富有柿や 天下をとった うまさかな
梅士 Baishi
今朝は11℃、暖かい日が続いていただけに風が冷たい。
といっても、半そでシャツでジョギング通勤している。
寒くなりましたねえと挨拶されても、汗がぽたぽたと噴き
出している。
いや、暑そうですねえと挨拶が変わるのも面白い。
今日は久々に学生を連れて刑事事件の傍聴に出かけた。
すると、入り口で搭乗手続き同様のテロリスト検査をく
ぐらされた。
今年からそうなったのだそうである。
くそ野郎にチェックされるのは不愉快だった。
もっと美人のお姉ちゃんを揃えておくべきである。
それが心遣いというものだ。
事件は窃盗の新件(初公判)だった。
どんなコソ泥かと思ったら、27,8歳の大卒の窃盗犯
だった。
しかも、なんとかヘルス嬢と遊んだ挙句、その金を盗ん
で逃げるという窃盗を繰り返していたらしい。
なさけない姿を大勢の傍聴人が見物に来ていたからみっ
ともないことこの上ない姿であった。
次の法廷は、生活保護受給者の常習窃盗事件の証拠調べ
だった。
時代劇の盗賊の貫録とは大違いである。
学生たちの衝撃はかなりのインパクトだったようだ。
車のこない信号にもピタッと赤で止まったままだった。
被告人たちもよい反面教師にはなったようである。
日本は公務員社会主義の様相を一層強めている。
それが、マイナンバー制であり、効率を上げて減税とか
公務員削減をするという話はない。
さらには増税体制であり、政府が民間給与にまで口を出
す、市場ならぬ指令経済主義である。
国際政治はさらに紛糾している。
パリやマリを襲うテロリズムと、フランスを中心とする
報復空爆、トルコとロシアの分かりにくい小競り合い。
埒のあかない日本の弱腰外交と図に乗るナンチャイナの
軍事的恫喝外交・・・。
政治とは何なのか。
一、 政治とは何か
国家社会のマネジメント思想および権力形成活動と統治
活動を「政治」という。
その目的は、社会という大きな組織を形成すること、秩
序ある豊かな社会を形成し、継続発展させることにある。
二、 政治の価値観
正義という観念が用いられるが、何が正義かは一義的に
明確ではない。
一般論としては、神意に叶うことが正義というべきであ
ろう。
しかし、社会の変動する状況の中で一義的な正義がある
のではない。
社会の発展を目的とするとしても、発展段階に応じた目
標があり、それが、普遍的価値を持たないとしても、正義
に反するわけではない。
たとえば、戦争は多くの場合民族神同士の戦いという性
格を持つ。
戦後日本の政治も苦渋の選択の連続であったともいえる。
国家防衛あってこその独立国家だとしても、敗戦直後の
日本のように、経済復興が優先するべく、アメリカの属国
的地位に甘んじてきた。
しかし、今は状況が違う。
原則に戻って、日本の毅然とした独立国家としての防衛
体制が求められている。
結局は、神がそれを許すかということが問われなければ
ならない。
人間知に正義と言う観念はふさわしくないと言うべきだ
からである。
三、 政治の手法
統治権力が国民の支持を受けていないときは、国民にと
って政治権力は敵対的支配力となる。
この、国民の広い意味での支持なしには、政治は混乱を
招くばかりである。
国民の支持・了解を得る方法は、たとえば選挙という制
度的な方法もあるが、それも絶対的ではない。
政治には、大義名分がなければ、国民はこれを許さなく
なる。
民主主義という制度が政治手法として正当であるとは限
らない。
その結果が神の正義に反するのであれば、方法もまた誤
っているのである。
神の正義を表す方法が政治の正統性であると考えるなら
ば、必ずしも投票箱は適切な方法ではない。
むしろ、祭政一致の手法で神意を降ろす政治が正統だと
もいえる。
その上で、国民の選択の余地を残すべきであろう。
最終決定を人が下すとしても、神意を忖度することなく
しては政治の正統性は得られないと言うべきではないのか。
政治の正義とは、神にある。
この、歴史的神意の研究が政治学には求められているよ
うに思う。
安倍政権も、その神意の所在は分かっているはずだ。
問題は信仰心なのであろう。
民主主義と言えども、人を頂点とする政治支配制度とし
てはなるまい。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党