すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ よきことも・・・ 大晦日2009

2009年12月31日 07時07分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 よきことも  悪しきこともあり  年の暮れ 

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 この一年、父を見送ったことが悲しかった。

 父の無事の帰天を祈る・・・。

 今日大晦日、長崎港の除夜の汽笛を、父に捧げたい。

 

 私にとっても、シベリア抑留の苦難と、炭鉱時代の困

難が一時代を画した一年となった。

 

 平成維新、最後の人生時間を、日本の独立のために、

国難克服のために、そして、幸福の科学の普及のために

捧げたい。

 

 支部に帰属しない「幽霊会員」であっても、なすべき

ことがある。

 信仰はいささかも揺るぎはしない。

 内村鑑三のごとく、仏陀と日本のために、残る人生を

悔いなく働くのみである。

 

 愛を与えよ。

 愛が分からなければ、仏陀・大川隆法の獅子吼を見よ。

 今、仏陀再誕の時代にあることを感謝する。

 いざ! 

 

 

 

 

 今年一年、大変お世話になりました。


 来年もまたよろしくお願いいたします。

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

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+ 朱塗り、年の瀬に冷える・・・ プレゼント消費産業、縁起物産業を起こせ  

2009年12月29日 18時08分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 晦日まで  しんと冷えたる  朱塗りかな 

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 大手の神社は、元旦の準備で裏方はおおいに忙しくし

ていることであろう。

 景品に数百万円をぽんと支払う。

 神様に不景気なんてあるものかという繁盛である。

 

 しかし、中小神社は人影もなく、シンと冷えている。

 元旦まで、息を凝らしているかのようでもある。

 朱塗りの鳥居といえば、稲荷神社を思い浮かべるが、

宇佐八幡も、厳島神社も、鳥居は朱塗りである。

 これは、平家の色だそうである。

 

 近くの神社はいずれも石の鳥居で色が無いが、九州は

平家の拠点でもあったことを思うと、朱色に誇りを持ち

たいものである。

 さて、大宰府天満宮の鳥居はどうだっただろうか・・・。

 

 

 

 

縁起物産業を起こせ


 不況というのは縁起が悪い。

 こういう世相である、縁起物を商品開発のコンセプト

とせよ。

 神社も企業と提携して、景気浮揚の手助けをして欲し

い。

 

 縁起物というのは、プレゼントしたくなるものである。

 そもそも、お土産というのは、縁起物でなければなら

ない。

 その土地の神様をブランドにすべきなのだ。

 

 安売り競争というデフレ競争、貧乏神の競争が目立

つが、プレゼントならば安物は買わない。

 だから、縁起のよいプレゼント消費のブームを起こす

と良いのだ。

 消費の喜びは、与える喜びにある。

 経済の本質も与えることにある。

 幸福の科学の与える愛とは、経済の根本原理でもある。

 

 与えよ、さらば、縁起良く景気もよくなるであろう。

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ うぐいす、歳末にチュンと鳴く・・・ 分割払いの「世紀末」ローンを払え

2009年12月28日 08時00分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

    うぐいすの  チュンと鳴いたり  冬至過ぎ   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 身の回りの情報整理をしようと格闘したが、「必要な

ときに必要なものはなくなる」という法則に振り回され

て癇癪をおこしそうになる。

 しかたがないのであきらめて、一年の泳ぎ納めをした。

 運動不足は、体中がドブになったようで、不快でなら

なかった。

 

 今年は、前半プールの工事閉鎖ということもあって、

回数が伸びなかった。

 泳ぎ納めは、17回目の水泳だった。

 ほとんど、夏場に稼いだ回数だった。

 

 泳ぎの基本メニューは、最初に200mのバタ足をす

る。

 次に800m程度のクロール。

 最初に400mのロングをこなして、あとは50mの

インタバルを50秒台でこなす。

 そこで疲れ果てるので、バックストローク、ブレスト、

最後にバタフライを100mづつ流して終わる。

 

 久しぶりに泳ぐと、水がとても重たく感じられる。

 腹がだぶついて余計な波を立てる。

 カバがバタフライをするように、鈍重である。

 

 なんと、体重が67キロ超になっている。

 ビール腹かもしれない。

 これからは、日本酒か芋焼酎にしよう。

 年末年始はジョギングをしよう。

 

 トレッキングシューズを買うことにした。

 山歩きをしようと思う。

 馬鹿にしていた近場の山に悪戦苦闘して、これはいけ

ないと思った。

 福岡の山は標高は数百mの低い山だが、修験道が多く、

結構険しい。

 馬鹿にできない。

 

 山登りで、はあはあ言うことはなかったのに、はあは

あといっている自分におどろいた一年だった。

 来年は、九重登山に挑戦しよう。

 新規ビジネスの実験をしよう。

 英語+ロシア語+コリア語に挑戦しよう。

 

 ああ、少年老いやすく、学成り難し・・・。

 

 

 

 

分割払いの世紀末


 納めがたい仕事を机の端に束にして、年末年始の一大

事を前に危機感に追い立てられた一年が、大晦日をやり

過ごして次の年に進級する。

 世紀末から10周年の2009年だが、ノストラダムスの預

言10周年記念行事といえば、リーマンショックだったの

か。

 

 しかし、この後にユーロショック、チャイナショック、

イランショック、台湾ショックなどが続きそうな雲行き

である。

 日本にとっても、明治維新よりさらに大きな国難に晒

されているが、それほどの危機感もなく、日本滅亡のカ

ウントダウンに入っている。

 

 ノストラダムスの世紀末恐怖の預言は外れたかのよう

に過ぎたが、この十年を振り返ると、世界中が動乱して

きたのではないか。

 いわば、分割払いである。

 その一つ一つを乗り越えなければ、破綻する。

 

 日本は、どうしても軍事力を最大化しなければならな

い。

 外交も経済も、人口と軍事力に比例する。

 太平洋を規律有らしめるのは、中国ではなく、日本で

なければならない。

 中国には規律も道徳もないからである。


 最新鋭戦闘機の国産化、アメリカ並みの空母の建造と

配備、これを支えるエネルギー革命と高速交通網、通信

網の整備である。

 携帯電話は、山岳部でも使えるようにしなければなら

ないし、パニックのときも使える態勢が不可欠である。

 多数の通信衛星を打ち上げる必要がある。

 

 何よりも、国難に対応できる政権を構築し、選択しな

ければならない。

 売国奴的な民主党の危険な遊びは、もう止めさせなけ

ればならない。

 

 財界人よ、決断せよ。

 幸福の科学はインチキなのか。

 そうでないならば、これは大変なことなのである。

 決意して帰依し、談合し、幸福の科学に集うべきであ

る。

 そして、新政権を早急にまとめることだ。

 国難克服政権を立ち上げるほかは、企業の先行きもま

た無いからである。

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 救世主のクリスマス・・・ 孤独なクリスマス  人間関係論  不況克服論

2009年12月26日 11時23分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

    友なくば  救世主かも  クリスマス

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 真冬のような風が吹いている朝だが、外気温8度5分、

暖かい。

 今日は12月26日である。

 聖夜としても風習としても、いろんなクリスマスが終

わって、年末を数えるばかりになった。

 

 どうということもないクリスマスになったが、仲間も

友達も恋人もいない若者にとっては、早くあっち行って

くれというような、孤独なクリスマスだっただろう。

 しかし、救世主と同じ思いをしているのだ。

 それもめでたいことである。

 

 孤独とは神聖でもありうる。

 神のごとくに過ごせばよい。

 

 人間関係のない人間はいない。

 人間関係とは、影響しあうということである。

 距離を楽しむということである。

 

 そもそも、存在とは関係なのだ。

 他者なくしては我もまた無い。

 男に対して女であり、女という異性に対して男である。

 関係である以上、自分のものにすることはできない。

 独占欲は、存在を危うくするものである。

 

 人は、物ではない。

 広大無辺の大宇宙である。

 なぜ、広大無辺なのか。

 宇宙とは認識の世界であり、創造の世界だからなので

はないか。

 しかし、認識も創造も、本質的には用意されたものの

発見である。

 用意されたものとしての本源的大宇宙があり、認識と

しての個性宇宙がある。

 

 人間関係とは宇宙旅行のようなものだ。

 矮小な唯物観念で見てはなるまい。

 

 星があり、銀河がある。

 星と星の関係が、空間を生んでいる。

 銀河と銀河の関係が、さらに大きな空間を生んでいる。

 星も銀河も、全て運動体として関連し、存在している。

 不思議な世界だ。

 

 若い役者たちが集まっておしゃべりを楽しんでいる。

 くすぐるようなおしゃべりは、淡い恋心のようである。

 恋心とはあこがれである。

 惹きつけ合いながら離れているさまざまな惑星のよう

である。

 月と地球の約束をしたとき、夫婦になる。

 お互いに回りあいながら、豊かなドラマが生まれる。

 

 その夫婦も、ある日を境に、悪口憎言の関係になるこ

とがある。

 己を見失い、近づきすぎているのではないか。

 森が見えなくなっているのではないか。

 星と星との間には、適正距離がある。

 それを忘れてはならない。

 

 過度の贅沢は排他的で傲慢な消費であり、人間関係を

遠くする。

 お金同様、働く場を提供することが、お金を集め、仲

間を集める。

 お金が活躍し、人々が活躍する場を創造する者が一番

豊かである。

 そのようなチームを作り、そのようにチャレンジし、

行動したいものだ。

 

 全ては、感謝して与えるところに豊かさが生まれる。

 掃除はその場を与えられていることを感謝して、清潔

で清清しい環境を与える行為である。

 食事でさえも、感謝して体に健康と活力を与える愛が

大切だ。

 感謝して与えることを考え、行動する者に、耐え難い

孤独というものはない。

 

 クリスマスの孤独に苦しんだ者がいるならば、一人神

に感謝をし、何かしらのクリエイティブに挑戦するか、

何も思い浮かばなければ掃除をして、神を迎え入れる準

備をすることだ。

 そうすれば、サンタクロースがいい夢を運んでくれる

にちがいない。

 

 人生、是、修行である。

 試練に感謝!

 

 

 


存在とは発展と調和の関係であり、幸福とは与え合う関係である

 大不況時代の到来というが、経済の原点に立ち返って

考え直してみる必要がある。

 

 経済とは、創造的な人間関係としての、仕事の調和で

ある。

 仕事の調和とは、役割分担であり、分業である。

 分業分担のベストバランスを求める運動法則が、切磋

琢磨の競争である。

 

 さて、不況とは、失業時代であり、企業倒産時代であ

る。

 すなわち、貧乏である。

 不況を克服するには、貧乏の原因である失業や借金を

解消するための新しい仕事を始めるほかはあるまい。

 

 欲をかきすぎた借金か、とばっちりの倒産か、いろい

ろ負の連鎖があるだろうが、結局は仕事が破壊され、な

くなったのだ。

 ならば、新しいものを一から作り直すしかあるまい。

 多様な個性で小さいところから始めるしかあるまい。

 個人商売から、やがて大きく成長するものが出てくる。

 

 倒産していない苦しい企業は、残る体力を尽くして、

新しい顧客ニーズを生み出すことだ。

 従来の延長線上に企業の存続は無い。

  

 安売りと収入減のデフレスパイラルから抜け出すため

にも、新しいものを供給する必要がある。

 老いも若きも、新しいことを始めるほかはないのであ

る。

 それはそれで、楽しいではないか。

 経済は人助けである。

 本来楽しいものである。

 

 宇宙食堂は、客の回転早くて儲かりそうだ。

 多様な宇宙食を生み出すと良い。

 時間の節約と栄養補給ができて、忙しいビジネスマン

も助かる。 

 そんな風にである。

  

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

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+ 厠上をまたぐ・・・ 大川隆法著 幸福の科学出版刊『創造の法』のインスピレーション

2009年12月24日 21時02分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

    年の瀬を  厠kawaya にまたぎ  次のこと   

    馬糞 Bafun 

 

 

  

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『創造の法』は、この

難しい時代に太陽を昇らせる希望の光である。

 仏陀再誕の時代だからこそ得られる叡智にほかならな

い。

 

 それによると、アイデアの生まれやすい場所は『馬上、

枕上、厠上』と言われていることが紹介されている。

 なるほどと思う。


 馬の上で考える経験はないが、是非にもモンゴルにそ

の場を得たいものである。

 馬糞 Bafunとしては、やはり馬上の経験も欲しいと思

う。

 

 とりあえず、現状アイデアを得る場所は、夢枕と、厠

であり、さらに加えるとすれば、歩いているとき、掃除

をしているときである。

 来年をどう切り開くかということが頭から離れない。

 ベンチャーを起こしたい。

 その構想は山ほどあるが、絞ることが難しい。

 

 老後の備えなき周回遅れのわが人生であるが、収入が

途絶えたら、世間から必要とされていない証拠であるか

ら餓死すればよいと思っていた。

 ところが、「坂の上の雲」に、正岡子規に漢学を施し

た松山の儒者、土屋久明なる人が、そのように考えて餓

死したという話が出てくる。

 そんな二番煎じはしたくないものである。

 

 ならば、自ら企業経営に乗り出すのがよい。

 やるべき仕事は山ほどあるからである。

 そう思いながら、厠をまたいで踏ん張ったのが、なん

とクリスマスイブのことであったとは・・・。

 

 かくして、時代劇を見ながら、ビールを飲むクリスマ

スイヴとやらが、いつものようにリラックスして楽しめ

る一時である。 

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 烏瓜の怪しい酒・・・ 熊本の公立中学校の無法地帯ぶり  目を覆うばかりの退廃  学校は治外法権の無法地帯

2009年12月24日 08時15分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 烏瓜  怪しき酒を  ぶら下げて

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 烏瓜の紅は実に怪しい。

 赤提灯か、徳利か、いずれにしても、夜中には何かに

化けようかという怪しさがある。

 そこが、吉原に化けるのかもしれない。

 

 吉原はもはや時代劇の世界であるが、志生落語を聴い

ていると、親方もずいぶんとあすんだようである。


 吉原といっても、ピンきりの遊び場で、場末ともなる

と鑿や虱がお相手仕るところもあるらしい。

 吉原のピンともなれば、そこには上等の文化があり憧

れもあった


 竜馬もずいぶんとあすんだようですな。

 ただし、花魁と遊ぶためには、一晩に百両もの大金を

はたくほどのお大尽でなければならない。

 

 そんな遊び場がご法度になって、赤線というものがな

くなったとはいっても、陰湿な「風俗」がはびこってい

る。

 昔の吉原に近いとすれば、銀座のクラブというところ

かもしれないが、最近のホステスは品も教養もない素人

が増えたらしい。

 博多でも、中洲Nakazuは、汚らしいホストやホステスが

徘徊する修羅場である。

 そんなところで噺家が修行しようとは思うまい。

 

 日本の状況が、遊び場にも現れていると思うのである。

 

  

 

 

深刻な公立中学校の退廃】 


 熊本市内のある公立中学校の内情を聞いた。

 実にすさまじい無法地帯ぶりである。

 そこには「立派な」校長がおり、公給をむさぼる正規

教職員もいる。

 彼らはみな、教職免許とやらを持っている。

 

 いかなる場合にも異性の生徒に触れてはいけないそう

である。

 喘息の発作で引付をおこしそうな生徒の背中をある若

手バイト教員がさすって手当てをしたら、訴えられて教

育委員会から諭旨を受けたそうである。

 

 同じく、救急車を呼ぶ暇がないと判断して生徒を車で

病院まで連れて行ったら、不純異性交際をしていると訴

えられて教育委員会から厳しく諭旨されたそうである。

 それを見かけたPTAが訴えたらしいのだ。

 

 職員室で生徒に暴行を受けて耐えていたが、たまりか

ねて一本背負いで投げ飛ばしたら、解雇されそうになっ

たそうである。

 

 夜、その学校の女子中学生が親とも思えない中年男と

ホテルに入るのを見かけたので追いかけていったら、売

春だったそうである。

 

 成績の良い生徒の腕に変な傷があるので調べたら、覚

せい剤の常習者だったそうである。 

 授業中の喫煙、飲食もとがめられないそうである。

 

 運動会のテントを、一家三人で独占して何が悪いと開

き直る保護者もいたという。

 親もまた良識がなく、それを諌める権威が学校にはな

いのである。

 

 その公立中学校が特別に悪いのではあるまい。

 これが、公立中学校の現状であり、事なかれ主義を指

揮しているのが教育委員会や教職員であるということで

ある。

 

 義務教育現場の退廃は極地に達しているようだ。

 義務教育だからといって、犯罪者というべき生徒を登

校させるべきではあるまい。

 懲戒し、退学処分にすべきである。

 それを放置した教職員は懲戒解雇すべきである。

 

 学校崩壊というなら、廃校にすべきでもあろう。

 結果、義務教育課程を修了していない非国民が出てき

たとしても、止むを得まい。

 アメリカのように、非行少年を集めた学校を別に作れ

ばよい。

 

 教職員も教育委員会も解体し、懲戒解雇すべきである。

 無法地帯にしたのは彼らの怠慢であり、犯罪的行為だ

からである。

 だから、小中学校に、派出所を置き、法を護らせるべ

きなのだ。

 その能力も意欲も教職員にはないのだから。

 

 貧しくとも、教育に最大の投資を惜しまなかった維新

の日本であったのに、今や、教育現場が公務員教職員に

よって退廃している。

 公立学校が悪魔の支配下に取り込まれてしまったとい

う警鐘は誇張ではない。

 日本自滅の由々しき事態である。

 

 「教育は国家百年の計」の裏返しが起こっているので

ある。

 日教組の支持政党である民主党政権では、事態はさら

に悪化するであろう。

 

 警察は、暴力団のみならず、学校を重点取り締まりの

対象とするべきである。

 長期的には、正しい私立学校を作って、異常な公立学

校に入学者がいなくなる状況を作るほかあるまい。

 公立学校が、問題児を収容する教育施設になるだろう。

 

 新しい学校産業を起こそうではないか!

 教育改革は、規制を緩和して競争によって正すほかは

あるまい。

 そのためにも、学校法人法を改正して規制緩和し、私

立学校が運営しやすい環境を提供するべきである。

 教職免許も必要あるまい。

 役に立っていないのだから。

 ダメ先生の学校は自然淘汰されるのが競争の効果だ。

 

 文部科学省は、最小限に切除するべきであろう。

 いわば、癌組織だからである。

 このまま、国の自滅を見過ごすわけにはゆかない。 

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 暮れがたく暮れ・・・ 天皇誕生日の憂国  人事考課テスト「掃除力」

2009年12月23日 11時45分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 暮れがたく  年暮れて行き  あと十日   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 冬至から十日で大晦日である。

 冬至の日が職場の忘年会だった。

 忘年会とは言っても、年暮れがたく仕事を引きずって

いる。

 

 今日は祝日、「天皇誕生日」である。

 日の丸を掲揚してお祝い申し上げたいところだが、洗

濯物以外、掲げる場所がない。

 せっかく買い求めた国旗も、今はどこにしまいこんだ

か分からなくなった。

 

 町中に国旗を掲げて欲しいものだ。

 この国は、三千年近い国家としての伝統ある日本国な

のであるから。

 

 お祝い事がなくても国旗だらけなのがタイである。

 王家を敬愛し、国家を誇らしく思っている。

 国家とは本来そうしたものである。

 

 日本が、独立国家として不足であることは明らかであ

る。

 社会主義日本であってみればそれは当然のことではあ

る。

 社会主義に国家という概念は邪魔である。

 

 国家とは、「労働者階級を支配する権力装置」と定義

されるだろう。

 社会主義とは、国家主席という権力者が独裁する擬似

国家である。

 ということは、中国も北朝鮮も国家ではない。

 国境を溶かして包摂する侵略組織というべきであろう。

 

 小沢鳩ぽっぽ政権が目指している方向もまた、中国へ

のメルトインある。

 反自民ということで選んではいけなかったのだ。

 ままごとのような危険な政権が自ら外堀を埋め、さら

には内堀までも埋めようとしているかのようである。

 

 折角の祝日だが、憂国の念に暮れがたい年の暮れであ

ることよ。

 

 

 


人事考課テスト】  

 人材とは陰日なたなく働くことを愛する人であり、一

生懸命の人であり、向上心と創意工夫をしてやまない人

である。

 そこにはやる気のある人が集まり、一定の成果をもた

らしてもいる。

 

 しかし、評価とはシンプルな実験で計測できるものだ。

 それは、職場を掃除する姿勢、朝礼の礼や声の大きさ、

そして日ごろの挨拶と明るさである。

 

 職場で就業時間前に掃除をしているところは少なくは

ない。

 しかし、その姿勢を見ると、ただ歩き回っているだけ

の人間もいる。

 決して雑巾をもたず、モップをもたず、汚らわしい下

賎の仕事ができるかというふうである。

 

 朝礼で接客の挨拶をするときも、こんなばかばかしい

ことができるかという風に、声もちいさく、頭をかしげ

る程度の人間がいる。

 そうした者たちは職場の不満分子であり、やる気のな

い分子であり、職場の雰囲気を悪くする分子である。

 

 朝礼と掃除をみれば、おおよその人事考課ができると

いうことである。

 不況とは、そうした不満分子を切除するチャンスでも

あろう。

 

 仕事とは人助けに他ならない。

 仕事を愛すべきである。 

  

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 椿一輪・・・  冬至祭り

2009年12月22日 08時05分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    頬紅く  子は駆けて行き  寒椿     

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 今日は冬至である。

 外気温4℃。

 再び太陽が、光を増してゆく。

 椿こそは、冬至の花である。

 

 その素朴な冬至祭りがクリスマスの起源である。

 冬至を境に光を増してゆく太陽を、人々は喜び、感謝

したのだ。

 さて、神社は冬至祭りを主宰しているだろうか。

 天照大神に由来する天岩戸の伝承も、あるいは冬至祭

りの伝説という性格があったかもしれない。

 

 クリスマスも良いが、日本らしい冬至祭りを餅つきな

どをして祝いたいものである。

 

 椿というのは不思議である。

 この寒さの中で花を咲かせる。

 実に元気だ。

 犬が走り、子供たちが頬を紅く染めて駆け回る情景を

想像させる。

 

 以前買ったはずの椿油、どこにいったのだろう。

 椿油で、てかりたい冬になったことである。

 

 

 

  

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ うめもどき・・・ マネーゲーム欧州の没落  投資は消費ではなく、教育にこそ向けよ

2009年12月20日 23時17分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 柿右衛門  朱色はかくや  うめもどき            

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 「ウメモドキ」というのだそうである。

 絵になる枝振りと柿右衛門のような朱色が美しい。

 たしかに、梅のような配列と気品である。

 もどきではなく、「ユキミチシルベ」なんて名前が良

いのではないか。

 

 ウメモドキに似て、真っ赤な実を燃えさかる火のよう

につける木がピラカンサスである。

 ウメモドキはモチノキ科だが、ピラカンサスはバラ科

で毒がある。

 冬の里山には、赤い実が花のように多種多様である。

 

 冬には柿右衛門の赤がよく似合う。

 

 みかんの黄色もおいしい秋冬の色である。

 これからしばらくは、小粒のコタツみかんをメジロた

ち一緒に楽しめる。

 そういえば、今年はヒヨドリが遊びに来ない。

 どうしたのだろうか。 

 

 外気温6℃、木枯らしの吹く一日のようである。


 

 

 

ヨーロッパとは何か


 日本人にとってヨーロッパはブランドのイメージはあ

っても、時事については音痴である。

 音痴だということさえもあまり意識することがない。

 観光地としては知っていても、政治経済情勢について

はあまり関心がない。

 ヒトラー率いるナチスが仕舞えて平和になったという

程度かもしれない。

 

 しかし、渡邊哲也著『本当にヤバイ!欧州経済』を読

むと、ヨーロッパというブランドの城が、砂上の楼閣で

あるように見えてくる。

 ヨーロッパ経済を支えている仕掛けが、今最もダメー

ジを受けているマネーゲームであることが分かる。


 国ごと金融破綻したアイスランドや、マネーロンダリ

ングのスイスだけではない。

 英国も、オランダ、スウェーデン、ドイツまでもが、

虚業というべきマネーゲームのあぶく銭の上に裕福な生

活を浮かべていたことが分かる。

 

 ブランドを隠れ蓑に、ずるがしこく世界の欲深い金や

汚いかねを集め、その運用をサブプライムローン関連の

高リスク高配当の金融商品に振り向けていたようである。

 それが今、大破綻し、血しぶきのように吹き出る資金

の始末に追われているのである。

 

 反面、危ぶまれていたリスボン条約が発効し、EU統合

の実質化に向けて足固めができたかのようであるが、所

詮、ブランドで飾った夢物語に終わるのではないか。

 病人が集まっても、相互感染こそすれ、強くはならな

いからである。

 

 2009年といえば、世紀末と騒がれた1999年か

らちょうど10年の年回りである。

 その世紀末恐怖の予言は分割払いになったのであって、

完済されたわけではない。

 世界中から金を集めて「バブル」といわれる一時の繁

栄を誇った中国も、虚業によってサロンを楽しんだヨー

ロッパも、これから大きなツケを払わされることになる。

 

 日本人はヨーロッパの何に憧れているのか。

 おそらくは、貴族文化なのではないか。

 サロンであり、社交界の高貴と華やかさなのではない

か。

 

 ヨーロッパは産業革命によって近代の覇者となった。

 ちょうどその頃、日本は黒船に驚き、維新を向かえ、

文明開化というコンプレクスが憧れのようになった。

 しかしやがて、ヨーロッパを脱藩して自由の天地を建

国したアメリカに取って代わられた。

 そのアメリカも、元の主人というべき貴族文化には気

後れした。

 

 もはやいつまでもヨーロッパではあるまい。

 経済繁栄の原動力は、まず先進の宗教があり、これを

文明の中核とする食糧生産、エネルギー生産、ロボット

や通信、宇宙開発などの産業革命が生み出すものだと思

う。

 その根源的宗教も、先進技術も、日本にはある。

 そうであるならば、日本が憧れの文化を発信しなけれ

ばなるまい。

 

 文化の中心は芸術である。

 芸術とは、仏神を賛美する神聖の表現である。

 ファッションも、この神聖と活動性を融合するスポー

ティーファッションがビジネスフォーマルとして普及す

ることになるだろう。

 武士の装いは、そうしたものであった。

 

 建築や音楽芸術は、幸福の科学様式が基本となるであ

ろう。

 現代に失われつつあった神聖なる感動がそこにあるか

らである。

 それこそは、美の極致である。

 

 失業をしてマネーゲームに活路を見出そうとしていた

哀れなヨーロッパの時代は終わった。

 もはや復活することはあるまい。

 その焦りが、脱税者から集めた金を、生産にではなく、

消費に投資してしまったのである。

 

 生産への投資で最も分かりやすいのは、教育投資であ

る。

 人材育成こそは最大のリターンを生む投資である。

 「坂の上の雲」を読むと、維新の日本がいかに貧しい

財政の中から教育に投資してきたかが分かる。


 西欧に負けない教育者を育てようと、 師範学校を作り、

中学校や小学校を作った。 

 日本の銀行もまた、どの会社に投資してよいか分から

ないならば、自動車や住宅ローンよりもむしろ、教育ロ

ーンにこそ投資するべきである。

 人を育てることこそは、最大の生産だからである。 

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 銀杏、木枯らしに豪遊する・・・ 外患誘致  小沢売国・鳩山亡国の政権といかに戦うか

2009年12月19日 11時11分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 風舞いて  黄金の銀杏  豪遊し   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 黄金に輝いていた銀杏が、もうすっかり葉を落とした。

 年越しの銭は持たねぇ~とでもいうように、惜しげも

なく豪遊して、黄を使い果たしたお大尽のようである。

 一つの成功にこだわらずに捨て去り、新しい黄金の夢

を見て豪遊しことであろう。

 

 季節は再び真冬に戻った。

 週末には雪になるかもしれないと言われた木枯らしが、

ごおごおといている。

 しかし、外気温6℃、たいしたことはない。

 銀杏のお大尽が裸になっても、さして寒くはなかろう。 

 「なにを」、というように吹雪になったが、暖かいの

で戸惑っている雪ある。

 

 さてさて、四十七士の討ち入りも終わり、来週には冬

至、そしてクリマスである。

 クリスマスツリーを飾っていた頃は、きっと若かった

のだ。

 ならば、山ごとクリスマスツリーにしよう、なんて大

人がいるとおもしいのだが・・・。 

 

 

 

 

売国小沢の外患誘致、亡国鳩山の反米政権といかに戦うか】 

 
 百人からの議員団を引き連れてチャイナに朝貢した小

沢の非国民動にはあきれた。

 次期主席と目される習近平副主席を強引に天皇に謁見

させ、胡錦濤主席との会談では「私を次期日本国王とし

て認めてください」といわんばかりの傀儡ぶりである。


 さらには、訪日のオバマ大統領軽視してアメリカを

敵に回した反米親中の動きはみすごすわけには行かぬで

あろう。

 

 ※ちなみに天皇陛下謁見の米中比較(習近平の慇懃無礼)
⇒ 
http://kawaokina.exblog.jp/13241625/

 

 八百万の神々が、「なんという売国奴、恥ずべき国賊、

厳罰すべき外患誘致」と激怒なさる声がごおごおと天に

響いていることにも、しかるべしと思わざるを得ない。

 

 さて、八百万の神々とは軍神である。

 大東亜戦争で日本の軍神の鼻がへし折られはしたが、

戦後63年、ひこばいも立派に育って、その心意気や軒

昂となった。

 その神々を畏れてか、チャイナ共産軍に援軍を求めた

という売国外患誘致の図形であろう。

 

 

 

 

 さて、この売国小沢民主党政権といかに戦うべきか。

 まずは来年の参院選であろうが、その戦いは小沢の朝

貢活動をみれば、すでに激戦模様であることが見て取れ

る。

 民主党政権の暗雲は、激しい不況の嵐となって日本を

襲い始めている。

 

 オバマ大統領の反撃もあるであろう。

 アメリカを敵に回した鳩ぽっぽ政権に対して、アメリ

カが駆除の手をこまねくとは思えない。

 もし、そうでなければ、オバマ自信が駆除されること

であろう。

 

 さて、いかに戦うべきか。

 幸福実現党は、自民党や民主党から愛国の士を入党さ

せ、自民党を説得して連立の選挙戦略を組むべきであろ

う。

 心ある財界人は、身命をとして、この動きを仲介する

べきであろう。

 現代の坂本竜馬はいるはずである。

 名乗りがない間は、志しある者全てが、竜馬たるべき

である。

 

 出家は智慧と情報を授けよ。

 行動は、野にあって叫ぶ者たちの責務である。

 在家に委ねよ。

 前回の選挙戦は、出家が立候補したところに弱さがあ

った。

 少数精鋭、維新の志士たる戦士とこれをサポートする

在家ブルジョアが力を合せて選挙戦を戦うべきである。

 

 選挙戦は企業活動の性格がある。

 そこで、選挙区ごとの選挙団体を組織し、選挙株を発

行して出資してもらうことで資金と組織票読みができる。

 政党名も、選挙区ごとに、「幸福実現博多党」などと

命名して届出をし、幸福実現党を中央集権政党とする連

邦政党とするということも考えられる。

 

 出資には配当がつきものである。

 政党出資は金が目当てではない。

 生きがいである。

 

 盆踊りや団体旅行や、スポーツ大会などの楽しみや情

報配当などが工夫されると良い。

 暇をもてあましている高齢者の生きがいとしても、日

本を亡国の政権から救う活動に輝いてあの世に渡ってい

ただきたい。


 高齢者が日本を救う。

 平成維新は高齢者の志士が支えたという歴史を作るの

も愉快ではないか。

 そうした体制つくりが必要ではないだろうか。  

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 納めの新月・・・ 日本航空を自衛隊国策会社に  ベンチャープロスポーツ会社を

2009年12月17日 07時57分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 納めたる  新月の夜の  底冷えて   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 納めの新月、今年最後の闇夜は深々と冷えた。

 再び、真冬になった。

 お~、さぶっ。

 

 しかし、元旦は満月で迎える。

 めでたいことである。

 今年は久しぶり、長崎港の除夜の汽笛が聞けそうであ

る。

 

 長崎の港も、博多港も、再び貿易港としての賑わいが

戻ればよいのにと思う。

 外国人労働者を受け入れるようになれば、たくさんの

外国人で賑わう街になるかもしれない。

 賑わうということが、活気であり、楽しいことである。

 

 小さな船でもいいから、アジア貿易の海運会社を興し

て、開運会社にしたいものだ。

 日本からはリサイクル品を運び、アジアでリメイクし

たものを再び日本に戻して販売する。


 ついでに、アジアの雑貨を輸入する。

 そんな行商から始める開運会社が増えれば、港も昔の

ような賑わいが戻るかもしれない。

 

 そんなことを、汽笛のように、ボ~ッと考えてみるこ

とにしよう。 

 

 

 


日本航空の始末】 


 労組丸抱えで日本航空を公費で救済しようとしている。

 労組が癌なのだ。

 これを摘出しないで延命しても、日本の空が病気にな

る。

 

 航空自衛隊で運営する日の丸航空として再生するのが

よいのではないか。

 小型国産航空を運行する純国産航空会社である。

 そのためにも、日本航空は倒産させるべきである。

 

 そもそも、パイロットの給料が高すぎるのだ。

 収入に見合った給与でなければなるまい。

 パイロット一人を養成するのに数億円の費用がかかる。

 それを、給与の中から差し引く勘定でもよい。

 

 いずれにしても、日本航空病に感染した職員、特に労

組職員は切るべきである。

 そして、小型航空を柱とし、地方空港を活用した国策

会社にしたほうがよほど進歩的ではないか。

 人材は、自衛隊から供給する。

 すると、自衛隊も仕事の幅が広がって人気になるだろ

う。

 

 プロスポーツも同様に、選手のギャラが収入を無視し

た高額である。

 あるいは逆に、生活できない寸志で賄っているところ

もある。

 これではプロではない。

 

 ボランティアに甘えるなど、もってのほかである。

 企業として成り立たせなければならない。

 しかし、高額ギャラがプロの条件ではないし、会社員

の給与でもプロとしてプレイしたいはずだ。

 そういうベンチャープロスポーツ会社が生まれても良

いのではないか。

 

 働き甲斐、そこに、不況克服の鍵があるのではないか。

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 紅葉の谷を滑る・・・ 山歩き中級の心得  宝満山の恐怖体験  死に目に会うことの充実

2009年12月13日 21時20分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 雨降って  滑りし谷の  もみじかな

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 学生と山歩きをしようと、初めてのコースに挑んだ。

 あれこれ迷ったが、竈門神社から登る宝満山コースに

した。

 初めてのところがよいということになったからである。

 中級コースとあったが、楽勝コースに見えた。

 さぞかし、日本晴れの下、残る紅葉が美しかろうと期

待した。

 

 

 

 

 西鉄大宰府駅から内山行きのバスで終点内山下車、そ

こが、竈門神社である。

 近くには温泉があるというから、帰りが楽しみだった。

 

 「楽勝コース」は車道から始まった。

 楽勝とは言っても、腹が減っては辛かろうと、民家風

の手打ち蕎麦屋を訪ねて温かな蕎麦をすすった。

 うまかった。

 

 曇り空が気になったが、日本晴れと決めていたので、

そのうち晴れるだろうと楽観した。

 

 やがて林道に入った。

 小雨が降ってきた。

 林を蓑傘代わりに汗と雨の湯気を立てながら坂道を登

り続ける。

 これでもか、これでもかというような急坂に、滑りや

すい岩場が立ちはだかる。


 やっと五合目、やっと六合目・・・。

 結構たくさんの下山客にこんにちは、と挨拶をしなが

ら、登山客とは抜きつ抜かれつしながら上を目指した。

 

 坂道ばかりにうんざりとしながらも、二時間の奮闘の

末に、最後の石段を登った。

 宝満山、初登頂!

 岩場から下をのぞくと垂直に切り立った谷である。

 雨は上がったが、深い谷からガスが吹き上がる。

 

 下りは、別ルートでと、余裕回復。

 ところが、稚児落としという絶壁の岩場を鎖頼りに降

りるのだが、雨に濡れた鎖と岩場は実に恐怖だった。

 

 

 

 

 ここを無事に降りたところで、一安心。

 温泉とビールが待つ下り道のはずだった。

 ところがである、ウサギ道をゆくべきところが、猫道

新道という怪しい標識に漂う近道のにおいと、新しいと

いう魅力に誘われてチャレンした。


 これが、地獄コースの始まりだった。

 道らしい道がないのだ。

 

 岩場と、ずるずると滑る急斜面を、生木をつかみなが

ら下りて行った。

 そしてついに、断崖絶壁の岩場にどんづまった。

 そこを、何とか降りようと言うが、ロッククライマー

でも装備なしには無理だろう。

 どんづまると、やってみようという無謀が誘惑するの

だ。

 

 現実に戻って、再び、急な斜面を這い上がることにし

た。

 一歩間違えれば滑落する急斜面は雨に濡れてずるずる

と足元を脅かす。

 立ちはだかる巨岩と急斜面に、果たして生還できるの

だろうかと不安になった。

 

 

 

 

 まさか、800m級の山で遭難するわけにも行くまい。

 しかし、十分に遭難しうる山であることは間違いない

のである。

 それほどに、急峻な谷底が連なっているのだ。

 

 やっと這い上がったときは、さすがにへたり込んでし

まった。

 まさに、奇跡の生還というほどに恐怖の体験だった。

 「道」を下ることは、さほどのことではなかった。

 激闘の下山は2時間半、視界が開けたときは、ほっと

した。

 安楽寺というのがあったが、何をのんきなことをとい

う風であった。

 

 バスでJR二日市をめざし、へとへとになって、200円の

二日市温泉に入ったが、タオルを忘れていた。

 何かにつけて、甘すぎた。 

 いい思い出になったが、風呂上りの中華料理も甘すぎ

て最悪だった。

 

 

 中級山歩きコースをなめてはいけない。

 山歩きでも、手袋、ザイル、カッパ、タオル、ズボン

や上着全ての着替え、できれば、ピッケルもあったほう

が良い。

 つくづくと反省した。

 

 しかし、死ぬほど怖い目に合うということは、学生に

とっては限界突破のよい経験になったと思う。

 彼らの友情も長く続くことであろう。

 しばし、筋肉痛も続くであろうが、禍転じて福となす、

良い勉強になった。

 

 

 

 

 『人の行かぬ裏に道あり、咲く花もあり。』

 たしかに、道をたどることばかりでは面白味がない。

 しかし、近道をしようと思ってはならない。

 危険と互角に戦う気構えと装備も大切である。

 そうしたことも、失敗したればこその学びではある。

 

 最後は、決断して引き返す勇気こそは、失敗を取り返

し、学びとす極意というべきかもしれない。

 どん詰まりの日本、引き返す勇気と学びが求められて

いる

  

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 鈴なりの柿・・・ 犯罪の温床、無法地帯の学校  子が親を恨むという不幸をどう克服するか

2009年12月08日 09時11分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 群れ雀  柿の数ほど  鈴になり     

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 室内気温13℃、外気温6℃、寒い。

 どんよりと曇ったような日陰の朝にも、ビルを乗り越

えた朝陽がさし始める。

 今日も晴れ。

 

 メジロや鶯が来てくれるのが楽しみで、柿やみかんや

蜂蜜を並べているが、今年は、群れ雀の見つけるところ

となって、見事に食べつくしゆくようになった。

 

 どうしたものかと困惑したが、まあ、雀との近所付き

合いも大切にすることにした。

 昔話によると雀の恩返しもあるらしいし、何より賑や

かさは繁栄の印でもある。

 一膳飯でも盛るとするか。

 子供の頃かわいがった雀のチュン子の供養にもなろう。

 

 

 

 

子が親を恨むという不幸をどう克服するか】 


 『「この糞虫が、おまえのために何んで金ば払わんと

いけんとか~」

 父親にそう罵られてきた。相談しても妄想だと言わ

るのは見えているから相談もできない・・・』。

 それが、22歳の「脅迫者」の心の傷だった。

 

 「いつの間にか気がつくと、自殺スポットに足が向い

ているんです。そう気がついて走り抜けることがありま

した。自分でないものが来て、頭が痛くなる」と告白し

た。

 

 厳しく育てるのは良いが、心を傷つけてはいけない。

 親は、子供の心の痛みを察知して守ってやらなければ

ならない。

 高校のとき、部活のならず者集団のいじめにあったと

いう。


 そのとき、親は学校に相談したが、部活をやめるとい

じめがさらにエスカレートするからそのままのほうが良

いといって対処しなかったという。

 

 学校はすでに無法地帯である。

 教師も「犯罪でないかもしれない」と、生徒を護らな

い。

 親も護れないなら、子供はどうすればよいのか。

 

 そういう心の叫びは痛々しかった。

 しかし、だからといって他人を傷つけてはいけない。

 その言い訳に、他人のせいにしてはいけない。

 

 人生は自己責任、自助努力の修行なのだ。

 辛いことであったが、その分鍛えられてもいるのだ。

 悪いことばかりではない。

 

 人間は、みんな不恰好に滑稽に生きているものである。

 親は間違ったことをしたが、愛情からそうしたのだ。

 親を恨むのではなく、自立せよ。

 

 許しという悟りが、子供たちに求められている。

 家庭のせい、環境のせい、世の中のせいにしては不幸

になる。

 ああ、それにしても、家庭崩壊、学校崩壊の犠牲の大

きさよ。

 

 『許しとは、人間の、修行者としての未熟さを思いや

ることである』。

 その修行を善導することができるようになれば、それ

が菩薩の愛となる。

 子供も、親の未熟を思いやるべきである。

 居心地の悪い家であるならば、家を出て、自立するこ

とだ。

 

 それまでは、修行である。

 辛抱するほかはないのだ。

 いかに、心を明るく辛抱することができるかという一

流の課題である。

 自らを鍛えて世に出でよ! 

          


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 紅葉の道を鹿とゆく・・・ 公務員志向の現状と課題

2009年12月06日 09時17分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  かくあれと  もみじの道を  鹿と行き   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 再び、西高東低の冬型になった。

 銀杏の大木が、いつの間にか、すっかり葉を落としてしまった。

 そろそろ、久住の山にも雪が降り積もるのであろう。

 

 四十九日、父が帰天する時が近づいてきた。

 その前に、父母のダイアモンド婚を祝いたいものだ。

 二人はよく、花札をして遊んでいた。

 ああでもない、こうでもないと騒ぎながら、楽しそうだった。

 任天堂の花札である。

 

 里山の紅葉の絵には、鹿の姿が似合う。

 花札の絵柄のせいかもしれないが、その鹿は、高貴な気持ちであ

ろう。

 紅葉の下を歩くとき、鹿と一緒に紅葉を眺めていたくなる。

 鹿と鼻を突き合わせて、「いい秋だね」と、静かな一時が過ごせそう

な気がする。

 

 この世の情景には、霊的な情景が重なって見えるものだ。

 それを心象風景という。

 詩情とは、心象風景への共感というべきか。

 

 殺風景には生きたくないものである。

 風景を殺すのは、唯物的、即物的生き方にほかなるまい。

 

 

 

 

 

 

なぜ公務員を志向するのか


 公務員になりたいという学生のなんと多いことか。

 「身分が保証されて、福利厚生も行き届いているから」

 「ちゃんとした仕事がしたいと思いました」

 「親も公務員なんで」

 

 前提に安全志向がある。

 老後まで保障されているマニュアル化された公務員という職業イメー

ジがある。

 そんなに憧れるものだろうかと不思議である。

 そんなに早く、人生の安全という決着をつけたいのかと思う。

 本人たちは大真面目であり、人生の勝負だと思っている。

 

 確かに、職業選択に、経済の安定という願いはあるだろう。

 しかし、身分保障ほど、職業を腐らせるものはない。

 やりたい放題、左翼活動に専念している公務員もいるのだから驚い

てしまう。 

 首にならないのである。

 日教組のやっていることも、身分保障あればこそであろう。

 

 公務員試験をめざす学生たちは安全志向ではあるが、輝いてもいる。

 なぜか。

 リスクを背負い、競争に身をおいて努力しているからである。

 公務員になったら、大半、安全志向に堕してゆくのだろう。

 

 武士は貧乏だったが、公務員は仕事をしなくても高給が保障される

のだから、尊敬などできるはずがない。

 だから、「日本国憲法」を廃止し、当分、十七条憲法に差し替えてお

けばよいのである。

 

 何れ、公務員の身分保障を廃止する法律が実現するだろう。

 公務員リストラ法も実現するだろう。

 地方自治も廃止されるだろう。

 

 それでも、公務員は安全な職業なのか。

 公務所倒産の時代がやってくるというのに。

 

 リスクなくしては、やりがいは生まれない。

 公務員もまた、身分保障を手放してこその幸福を求めるべきであろ

う。

 私企業の手本となるべきリスクと気概あってこその公務員とするべ

きなのである。 

           

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 椿にはしゃぎ・・・ クリスマスに思う  救世主の再誕、仏陀の再誕という幸福

2009年12月05日 08時45分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国
 

 

 

 

  椿さえ  クリスマスに見え  はしゃぎたり   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 境遇を背負い、女を背負い、時代を背負っているのだろうが、女の

子たちのにぎやかなことよ。

 武士道の椿一輪も、クリスマスの色だとはしゃがれて赤くなる。

 クリスマスか・・・。

 

 教会に行かなくなってからは、クリスマスは孤独な期間だった。

 若い仲間たちと共に活動し、賛美歌を歌うのが楽しかった。

 みんながとてもすがすがしく、美しく見えた。

 

 しかし、二千年を渡ってきた福音は、あまりにも遠く、切れ切れで、

かすかだった。

 ただ、「神は愛である。愛が分からなければ、私を見なさい」という

言葉こそは福音に違いなかった。

 

 とはいえ、神とは何か、人はなんのために生まれて生きるのか、

死んだらどうなるのか、神と子と、罪人とをつなぐ絆とは何なのか、

分からない事だらけだった。

 

 紛争があり、反目があり、独善があり、反政府思想が神の言葉でも

あるかのように説かれてもいた。

 毛沢東語録が配布され、インク漏れがする北ベトナム製のパーカー

仕様の万年筆を買い、ベトコンを支援し、バングラデシュを支援し、三

里塚闘争を支援し、安保反対のデモにも原水協の全国大会にも参加

した。

 

 「私も労働者だ」と牧師は言ったが、それは苦しいいいわけだと思っ

た。

 「マルクスも、神を否定したわけではないと思っています」とも言った

が、宗教は禁止され、弾圧されているではないかと思った。

 

 そんな偽善をクリスマスの包み紙に包んで捨てた。

 それから、クリスマスは辛くなった。

 神は物言わぬ根源神だけになった。

 

 『悟りの極地とは何か』という再誕の仏陀の激しい声を聴いたときは、

涙があふれて止まらず、たくさんの人がいる会場で泣きじゃくったもの

だった。

 今でも、そのことを思うと涙があふれる。

 ずいぶんと軌道をはずれてさまよっていたことだった。

 

 若いということ自体が、楽しくもあり、辛くもあるものである。

 そんなふうに、生きるということは面倒なことだから、面倒くさがって

はいけないのである。

 戦いがなければ、楽しくはないものだ。

 

 救世主の再誕を、仏陀の再誕を、人生に背負っていることのなんと

幸せなことであるか。 

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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