地蔵らも 花の仏に あいまみえ
馬糞 Bafun
日本の春は美しい。
博多は一気に春になった。
あわただしい通勤途中に自転車を止めて、しばしの花見
を楽しんだ。
地蔵の念仏も、心地よさげである。
花見の楽しみは俳諧の楽しみでもある。
創作の意欲が、物事への関心を高める。
遊び心とは、創造と表現の意欲である。
その遊び心の一つが俳諧である。
馬糞のように、道端の風に吹かれて、花のこやしをたれよ
うではないか。
健康に、ボトッと馬糞俳句をたれよう。
青年よ、日本の国は美しい。
花鳥風月という風流を愛するやまとの心がある。
四季があり、自然を愛する伝統があり、仏や神を敬愛し習
い従う文明がある。
今日は、日本女性の美しさについて考えてみたい。
かつて、日本の女性はかわいらしく神秘だった。
神秘なやさしさをもって、奥深い家事と育児の技をみがき、
夫と家族のためによく働いた。
男は妻と子供と老いた両親のために汗水を流し、命を懸け
て来た。
それが、日本の伝統である。
ところが、現代では、男らしさ、女らしさは憲法の平等原
則に反する偏見だという輩がはびこっている。
愚かなことである。
国を地獄化する悪魔の思想と言ってよい。
女は、美の文明を天命として授かり、魂に刻印している。
美の本質は神秘なやさしさにある。
木漏れ日のように、隠されることによって表現される。
娘たちよ、男と等しくなりたいというエゴイストにはなる
な。
娘たちよ、露出狂のような下品な売春婦に成り下がるな。
化粧さえもそれと知れてはならない。
それが、美の表現のおきてである。
性欲は控えなければ醜悪である。
控えてこそ、花の美しさを表現するものである。
美とは、哲学をもった文明であり、神秘な表現文化である
のだ。
色情狂のようなマスコミの悪魔どもに踊らされてはならな
い。
だから、知性を磨き、教養を身につけよう。
女の美しさは知性と教養によって気品を磨くものである。
気品と言う美しさは老いてもなお失われることがない。
娘たちよ、やまとの国の女神として、教養の香りをもった
かわいい四季の花を咲かせよう。
Bafun
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