鶯の 囀りおれば 花も良く
鳴くほど散りぬ 山桜かな
梅士 Baishi
今朝の気温は13℃、春解けの曇り空である。
早朝から、鶯がホケキョと鳴いている。
桜はいよいよ満開に近づいてきた。
ホーホケキョと 鳴くほど散りぬ 山桜かな
さて、今日はいよいよどん尻の年度末である。
のんびりもしていられない。
しかし、三月晦日の桜を見に行こうか・・・。
最近、Googlの無料ビデオで映画を見る機会が増え
た。
二時間前後も時間をかけるのが辛いところだが、意
外とたくさんの映画が制作されていることに驚く。
かといって、見たい映画はそれほど多くはない。
なるほど、映像作品作りは空想的自由をリアルにす
る創作の面白さがあるのだろう。
しかし、いろんな天国地獄がある中で、その感動の
正体は命がけというところにあるのかもしれない。
それを探すのも映画鑑賞の楽しみ方かもしれない。
それにしても、英語を聞き取れないというのは辛い。
名作で英語を勉強したい。
因みに、極秘宇宙人管理局の『MIB』は面白い。
邦画では、『高速参勤交代』が面白かった。
『ファイナルジャッジメント』は主題歌も含めて、現実
的な警告としても、印象深い名作である。
アニメ映画『UFO学園』はDVDを購入したが、まだ観
ていない。
春三月が終わった。
明日から四月である。
今日は、2015年度大晦日であり、明日は2016年
度の元旦ということになる。
ソバアレルギーには気の毒だが、年度越ソバでもす
するとするか。
風流を忘れてはなるまい。
さて、日本も新年度を迎える。
厳しい年になる。
民主主義というポピュリズムの正統性が問われるこ
とになろう。
人民民主主義やマスコミ民主主義に代わる政治原
理は、宗教民主主義というべきであろうか。
政治ばかりではなく、経済も教育もそうだが、神の目
を忘れてはならないのである。
神であれば、誰を選ぶかというのが宗教民主主義の
選挙倫理である。
倫理が問われるのは、神に対する畏敬の念を忘れ
ているからである。
「民主主義と言えども神と法の下にあり」というのが
宗教民主主義のイデオロギーであろう。
ここに言う神とは神の正義をおもんぱかることであ
り、法とは、議会立法という以前に具体的判断におけ
る神意の推察ということである。
それが、信仰心に基づく智慧ということになる。
神源というべきは、古典的宗教思想もあるが、現代
においては幸福の科学に集大成されつつあるというこ
とを知るべきである。
安倍総理も、幸福の科学や大川隆法に対する畏敬
の念を持つべきである。
大川隆法を同輩的人間とみれば天才であり、憎たら
しいほど出来過ぎる成功者であろう。
身に着けている衣服も時計などの装飾も、一点数百
万円の超一流の物である。
30年程度で世界に冠たる宗教と出版社を確立し、
その活動は、比類ない一流を証明し続ける。
ライバルと考えるならば嫉妬もするだろう。
しかし、大川隆法とは、人類とは一線を画する霊存
在が宿って体現された最大の神に他ならない。
その表現は、神の権威を分かりやすく表現したもの
である。
だから、これをライバルのように考え、天才のように
考えて嫉妬するのは愚かであり、不遜である。
総裁と身近に接している職員もまた、雲上の人なの
である。
にも関わらず、いまだに幸福の科学を無視するとい
うなら、もはやそれまでである。
それまでという出来事が実現するであろう。
日本人がこれほどに愚かであるとは・・・。
自分が神ならば、八月に史上最大級の天変地異を
起こすだろう。
それが最後の警告となろう。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党