夏立ちぬ 空と海とを 風に干し
馬糞 Bafun
とんびを見たのは久しぶりのことであった。
芦屋の磯に沢山のとんびが舞っているのを見て、感動
した。
ああ、とんびが生きていてよかった。
人もまた、心の空に翼を広げて悠々と飛ぶことができ
る。
欲張りだから、失望する。
欲張りだから自信をなくす。
身一つで空を舞う鳶のように、壁さえも捨てて、身軽
になればよいのだ。
壁の向こうには、心配そうに壁をみつめている面壁の
人がいることくらいは気付いてほしいものだ。
(五月病)
春だというのに、五月病というのか、引きこもる子供、
引きこもる大人が増えているという。
壁を立てて引きこもっても、その心の宇宙はさらに無
限であるのに。
空海のように、一人小さな洞窟に座して、眼前に広が
る無限の空と海を突き抜けてゆく、壮大な心の宇宙を見
つけてほしいものだ。
あの小さな鳥さえも、身一つで無限の空を舞っている
ではないか。
(瞑想)
大銀河を座布に敷いて瞑想するに、「宇宙の果」とは、
形に囚われる間の認識力の壁である。
三次元宇宙の人間の意識が、形にとらわれているだけ
のことである。
形とは、いうなれば壁によってできている。
大宇宙への旅を夢見る一方で、我と宇宙を隔てる壁に
安堵しているにすぎない。
冒険なくして発展はない。
存在の本質が意識であるならば、意識の在りようが宇
宙の果てともいえる。
目に見える形としての壁はありえない。
壁の向こうを思った途端に意識はその壁を越えてゆく
からだ。
宇宙を有らしめている根源の意識存在とは何か。
ああ、そんなこと想像だにできない。
それもまた、壁の理論と同様、追いかけられない思考
の自己矛盾に陥るのである。
灯台下暗し、根源の意識を知りたければ、己の心に問
え。
それが最も真実に迫るヒントではないだろうか。
それにしても、八方塞がりの壁を作っている子供や大
人の多いことよ。
光も差さないほどに壁を四角く立てて、それでも、自
分が分からないで苦しんでいる。
形に囚われた者である。
その形が自分であるなら、牢獄を作ったのも、牢獄に
己をつないでいるのもまた、自分であるのだ。
(ビタミン愛の欠乏)
囚人となって形にとらわれているその心には、おそら
く愛が見失われている。
愛という光をほしくてたまらないが、思うように得ら
れないので、得られない理由を自分で作ったのが、自閉
の壁であろうと思うのだ。
愛とはほしがるものではなく、与えるものである。
光は放たれるべきものである。
存在の本質は、創造してやまないエネルギーに他なら
ないからである。
考えてもみよ。
エネルギーを消費するエネルギーは考えられないでは
ないか。
考えられるとすれば、奪おうとして狂喜する地獄の意
識であろう。
地獄とは、存在の自己矛盾として一時的に現れている
嵐のようなものであろう。
四方に立てているその壁は、楽しくない幻想、わがま
まで、自己中心の壁ではないか。
雨戸を開けて、清々しい光を心に入れよ。
清々しい、春風を心に入れよ。
自分のことが知りたければ、与えるべきものを創造す
ることにチャレンジすることだ。
志と学び、そのために人生がある。
Bafun
【参考文献】
『希望の法』 ⇒
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876885419/503-8452397-2773514
http://www.robraille.com/sub2/222m.html
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031643331&Action_id=121&Sza_id=B0
『幸福へのヒント』 ⇒
http://www.robraille.com/sub2/184m.html
http://www.irhpress.co.jp/book_H0202.shtml
http://www.bk1.co.jp/product/2366789