労組、唯脳論的
な医者やマスコミ人間を中心とした少数派である。
無宗教は国際社会の恥であるということを忘れてはなるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党