すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 青の洞門の秋・・・ 表現の責任を自覚せよ 「人権責任本質論」

2006年11月29日 08時01分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 洞門を   くぐりて秋の   湯につかり

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今日から師走である。年末である・・・。さすがに寒くなった。

 朝顔も、大輪の花を開くことができなくなったが、しかし、師走の花

を咲かせた!

 天晴れだ。

 そう、ついこの前まで蝉が鳴き競っていた・・・。

 

 師走になると、この一年のことを振り返る。

 湯に浸かって、ゆっくりと振り返りたいものだ・・・。

 

 昨日、今日、明日のように四季が巡っている。

 しかし、激動であった。

 政権の変遷もめまぐるしかった。

 

 

 

 

 

 

 福岡もオリンピック招致運動敗軍の将であった山崎市長が秋の市

長選に落選した。

 オリンピック招致活動は暑い夏の盛りだった。

 ああ、残念!

 

 それにしても、NHKは徹底して反対運動を展開した。

 何が公共放送だ!

 3,4人の反対署名活動を放送して、数千人の招致イベントには見

向きもしなかった。

 実に露骨だった。

 

 山崎さんは、政治生命をかけるほどの戦いをしなかったと思う。

 結果、政治生命を失った。

 政治家たるもの、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと知るべきであ

る。

 

 NHKの不祥事も多かった。

 是非、年末の一年を振り返る番組に出して欲しいものだ。

 

 さらには、子供の自殺を呼びかけるかのような自殺報道である。

 自殺はいじめの犠牲者だというばかりでは、自殺を奨励しているか

のようである。

 自殺もまた、非難されるべき人生放棄である。

 いじめには、いじめ犯罪を隠そうとする学校の悪、いじめを先導し

た首謀者生徒の犯罪、いじめ集団に加担した共同正犯の生徒という

悪の組織がある。

 

 いじめられた生徒は犠牲者だが、自殺は許されざる殺人である。

 それぞれが、厳しく非難されなければならない。

 マスコミもまた、重大な自殺教唆的な責任を問われるべきである。

 

 

 マスコミほど恐るべき独裁権力はない。

 民主国家として、この独裁権力をどう制御するかは大問題である。

 

 

 

 

 

 

【人権本質論】

 憲法改正論議の中で、人権規定を全面的に改正して、「権利」と言

う言葉を削除して欲しい。

 「人権」の本質は責任なのである。

 だから尊重されるのでである。

 自由とは責任であると明記すると良い。

 

 だから、表現の責任なのである。

 マスコミ・NHK独裁権力は、表現の自由を盾にしてやりたい放題、

これを許してはならない。


 同様に、偽右翼である街宣車の活動をなぜ放置するのか。

 皇室の紋章を使い、愛国の名を汚す下品で脅迫的な活動をしてい

るではないか。

 なぜ、警察は放置するのか。

 

 「表現の自由」という紋所に恐れ入るからであろう。

 

 「表現の自由」とは、国家を愛する民主主義の手段であり、主権者

たる国民の政治参加の手段であるとされるが、国益のために行使し

てこその主権である。

 表現責任は重い。

 まして、マスコミの表現責任は法的責任を問われるべきである。

 法的規制を受けるべきである。

 重い責任を感じて、大いに萎縮てよい。

 

 「表現の自由」による堕落は目を覆うばかりである。

 インターネット世界は無法地帯になった。

 まさに地獄界が広がっている。

 猥褻物頒布罪は事実上廃止されてしまった。


 これが法治主義国家か。

 倫理も道徳も地に堕ちた。

 それがマスコミの「良識」の正体である。

 

 

 

 

 

 人権論は、責任論でなければならない。

 平等論は、公平論に取って代わられなければならない。

 平等理論の役割は終わったのだ。

 その歴史的意義は身分制の廃止にこそあったと言うべきである。

 

 「人権」の本質は、人間関係を幸福にする責任である。

 そのためには、独立不羈の精神と慈悲の精神がなければならない。

 自立と愛国、公平と慈悲、これが「人権」思想の根本である。

 

 人間とは無限の人間関係である。

 自己保身にとらわれてはならない。

 自己保身は信頼関係を破る。

 人も国も政治家も、自己保身を自戒すべきである。

 潔く、強くありたいものだ。

                        

                                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 中津の福沢諭吉・・・ 「学問のすすめ」のすすめ  愛国心教育

2006年11月26日 08時16分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 愛国の   福澤諭吉の   里の秋


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 中津の駅に降り立つと真っ先にガラスケースに入った

福澤諭吉の胸像が目に入った。

 

 菅原の道真よりも偉人であり、学問の神ともいうべき人

物であるが、神社に祭られるでもなく、ひっそりとした諭吉

邸がささやかな観光名所風に保存されているに過ぎなかっ

た。

 

 諭吉の記念碑は慶応大学がその本拠であろう。

 九州にはその威光を引き込む求心力はないらしい。

 本来、慶応大学に掛け合って、「福澤諭吉記念教育大学」

を設立するくらいはできたであろうに・・・。


 中津は、まさに福澤諭吉の田舎だった。

 

 

 

 

 

 

 福澤諭吉は仏教で言えば如来格をもち、キリスト教で

言えば、天使の最高峰に位置する神格をもった大指導者

である。

 過去世は朱熹だという。

 

 そのような如来が九州中津を縁として近代日本の独立を

指導した。

 独立不羈の精神を教育の指針とし、かつ、国家独立の

基本であると啓蒙した。

 それが愛国心であると。

 

 因みにもう一人、同時代に如来が出ている。

 内村鑑三である。

 キリスト者でありながら、「二つのJに仕える」と言ったこと

で有名である。


 二つ目のJはJapan日本である。

 

日本人は日本国で育ったではないか。

 日本国は、諸外国に生かされている。

 

 人を愛し、国を愛することは道徳の根幹でもあろう。

 愛国心なくしては、国際人もまた育たない。

 

 

 自我の欲望(エゴイズム)に夢が描けず、かといって愛国

心を知らなければ、ニートになるのも無理からぬ。

 自立をするということは、孤独になることではない。

 仲間を得るということである。

 国家を支え、発展する使命を負っているからである。

 愛国心教育は自立教育の根幹にあるということである。

 

 

 敗戦以来61年間、愛国心という如来の基本指針を汚さ

れ、喪失してきたのが現代日本である。

 即ち、独立国家としての精神を喪失してきたのである。

 それを意図的に画策してきたのが朝鮮系の偽右翼であ

り、共産党、社民党の一派である。

 民主党もその性質を持っている。

 

 日本の皇室と愛国心を冒涜する右翼街宣活動は、朝鮮

の日本侵略のための心理作戦の一環で実施されている

と言う。


 妖怪・文鮮明の統一教会(勝共連合)活動も同様である。



 そのなすがままに、「愛国」と言う言葉さえも汚辱され、

教育の指針から遠ざけられているのだ。

 こうした外来の虫に感染した獅子身中の虫の巣窟となっ

たのが公立学校である。


 日教組がその代表である。

 公務員系の労働組合も同様である。

 国家から金をもらうのが社会主義の習いであろう。


 これら獅子身中の虫を駆除せずしては教育改革はなく、

国家財政再建もまたない。


 「愛国心」を嫌う者こそ、駆除すべき獅子身中の虫である。

 

この虫を駆除し、愛国と言う言葉を洗浄せずして、独立国

家としての教育の再建はないのである。




 愛国の武士(もののふ)よ、「学問のすすめ」を再読して、

教育改革に着手しようではないか! 

 

                            Bafun 

 

 

 

 

    ※ 諭吉邸前の通り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 万葉の秋、耶馬溪・・・ 生涯スポーツ観光整備のすすめ 

2006年11月23日 14時06分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

                                
 
                                     ( 耶馬溪にて)

 

 

  耶馬溪に  額田の王kimi も  遊びたく


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  秋耶馬溪は荒々しい奇岩片岩の岩山に根付いた黄葉樹林帯

である。

 杉植林に適さなかったのだろう、九州本来の広葉樹林の山が残

った。

 本来の山の緑も、秋の紅葉もすばらしい。

 燃え立つ秋である。深い山なのに、人々が列を成し、都の賑わい

が現れる。

 風流を愛する日本人の美意識は健在というべきか。


 

 秋といえば、額田王の歌が思い浮かぶ。

 天智天皇と藤原鎌足の前で、春山万花と秋山千葉の彩りを競う

歌遊びで、額田王が判じたという歌である。



 


 冬ごもり 春さり来れば

 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ

 咲かざりし 花も咲けれど

 山を茂み 入りても取らず  

 草深み 取りても見ず

 秋山の 木の葉を見ては

 黄葉(もみづ)をば 取りてぞ偲(しの)ふ  

 青きをば 置きてそ嘆く 

 そこし恨めし 秋山われは (万1-16)

 

 

 

 

 

 

 

   なるほど、秋ともなると、秋の深さが身にしみて「そこし恨めし秋

山われは」という気持ちになる。

 きっと額田王の歌は秋に歌われたに違いない。

 春は西行、秋は王女であることよ・・・。

 

 

 耶馬溪には長年憧れつつも縁がなかった。

 その朝にふと思い立って初めて出かけた。

 川の上流になるほど、秋深い岩山である。

 丹沢にもこういう風景があった。

 



 陽がかげってくると、さすがに冷えてくる。

 店じまいを始めたみやげもの屋の並びには、銭湯のようにして飛

び込み300円の温泉が湧いているからありがたい。

 ちょうどいい湯加減のかけ流しである。

 あったまってから中津の駅まで下ることができた。

 今度は時間をかけて玖珠まで歩きたいものだと思う。

 

 

 

   

 

 

 

【宇佐・耶馬溪駅伝の提案】  

 「恩讐の彼方に」洞門・耶馬溪駅伝を旧正月にやってはどうだろ

うか。

 宇佐神宮から中津、耶馬溪を経て宇佐に戻るというコースがふさ

わしいかもしれない。

 箱根駅伝に負けない九州の伝統を作りたいものだ。

 

 

 あるいは、紅葉の季節に歩行者天国にして、「秋山開き・百万人の

ウォーキング」というのはどうか。

 生涯スポーツの普及と九州の魅力を誇るためである。

 

 さらには、「生涯スポーツ観光戦略」として、駅から近いところに

温水プールや体育館を設け、銭湯を併設するとよい。


 各駅のスポーツ観光を楽しめるような九州にしたいものだ。

 

 生涯スポーツ振興には、こうした旅の楽しみが必要だと思うの

である。

 

 九州文明を拓くには、道徳・健康・風流が欠かせない。

 教育には文武両道である。

 武には、スポーツマンシップの教育が肝要である。


 

 九州文明を構想する「九州やまとの国」という発想を定着したい

ものである。

                         

                                  Bafun 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 青の洞門、手彫りの道の秋・・・  試練に自分探しの道がある  便利さの先に試練の道を求めよ

2006年11月23日 13時00分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 洞門に  手彫りし道の  奥の秋

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 遅れていた紅葉だが、小雪の今が見ごろであろうか。

 思い立って、名高い青の洞門から深耶馬溪まで出かけたのは二週

間ほども前だったから、まだまだであった。

 耶馬溪と言うのは、巨大な岩でできた渓谷である。

 その入り口の青という川沿いの岩壁に掘られたのが、菊池寛の小説

「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門である。

 

 よほど切り立った岩壁の中腹にあるのかと想像していたが、観光地

となった今は、車道のわき道に過ぎなかった。

 車道など作るべきではなかったろうにと思うが、便利な世の中には、

 命がけの人生の感動も、展示品か、アルコール漬けのサンプルのよ

うになってしまったらしい。

 

 古い古い自分探しの旅の跡である。

 

 

 

 

 

 

 人が求める生き甲斐、やりがい、情熱、挑戦というものは、試練であ

る。

 人は試練を求めているといってよい。

 その試練の成果は、人々が共有できる価値である。

 便利さであり、安全であり、美しさであったりもする。



 しかし、その価値の本質は、さらに高度の試練に至る道を提供したと

ころにある。

 実現された便利さや安全や快適さの中には、もはや自分の追求す

べき人生の場はないのである。

 安全、便利、快適、そうした現代社会の豊かさの中には、求めるべ

き自分の人生目的はないと言うことである。

 そこに満足してはならないのだ。

 

 求めるべきは、自分がチャレンジしようと思う不満足の中にこそある。

 不便さや、危険や、不快にこそ、チャレンジすべき人生の働き場所が

あるということである。

 

 

 

 

 

 しからば、目を転じてみよ。

 更なる便利、さらなる安全、さらなる快適・・・それもあるであろう。

 発展は無限であるのだから。

 今までにない便利、今までにない安全、今までにない快適・・・。



 新規開拓となれば、その実績は大きい。

 しかし、これを見つけるためには、人が行かないところに行き、困難

なところに智慧をめぐらせ、人気がないところに着眼し、人がバカにし

ている分野に足を踏み入れなければ見つからないであろう。

 

 自分探しの旅とは、試練探しの旅なのである。

 

 だから、豊かな時代の中にあっても、何のための便利、何のための

安全、何のための快適が求められるのかを、目的のところから洗いな

おして考えることだ。

 

 

 

     青の洞門に穿たれた明かり窓からの風景

 

 

 

 現代は、大衆の時代から個性の時代に脱皮しようとして苦しんでい

る時代と言ってよい。

 個性的であるという喜びは、多様な社会をもたらす。

 多様であることが無秩序であってはならないから、相互に理解し合

い、調和してさらなる発展を追求する社会の価値観をもたなければな

らない。

 だからこそ、いっそう、倫理(人の輪の理)、道徳(徳を養う生き方)

が大切になるのだ。

 

 他方、職業も文化も、個人がプロフェッショナルであることを望み、本

物を生み出そうとする。

 主役は企業ではなく、個人がプロとしての知識、技能、道具を求める

ようになるのだ。

 プロ仕様のものが、一般市場に求められるようになるであろう。

 

 

 

 

 

 

 個性の時代に生きるためには、凡庸であってはならない。

 一人一人がプロを目指さなければならない。

 そのために学び、そのために試練を重ねて鍛錬しなければならない。

 だから若者よ、便利な世の中に埋没してはならない。

 

 チャレンジせよ、チャレンジせよ、チャレンジせよ!。

 試練を求めて、自分探しの旅を始めている。

 試練とは、自分探しの楽しみである。

 そのことを肝に銘じて、挑戦することである。

 われもまた。

 

                          Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋の陽に玉を追い・・・ スポーツタイム制度の提案  スポーツ立国論  労働基準法改正の提言

2006年11月18日 22時03分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  秋の陽に  少子の声が  玉を追い 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

【若き身体の幸福】 

 旧暦10月2日、小雪、気温は少し上がって11.5度。

 暖かな秋だったが、急に寒くなった。

 日頃強そうな蛇までもが鼻水をたれて風邪を引くというが、不覚にも

馬糞までもが咳き込む失態。

・・・バフン、バフン・・・なんて。

 

 それにしても、軟弱化しているとはいえ、躍動する子供たちの若さは

すばらしい。

 何が若くてすばらしいのかと言うと、肉体である。

 自由自在の心を天真爛漫に表現できる新鮮な心身のすばらしさよ!

 老いてから振り返る10代、20代の若い肉体の新鮮は、どれほどに

すばらしかったと思うだろうか。

 

 花のように美しく、鳥のように自由で、風のように速く、月のように輝

いている。

 その若さをいとおしむべきである。

 喜ぶべきである。

 その新鮮な人生を!

 

 その若さとは、溌剌とからだを躍動させることだ。

 スポーツに親しむことである。

 水泳、陸上、球技、体操・・・。


 血は巡り、肉体はしなやかになり、筋肉は強くなる。

 その若いということの幸福を実感することだ。

 自分の人生時間の中で、若い時代の躍動する幸福を実感するべ

きである。

 苦労の多い時代でもあるが、その苦労は楽しめるものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

【この世に生きることの幸福】

 体力は次第に衰えてゆく。

 老化する。

 しかし、生きていると言うことは、その肉体は若さを残しているという

ことである。

 生きていること自体が身体の若さを保っていると言うことなのである。

 もちろん、精神は老化しない。

 

 体の若さが残っていると言うことは、若さを実感できる、楽しめると言

うことだ。

 幸福なのである。

 その幸福の実感は、やはり、スポーツが一番である。

 スポーツをして汗をかけば、血は巡り、筋肉が蘇り、若さを実感でき

るのである。

 

 心身の若さが仕事をする。

 心身の若さが繁栄をもたらす。

 心身の若さの実感が世の中を明るく健康に保つのである。

 その若さを実感させるのがスポーツである。

 

 活力のある人生、活力のある社会にするには、若さを実感するライフ

スタイルが必要だ。

 生活習慣としてのスポーツが欠かせない。

 そのことに気づかなければならない。

 

 スポーツ幸福論、スポーツ興国論、これは、この国に幸福をもたら

す重要政策である。

 

 

 

 

 

      クロガネモチ(中津・福澤諭吉邸) 

 

 

【重要政策の提言】

  生涯スポーツ振興は国家政策として掲げられているが、有効な具

体策は出されていない。


 生涯スポーツの本質は、生涯を通して若さを実感し、活力のある人

生作り、国作りをしようということである。

 これは国民の幸福と国家の幸福にとって、最重要課題である。

 

 1. 学校教育においては文武両道の原点に戻るべし。

 体育教育、スポーツの楽しさ教育を太い柱としてたてることである。

 それが分かっている教員の養成と充実が急務である。

 

 2. スポーツタイム制度

 労働基準法を改正して、「平日勤労時間内に、3時間以上のスポー

ツタイムを取らせなければならない」と定める。 

 
内容の充実を図るために、スポーツ指導員ないし、スポーツクラブに

委託しなければならない(スポーツ指導員制度)。

 スポーツ指導員の資格は別途定める。

 スポーツタイムの労働時間は、時間外労働に配分補充してもよい。

 

 3. さらに、「60歳以上の健康保険受給者は退職後であっても、

週一回以上の運動指導ないし、運動能力テストを受けなければならな

い」というところまで充実する必要があるであろう。

 

 国民には健康責任がある。

 幸福になる責任がある。

 


 健康管理の制度化によって、健康にさまざまな特典が用意されて

良い。

 スポーツの制度化によって、スポーツクラブも安定して経営できる。

 会員価格も安くなる。

 これが、生涯スポーツ政策のありようであろう。

 

 体育祭も、同レベルごとの競技会と一つ上のクラスとのチャレンジ戦

を用意すると楽しめるのではないか。

 本来、プロバスケットも、身長でクラス分けしてやれば、もっと楽しめ

るのだ。

 

 スポーツ教育の建て直しと、生涯スポーツ普及の制度改革は、新し

い発展をもたらす重要政策となるであろう。

 

                         Bafun 

 

 

  

 

 

 

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+ 吉祥花・・・ いじめは凶悪犯罪である。 自殺もまた犯罪である。 自殺報道をやめさせよ。

2006年11月17日 20時07分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 知らぬ間の   吉祥草や   福よあれ

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 見捨てられて枯れそうだった苗を買い取って育てていた。

 蘭のようでもあるが花も咲かず、観葉植物かと思っていたら、いつ

の間にか紫の茎が伸びて花が咲いた。

 わが藪宿に小さなクリスマスツリーが立ったかのようで目出度いこ

とだった。

 

 紅葉を見に出かけた耶馬溪の露天で、我が家の草が縁起のよい花

「吉祥草」として売られていた。

 露店でつけた名前だろうと思っていたが、本名のようである。

 ユリ科の藪ランの一種であるらしい。

 

 よく見れば小さな小さな百合の花が集まって咲いているではないか。

 香りこそしないが、美しい。どの花も、花が開けば縁起が良いことで

ある。

 笑う門には福来るというが、花咲く門にも福が来るのである。

 

 

 

                     

   吉祥花  http://www.hana300.com/kichij.html

 

 

 

 

【自殺犯罪を抑止せよ】

 相変わらずNHKを筆頭に、自殺放送を止めようとしない。

 マスコミによる自殺教唆である。

 現実に自殺の連鎖を引き起こしている。

 放送による自殺教唆に問われるべきである。

 検察には是非、動いていただきたい。

 

 「いじめによる自殺」などと安易に言うなかれ。

 自殺は別問題である。

 いじめが要因となってはいても、自殺を必然ならしめる因果関係はほ

とんどの場合ありえない。

 もし、因果関係があるというなら、いじめは殺人ないし、自殺教唆に

なる。

 

 
 安易に、いじめによる自殺などというべきではない。

 陰湿ないじめという脅迫、恐喝、暴行傷害、という犯罪が、自殺の遠

因になっていることは間違いない。

 それほどの恐怖感と不安を与える犯罪なのだ。

 

 いじめは、犯罪である。

 学校がそうした犯罪の温床となり、無法地帯となり、教師は無責任

で防犯意欲さえなく、犯罪隠しのために知らぬぞんぜぬを決め込んで

いる。

 だから自殺では、自己殺人にすぎない。

 自殺もまた、間違っているのだ。

 

 「いじめによる自殺」という報道は、自殺を正当化するマスコミの悪

魔的な心が働いているのである。


 

 自殺は実質的に犯罪である。

 現に刑法理論上も自殺は犯罪である。

 自殺教唆の実行正犯こそは、自分を殺害した本人なのである。

 

 自殺の実質的違法性は、殺人と同様、人の生命を故意に短縮せし

めた罪である。



 人には寿命があり、寿命とはこの世で果たすべき修行時間と言って

よい。

 世俗的に言うならば、努力するのが人生であって、その努力責任を

中途放棄するのであるから罪深い。

 さらには、親への恩を仇で返す最悪の親不孝である。家族は、自殺

者を出した家族として社会的信用を著しく害される。

 

 人は一人では生まれ育たず、人生もない。

 人は人間関係として存在している。

 それを知ろうが知るまいが、人間としての矛盾行動が自殺であり、

それ故に犯罪の実質を持つのである。

 

 他人を殺すのがなぜ悪いかと言うと、他人のこの世での努力時間を

中断せしめるからである。

 その人の人生責任はその人自身にある。

 どんなに疎まれる人間であっても、死刑のルール以外に他人が決

定する権利はない。

 誰も悲しまなかったとしても、死刑ルールによらない殺人は悪なので

ある。

 

 「自分がされて嫌なことを他人にはするな」という説明は、エゴイスト

には通用しない。

 自殺したい人間は他人を殺すことも正当化されかねないではないか。

 

 霊的世界を理解する者にとっては、自殺者の所属が地獄界にあり、

自縛霊あるいは浮遊霊となって人に祟り、自殺せしめたりもする悪霊

であることを知っている。

 家族も祟られる。

 犠牲者と言う前に、実質は陰湿な犯罪者なのである。

 

 自殺が悪であることを理解しない親、教師、マスコミによって、自殺

が連鎖してゆく。

 厚顔無恥とは彼らのことである。

 校長までが自殺をする。

 自殺はいけないことだとは指導できないではないか。

 そのような愚かな者たちが、数多く教職にあることを思うと、寒気が

する。

 

 

 

 

 

 

 自殺の連鎖を断ち切らなければならない。 

  そのためには、まず、NHKをはじめとするマスコミに自殺教唆とい

うべき「報道」を中止させることである。

 その後、番組責任者、関係者を含めて、報道責任を追及することだ。

 

  次に、刑法改正も検討されるべきである。

 自殺未遂罪および、自殺罪を規定し、自殺罪の刑罰は不名誉刑とし

て、懲役の宣告刑と罰金刑とする。

 自殺未遂も同様であるが、教育刑を併科する。

 自殺が殺人の一種として犯罪であることを刑法自身が宣言すること

は犯罪抑止効果があり、違法性と加罰性を基礎付けるであろう。

 

 因みに、応報刑であってもその本質に教育刑の性質を持つことを忘

れてはならない。

 また、責任能力にしても、犯罪抑止力は本人に対する効果がなくて

も一般的な効果が重要である。

 

 責任能力とは、いわば権利能力の裏返しと考えるべきで、人であれ

ば、狂気であろうともその責任は本人にこそあるからである。

 自制能力がないことの責任も、その者の人生責任と言うべきである。

 そのように理解すべきである。

 

  教師たちよ、いじめが犯罪であることを子供たちに教えよ。

 学校を無法地帯とすることは許されない。

 いじめ犯罪の首謀者となる子供がいる。

 これを摘発して追放せよ。

 子供といえども、犯罪者としての責任はある。

 それを隠すなどということは、共同正犯の責任を問われるべきであ

ろう。

 

 また、自殺が犯罪であることも子供と親に教えよ。

 それができないなら、教師を辞めよ。

 教師を公務員としてはならないとつくづく思うものである。

 

 

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白菊に満月・・・ 福岡市役所をスポーツ施設に改造しよう!

2006年11月11日 23時36分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  菊白く   満月に染み   陽は昇り

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 「菊と刀」は有名だが、春に桜、秋に菊、日本人の美意識を象徴する

花である。

 桜は国の花として愛され、菊は個人の花として期待を膨らませる。

 大輪の菊を見ていると、日本の伝統を誇らしく思うのである。

 美しい・・・。

 

 菊に見とれ、月に見とれているとつい忘れてしまうことがある。

 現代が、ストレス社会であるという現実である。

 自覚症状に至ると手遅れということが多い。

 

 日本の伝統からみると、現代は遥かに大規模になり、高速化し、忙

しく、かつ運動不足になっている。

 高度情報化社会といいながら、人間関係が狭く、希薄になっている

と言える。

 地域コミュニティーをみても、近所付き合いさえなくなりつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

【スポーツ都市改造論】

 

 ストレス解消の国家政策が打ち出されてもよいくらいである。

 スポーツ興国論、運動都市計画論が打ち出されてよい。

 都市のど真ん中に、プロバスケ、プロバレー、プロフットサル、プロハ

ンドボール、トーナメントドジボールなどが開催されるスポーツイベント

競技場を建設するのだ。

 

 競技場は、都市の中心部になければならない。

 スポーツ競技は、神聖な場でもあるからである。 

 老人福祉施設も過疎地に建設されがちだが、高齢者を護るのも都

市の機能ではないか。

 

 そこで、天神の福岡市役所を廃止し、そこにイベント会場を作ること

を提案する。

 大改修をするのだ。


 市役所の規模は今の半分でよい。

 人工島を活用する責任があるのだから、そこに移転させよう。

 そう主張する市長候補があれば、是非投票したい。

 

 骨のある政治家が少なすぎる。

 特に地方自治にはいない。

 「地方」というのがよくない。

 福岡藩のほうがよほどいい。

 九州国独立の気概こそが必要である。

                         Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 立冬の朝顔、紫紺の旗を立てる 

2006年11月10日 23時09分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 立冬に  あさがお咲きぬ  紫紺なり  


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 立冬の朝、一気に10度も気温が下がった。

 夜に吹き始めた強風は木枯らし一番になった。

 それでも朝顔が、震えながら花を開いた。

 立冬に、紫紺の旗を立てたのだ。

 

 「立冬に、いい青しているねぇ。」

 「立冬だってねー、夏の続きみたいなもんさね。朝顔が木枯

らしに咲くのも風流だ。その風流が今朝はきりっと冷えて、いい

顔してるね~。」

 

 「いよっ、根性花!粋だねぇー。やせ我慢も風流のうちさね。

いい咲きっぷりだよ。」

 「ありがとよ。だけどね、晩成の花だもの、冷えてしぼむよう

なやわな花じゃないよ。立冬に立てた紫紺の花を二日間咲い

て見せようじゃぁないか。めでたい立冬の朝顔だよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 そして二日目の朝、立冬の朝顔は咲いていた。

 もう、おしゃべりはしなかったが、約束どおりに立冬の壁を越

えた。

 冬を迎える人々への「紫紺の応援花」のようであった・・・。

 

 

 

  

 

 立冬越えの朝顔に今日も水を遣る。

 おかげで今年の冬は、健康に年を越せそうだ。 

 

 

 

 

 

                           Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 名月の竜雲・・・ 学校にいじめ犯罪を抑止する警察権力と宗教教育を入れるべし。

2006年11月06日 08時03分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

   名月を   雲囲いして   龍光り


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 昨日は、仲秋の名月に次ぐ名月の十五夜だった。

 うっすらと後光をさしていると思ったが、一転にわかに掻き曇り、時

雨とともに、秋の雷が走った。

 

 しばらくして雷神が鳴った。

 名月を囲んで、龍の玉が光り、雷神が太鼓を打ち鳴らす。

  そういえば、今年は観月会と洒落ることもなかった。

 明日は立冬、15℃だという。

 暦通り、木枯らし第一号が吹き抜けるらしい。

 今朝まで咲いていた朝顔だったが、明日も咲いたらすごい!

 

 

【いじめは、なぜ、いけないか】

 いじめとは、弱いものを陰湿な暴力で虐待することである。

 暗くいじけた悪霊の心境が現れている。

 生きながらにして地獄の悪霊となっている子供が増えている。

 実に不幸ではた迷惑である。

 人間は個人として完結することはなく、常に人間関係として存在し

ているから、悪霊人間になるということは、その者の不幸にはとど

まらない。

 必ず、人間関係を害し、他人を苦しめることになる。

 それが悪である。

 自他を害すること、即ち悪である。

 

 なぜ、悪霊人間になるのか。

 調査によると、大半の場合、何らかの形で親からの虐待(ないし暴

力に匹敵する支配)を受けているらしい。

 その悪の連鎖として、自ら悪に感染し、抵抗できそうもない弱い者

をいじめるのである。

 八つ当たりである。

 

 八つ当たりは連鎖する。

 この連鎖を断ち切るのが、善悪の道理なのではないか。

 八つ当たりしてさらに不幸は増すばかりなのだから。

 マイナスは、マイナスに連鎖するのではなく、どこかでマイナスを損

切りしてプラスに転じなければならない。

 

 マイナスをマイナスに連鎖するのは「裁き心」であり、「憎しみ」とい

う不幸である。

 マイナスが自分を攻撃してくるなら、強い者を味方にして防衛体制を

しくことも大切であるが、マイナスの根っこを断たなければ根本的な

決には至らない。

 

 いじめている側は強い人間ではない。

 苛められている人間で、しかも、それを克服できず凶暴化している

憐れで醜い姿なのだ。

 しかも、子供である。

 本来、親から愛され、保護されて育つべき宝であるのに、未熟なう

ちに害されているから憐れである。

 憐れであるが、邪悪である。

 これを、子供同士で解決することは困難だ。

 どうしても傷ついてしまう。

 

 

 

 

 

 

 この世は、試練の世界であり、修行のための人生であるとしても、

そのような環境を作る必要があるからこそ、権力があり、法がある。

 

 ところが、まだ未熟な子供たちを預かる学校世界は閉鎖的であり、

しかも、そこでは法治主義が行われていない。

 子供たちは、無法地帯に放り入れられ、弱肉強食のいじめ犯罪の

中で心までも傷つけられている。

 本来、法によって裁かれるべき犯罪に対して、教員も校長も、教

育委員会も、PTAも、「知らない」か、「喧嘩両成敗」か、いじめはな

かったという認定で被害者を守ろうとはしていないのである。

 

 子供の教育環境を、法的正義で守ることは、学校法人として特殊

な社会とすることではない。

 学校については、子供の安全を守るために警察権力を入れるべき

であろう。

 そこで、生命にかかわる犯罪が行われ、これを抑止する適性も知

識も、力も、教員にはないからである。

 また、学校内に派出所があっても、教育には差し支えない。

 

 さらに、宗教教育がなければならない。

 なぜなら、恣意的な権力支配を抑止する力こそは、神の正義にあ

るからである。

 神という存在を認めずして、倫理道徳はその根拠を見出せないであ

ろう。

 法的正義のルーツもまた、神の正義に求められるのである。 

 

 

 学校教育に、心の教育を取り戻す必要がある。

 心の教育は、儒教にせよ、仏教にせよ、キリスト教にせよ、これを

離れてはありえない。

 哲学もまた、宗教に淵源を持たずしては成り立たない。

 宗教教育を排除したところに現代の苛め社会がささくれ立って子供

を苦しめているのである。

 

 その最たる弊害が、自殺社会と言う現象になって現れる。

 自殺が最悪の苦しみとなることを知らないから、自殺などに走る。

 死後の世界に展開する悪夢実在の世界があるのだ。

 悪夢のままに自らの修行時間を断ち切ったものの行く世界が、天

国であろうはずもなく、無でもありえない。

 

 無意識にさまよう世界であったり、自殺を繰り返す地獄霊の世界

に長く閉ざされることになる。

 こうしたことを、学校では教えられないではないか。

 それでは自殺問題は防止できない。

 

 霊の世界を知る格好の本がある。

 スウェデンボルグの「霊界著述」という大著は有名だが、最近翻訳

されたばかりというアラン・カルデックの「天国と地獄」(浅岡夢二訳)

という本がある。

 全世界で400万部を超えるロングセラーであるらしい。

 実にリアルで興味深い。

 

 教育の世界に必要なものは、新しい心の科学としてのスピリチュア

リズムではないか。

 そこに哲学を与えたのが本来の仏教であり、プラトン哲学であり、

本来のキリスト教であると思う。

 宗教とは、心の世界を知らしめる精神科学に他ならないのである。

 そうしたことを、子供たちに教えてあげられたらどんなに多くの子

供が救われることかと思う。

 

 本来は税制について語ろうと思っていたが、あまりに深刻な状況

で本質に遠い議論が繰り返されていることに一論を加えてしまった。

 ああ、名月は只でこれほどに美しく、雷は鮮やかに閃光し、秋は

爽やかに更けてゆくというのに、現代人はなぜ、永遠の生命である

心と言う神秘の実在に気づかないままでいるのだろうか・・・。

 

 無明の自縛霊もまた、そうした愚かな一人であったのだ。

 名月を見よ、空に月がなければ星を見よ、星がなければ風を見よ。

 心の目はさらに無限を見ることもできるであろうに・・・。

 

                               梅士 Baishi

 

 

  

教育と税制が国内政治の要

 人が集まる国づくり、街づくり

 税制・・・ 所得税10% 消費税5%
       法人税 売上げの10%に対して10%の課税

       対中貿易関税は適正為替相場に換算して課税

 
        

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋空の一目・・・ がんばれ、安倍総理! 投資モラルとしての国益

2006年11月05日 11時50分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 秋空に   一目を置き   杉木立


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 見上げるような杉木立も、空の高さには一目を置いている。

 空の高さを測る一ミリの定規の様かもしれない。

 高く成長した杉木立だが、その頂上で空の高さを見上げているか

のようである。

 

 空は、背の高さも、杉の高さも与えてくれている。

 高いと景色がよく見える。

 だから、人は高いことにあこがれる。



 富士山はその象徴である。

 身近にそびえる富士山を、日本人は親しみ、誇りに思う。

 富士山は、人を寄せ付ける山である。

 

 

 

 

 

 

【がんばれ、安倍総理!・・・外交戦略】


 安倍総理にはがんばってもらいたい。

 チャイナに弱腰の外交はしてもらいたくない。

 正しい国日本、美しい国日本を作って欲しい。

 

 チャイナ景気に湧いている海運業、チャイナの貪欲に翻弄されて

いる資源産業、漁業・・・。

 欲望の経済である。

 このまま、チャイナを強くすることが日本の安全のために、世界の

調和のために正しい道かどうか。

 台湾にとっても、周辺国家にとっても、何より日本にとって危険な

国である。


 ところが、日本企業は目先の欲望で依存的な商売をしている。

 言うべきことははっきり言わなければならない。

 そうでなければ、経済のモラルが保たれない。

 国益を害する経済を抑制できない。

 

 チャイナは日本にとって最悪の敵国である。

 北朝鮮は、チャイナの子分である。

 共産主義を甘く見てはいけない。

 中華思想を図に乗らせてはいけない。

 

 国際政治の方法としては、国連を重視するべきではない。

 小さな一会員でよい。

 それ以上に関わろうとするべきではない。

 不平等不公平な敵国連合の本質は変わっていないからだ。

 

 むしろ、日米関係、日英関係、日アフリカ関係、日イスラム関係、

反日国家を除く日アジア関係を強固にしてゆくことだ。

 そして、チャイナ・コリア包囲網を堅固にしてゆくことである。


 ロシアも危険な国である。

 敵国といってよい。

 

 そういうところから、資源供給を受けようとするな。

 脱石油の研究開発に資源を投入するべきである。

 

 そのような呼びかけに、学生たちも志を立てる。

 毅然としなければ、教育も堕落する。

 役人も堕落する。

 商業も悪徳になる。

 拝金主義の国に成り下がる。

 そうなりかけているのである。

 

 美しい国日本を世界のために再建しようではないか。

 戦後61年に誕生した新しい内閣なのだ! 

 

                               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

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