かくあれと もみじの道を 鹿と行き
馬糞 Bafun
再び、西高東低の冬型になった。
銀杏の大木が、いつの間にか、すっかり葉を落としてしまった。
そろそろ、久住の山にも雪が降り積もるのであろう。
四十九日、父が帰天する時が近づいてきた。
その前に、父母のダイアモンド婚を祝いたいものだ。
二人はよく、花札をして遊んでいた。
ああでもない、こうでもないと騒ぎながら、楽しそうだった。
任天堂の花札である。
里山の紅葉の絵には、鹿の姿が似合う。
花札の絵柄のせいかもしれないが、その鹿は、高貴な気持ちであ
ろう。
紅葉の下を歩くとき、鹿と一緒に紅葉を眺めていたくなる。
鹿と鼻を突き合わせて、「いい秋だね」と、静かな一時が過ごせそう
な気がする。
この世の情景には、霊的な情景が重なって見えるものだ。
それを心象風景という。
詩情とは、心象風景への共感というべきか。
殺風景には生きたくないものである。
風景を殺すのは、唯物的、即物的生き方にほかなるまい。
【なぜ公務員を志向するのか】
公務員になりたいという学生のなんと多いことか。
「身分が保証されて、福利厚生も行き届いているから」
「ちゃんとした仕事がしたいと思いました」
「親も公務員なんで」
前提に安全志向がある。
老後まで保障されているマニュアル化された公務員という職業イメー
ジがある。
そんなに憧れるものだろうかと不思議である。
そんなに早く、人生の安全という決着をつけたいのかと思う。
本人たちは大真面目であり、人生の勝負だと思っている。
確かに、職業選択に、経済の安定という願いはあるだろう。
しかし、身分保障ほど、職業を腐らせるものはない。
やりたい放題、左翼活動に専念している公務員もいるのだから驚い
てしまう。
首にならないのである。
日教組のやっていることも、身分保障あればこそであろう。
公務員試験をめざす学生たちは安全志向ではあるが、輝いてもいる。
なぜか。
リスクを背負い、競争に身をおいて努力しているからである。
公務員になったら、大半、安全志向に堕してゆくのだろう。
武士は貧乏だったが、公務員は仕事をしなくても高給が保障される
のだから、尊敬などできるはずがない。
だから、「日本国憲法」を廃止し、当分、十七条憲法に差し替えてお
けばよいのである。
何れ、公務員の身分保障を廃止する法律が実現するだろう。
公務員リストラ法も実現するだろう。
地方自治も廃止されるだろう。
それでも、公務員は安全な職業なのか。
公務所倒産の時代がやってくるというのに。
リスクなくしては、やりがいは生まれない。
公務員もまた、身分保障を手放してこその幸福を求めるべきであろ
う。
私企業の手本となるべきリスクと気概あってこその公務員とするべ
きなのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi